春の章 秘密の花園
第08話 初対面は、想定外の
「そんなの、わたし聞いてない!!」
エントランスホールで話を聞き終えるなり、少女は全身で声を上げました。
フリルのついた紺色のスカートを両手でぎゅっと握りしめると、ふわふわと下ろされていた金髪が、怒った猫のようにぶわりと広がります。
「そうね、突然のことで驚いたでしょう。もっとゆっくり、少しずつお話する時間を作ってゆくつもりだったのよ。それがまさか、こんなことになるなんて……」
少女と対峙していた女性は、そう困った様子で眉尻を下げました。彼女は
このお二人は、本日より当エルスター城に二週間ほど滞在されるご予定のお客様方です。
現在七歳であるケイティ様は、鉄道会社を経営する一族に連なるエインズリー家のご息女です。しかし二年ほど前にお母様を無くされ、さらにお父様は仕事で不在がちといった状況から、六歳になって間もなく女子寄宿学校へ入ることとなりました。
対する二十代半ばすぎのご婦人は、ロザリンド・バーレイ様。ケイティ様の父親であるバーナード・エインズリー様と、近々再婚を予定されているそうです。
エインズリー様のご要望は『滞在中に三人で自然に顔を合わせる機会を設け、新しい母と娘が少しずつ打ち解けられるよう手伝ってくれ』というものでした。
ところが――。
「ひさしぶりにパパとすごせると思って、楽しみにしてたのに……」
そう言って、ケイティ様は下唇をきゅっと噛みました。きっと、涙をこらえているのでしょう。到着するなり、父親が仕事で来られなくなったと知らされたのです。
エインズリー氏が経営する鉄道で貨車の脱線事故が起こったのは、ケイティ様が迎えの従者と共に寄宿学校を出発してしまった後でした。ゆえに、ここへ到着するまで連絡のしようがなかったのです。
まだ七つの少女にとって、たった一人で見知らぬ場所で過ごすのは、どれほど心細いことでしょう。そこで
しかしケイティ様にとって、ロザリンド様はただの初対面の女性。それどころか、突然母になるというのです。ロザリンド様は控えめで優しげな雰囲気の方ですが、まだ七つの少女に納得ができないのも、無理はありません。
「やっぱり、おうちに帰る。馬車をよびなさい!」
ケイティ様に言われて、エインズリー家の老従者が、困ったように眉を下げました。
「おそれながらお嬢様、旦那様より『対処を終えたら急ぎエルスター城へ迎えにゆく。だから待っているように』と厳命されております。首都のお屋敷へ戻られましたら、旦那様と行き違いになってしまうかもしれません」
「そんな……」
スカートをつかんだまま、とうとうしゃくり上げ始めたケイティ様に、見かねたロザリンド様が声をかけました。
「あのね、ケイティ……」
「気安くよばないで!」
きっと睨み付けられて、伸ばされかけていた手が止まります。困り果てた様子のロザリンド様に目を向けられた私は、小さくうなずき返してケイティ様の前にドレスの膝をつきました。
「ごきげんよう、エインズリー嬢」
「ごっ……ごきげんよう」
彼女は一瞬虚を突かれた様子でこちらを見ると、すっと背筋を伸ばして言いました。いつの間にか、涙もぴたりと止まっています。
ケイティ様の通われている女子寄宿学校は、名門と名高いところ。まだたったの七つでも、厳しい教育を受けた淑女なのでしょう。何より大人と対等の呼びかけを受けると背筋が伸びるのは、私もこのぐらいの年頃に経験したことです。
「ふふふ、驚かせてごめんなさい。ケイティと呼んでもよろしいかしら?」
「……はい」
「ありがとう。ねぇケイティ、このお城でお姫様のようなドレスを着ることを、ずっと楽しみにしてくれていたのでしょう?」
あえて接客用の敬語をくずして話しかけた私に、ケイティは神妙な顔のまま、それでもこくりと
「それでは、衣裳部屋にご案内いたしますわ」
共に歩く二人へ軽くドレス選びの希望を伺いながら、私は頭を悩ませました。二人の間をつなぐエインズリー氏がいらっしゃらないとなれば、当初にご用意していた滞在プランを練り直さなくてはなりません。
そうこうするうちに、私たち三人は衣裳部屋の前にたどり着きました。入り口の両脇に控えていた侍女のキャシーとセシリーが、恭しく頭を下げてから、扉を大きく開きます。中は細長い広間になっていて、その左右にずらりと様々なドレスが、サイズや年代ごとに整理されて並んでおりました。
「すごい、いっぱい……」
なかなかの壮観に、驚いてもらえたのでしょう。目と口をまん丸にして眺めているケイティの横で、ロザリンド様も手を口許に寄せています。私は思わず嬉しくなって、微笑みながら言いました。
「ここにあるドレスなら、どれでも好きな物をお選びくださいませ。小さなレディにちょうどよいサイズも、たくさん用意がございましてよ」
「ほんとう?」
「ええ! ケイティ、貴女はどんなドレスを着たいのかしら?」
どうやら機嫌が直り始めているらしいケイティは、かすかに頬を上気させて応えました。
「その、はくしゃく夫人みたいな、フリルやレースがたくさんついていて、スカートがフンワリ広がっているのがいい! です!」
きらきらとした目を向けられて、私は嬉しくなって微笑みました。いつも最初にお客様をお迎えするときには雰囲気を楽しんでいただくために、最も貴族らしい時代のドレスを着ているのです。
「ならばこれと同じ、百年ほど昔のドレスから見てみましょうか」
私は広間を中ほどまで進むと、二人の方へ向きなおりました。
「どうぞロザリンドさま、侍女がお手伝いしますから、お好みの一着をお選びになって。ケイティ、貴女のサイズはこちらよ」
ケイティはようやく軽くなった足取りで、小さなドレスたちの方へと駆け寄りました。すぐに侍女の一人であるキャシーの手を借りて、熱心に物色を始めます。
「これって、全て本物のアンティークドレスなのですよね。そのように貴重なものを、私などが着てもよろしいのでしょうか……?」
ケイティとは対照的に、ロザリンド様の方はどうやら引け目を感じていらっしゃるようです。
このお城のドレスは先々代の伯爵夫人が遺したコレクションのほかに、もう使われなくなった貴族たちのワードローブから様々なサイズのものを引き取って、少しずつ増やしておりました。つまり、どれも本物の風格を持つ一着ばかりです。でも――。
「もちろんですわ。ドレスは、美しく着てもらってこそですもの」
「で、では……」
私が目配せすると、もう一人の侍女セシリーが進み出ました。長身痩躯でスラリとしたセシリーは、壁一面に作り付けられたワードローブから、次々とドレスを引き出してゆきます。
「あ……」
一瞬上がった声にセシリーが手を止めると、ロザリンド様はすぐに首を振りました。
「ごめんなさい、なんでもないわ。続けてください」
「かしこまりました」
セシリーは眼鏡の奥の睫毛を伏せて言うと、再びドレスに向かって三枚ほど引き出したところで――。
「それ。それで、お願いいたします」
――ロザリンド様がようやく声を上げたのは、落ち着いた濃紺を基調とし、装飾も控えめな一枚でした。
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