第10話 ブラッド一号の花嫁

 地下牢へ降りる階段で、後ろをついてくるブラッド一号に、凛は聞いた。

「今夜の餌は、殺しがいがあるわよ」

「はあ、そうですか」とうんざり顔だが、目は血に飢えてぎょろぎょろしている。

「そんなに凶悪犯でもないから、良心がとがめるかもだけどね」と笑う。

「いいです、もうすっかり慣れました」

 もう三日連続で人を殺して血を飲んでいる。良心がどうとか、今さらだった。それに餌はみな悪人だし、自業自得と思えば、惨殺するのもそう気にならない。



 だが、部屋に入った彼は愕然とした。それも最初に人間をあてがわれたときの数倍以上の衝撃で、頭が真っ白になった。牢の奥の壁で鎖につながれていたのは、ふわっとした白いネグリジェに身を包む、美しく愛らしい容姿をした、彼のもっとも愛する女性だったのだ。

「どっ、どっ――」と、ブラッド一号はしどろもどろになり、踵を返して、後ろの凛にやっと叫んだ。「どうゆうつもりですかあああー?!」

「どうって、今夜は奮発して君の大好物を用意したんだよ?」と、薄笑いで言う。「喜んでくれると思ったんだけどねえ」

「喜ぶかああー!」

 怒鳴り、涙目で女を指さす。

「メグは、ぼくの一番大事な人なんだ! 冗談じゃない、もう教会に帰ります!」

「いいけど……」と彼を指す。「君の体は、そうは言ってないよ?」

 自分の踵がずるずると相手に近づいているのに気づき、彼は激怒した。

「あ、あんたは最低だ! なんでこんなことを!」

「君は最強にならないといけない」と真顔になる。「愛するものくらい、平気で殺せなきゃ。それが出来たとき、君は本当の自分を取り戻し、戦争の親玉になれるんだよ。さあおやり、この人殺し!」


 ブラッド一号は真っ蒼になってうなだれた。

「……お願いです、凛博士……なんでもしますから……どうか、メグだけは……助けてください……」

 そしてぼろぼろの泣き顔を向けると、生みの親はイライラと唇をかんだ。

「なんだよ、その情けない顔。まだ自覚が足りないようね。私はお前を殺人マシンとして作ったんだから、そうするしかないんだよ。ほら、とっととそのエサから血を飲みな!」と、びしっと指さして叫ぶ。「お前は人殺しだ! 人間の血で動く化け物の悪魔だ! もう観念して殺せ! この人殺し! 人殺し!」

 それに答えるように体がずるずる引きずられるので、ブラ公は両足を手で押さえた。が、無駄だった。「や、やめろ……くあああっ!」と自分の首を絞めたが、すぐに腕の自由もきかなくなった。体はくるりと生贄に向かい、わずか一メートルほどの距離で対峙した。



 壁に両手足を鎖でつながれて壁際に腰を下ろしているメグは、そのふさふさした金色の髪を垂らしてうなだれていたが、はっと目を覚まし、顔をあげた。そして己の異常な状況に絶句した。目の前に、あのパーティ会場にいた可愛い少年がいる。が、暗く憔悴しきったその顔は、彼女が再会を喜ぶどころか、突如闇から得体の知れないケモノが現れたような恐怖しか呼び起さないものだった。


「……す、すみません、メグさん……」

 だが、うつろな目でむせぶようにそう言う彼を見て、メグは相手が限りない絶望と悲しみに沈んでいると知り、恐れが和らいだ。

「メグさん……」と続けるケモノ。「ぼくは、人の生き血で動く機械の化け物なんです。ぼくが嫌でも、この体が勝手に人の血を求め、誰だろうが殺してしまうのです。ぼくの名前はブラッド一号。最悪の殺人マシンです」

 そして顔をゆがめてしゃくりあげる。

「メグさんを殺したくない。でも、でも……すみません」


「ブラッド一号というのですね、あなたは」

 メグも苦し気に目を閉じて言った。

「私も、あなたが苦しんでいるのを見たくない。でも、私には愛するお母さまやお父さま、ほかにも大事な人がたくさんいる。だから、ここで死ぬわけにはいかないのです」と、涙を流す。「どうか、このまま家に帰して」

 殺人マシンは固まった。そして右腕の袖から、二本の長いサーベルがゆっくりと伸びた。それを見てメグは恐怖に顔をゆがめた。

「や、やめろ畜生……殺すな……!」

 彼は念仏のようにぶつぶつ言ったが、右腕が自動的に前にぐいと突き出され、少女に迫った。悲鳴をあげるメグの腹に、鋭い刃の一本が無情にずぶずぶと押し込まれた。メグの口からまっかな血のシャワーが噴き出し、彼の顔にばしゃばしゃとかかった。それが口に入ったとき、夜の魔物たちが一斉に恐怖の叫びをあげた。

 彼は渾身の力で刃を引き抜くと、後ろの扉を突き破って狂ったように外へ走った。森で野ブタを見かけ、ミンチにして血をがぶ飲みした。こんな腐った最低の糞のような自分にかかってしまったメグの美しく神聖な血を、一滴残さず洗い出してしまおうとするように。



「こんなところにいた」

 城の裏にそびえる大木の根元で膝を抱えるブラッド一号に、カンテラを下げた凛が声をかけた。彼は無感情な横目を向けた。

「……ほっといてください。血が減ったら、あなたでも殺しますよ?」

「メグは死んでないよ」


 目を丸くし、城内へ飛び込んだ彼を手招きし、凛は手術室に入った。ベッドにちょこんと座る少女がこっちを向いた。おお、体は包帯だらけで痛々しいが、彼女は完全に生きているではないか! ブラッド一号は世界が薔薇一色に染まったように泣き笑いになった。

 が、すぐに絶望のどん底に落ちた。話しかけても、メグは幼児のようにただ「だー、だー」などと、片言で喋るばかりなのだ。


「君があんまり弱っちゃ意味ないから、いちおう助けたの」と凛。「私と同じで半分機械になったんだけど、血流不足で脳を損傷しててね。三歳児程度の知能しかないの。それも成長することもなく、ずーっとこのまま。あ、あんたのことは覚えてないみたいだから。殺そうとしたことも忘れちゃってるし、まあラッキーじゃない?」

 だが、彼女の息子は背を向けたまま、わなわなと肩を震わせ、怒りに満ちた目で振り向いた。

「よくも……メグを……!」

 うなるように言い、袖からサーベルがするすると伸びた。

 凛は、いささかあわてて言った。

「ま、まあしょうがないね、君が怒るのも無理ないわ。みんな私が悪いわけだし。でもさあ」

 殺されるのは嫌は嫌だったが、母親たる自分を躊躇なく殺せるなら、それは理想である「最強」への一歩になる、と心ひそかに勘定していた。

 だが彼は凶器を引っ込めると、メグのところへ行って手を握った。そして創造者に冷たい横目を向けた。

「やめます。あなたがいないと、メグになにかあったときに、治せませんから」


 そして最愛の人を見つめると、彼女は幼女のように無邪気な笑みを浮かべた。それを見て、ブラッド一号は涙ぐんだ。

(もうこの世にいないと思ったのに、生きていてくれたんだ)(それだけで、いいじゃないか……)

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