第04話 門出と誓い

 駅で私たちを待っていたのは、近ごろ旅客向けの運用が開始されたばかりだという、最新鋭の蒸気機関車でした。


 黒くそびえるこの大きな鉄の塊が、まさかひとりでに走ってゆくなんて。黒煙を噴き上げながらホームへと入るその姿を見ていると、私は改めて時代の変化を思い知らされるようでした。


 客車の中は通路沿いに仕切り客室コンパートメントが並ぶ造りになっていて、ドアを開けると内部は小さな個室になっています。私たちは向かい合うように設置されたソファのそれぞれ窓際に腰掛けると、物珍しく窓の外に目をやりました。


 列車が石造りの街並みを抜けて郊外へ出ると、窓の外にはどこまでも続く緑の丘陵が広がっています。所々でのんびりと草をむ白い羊たちの姿を、ぼんやりとながめているのにも飽きたころ。ふと向かいの席に目をやると、窓枠に肘を乗せて眠る彼の姿が目に入りました。


 彼はここ数日、私をエルスターの自城に迎え入れるために、ほぼ寝ずに動いてくれていたのです。私は彼を起こさないようそっと席を立つと、彼の隣に座りなおしました。


 寝顔は彼をいつもより少しだけ幼く見せていて、知り合って間もない頃のシェリンガム君の姿が重なって見えるようです。


 ──放課後。図書室に到着した私がその姿を探すと、彼は机上に伏して居眠りをしているところでした。窓から差し込む夕日を浴びながら、それでもすやすやと寝息を立てている彼に、そっと近付くと。彼の淡いアッシュブラウンの髪、そして同じ色の睫毛はまるで絹糸のように輝いていて……思わず吸い込まれるように顔を近づけていった私は、ハッとして慌てて身を起こしました──


 ……でも今はもう、あの頃のようなしがらみはないのです。心惹かれるまま、その柔らかそうな見た目に反して私より少し硬い髪に触れると……急にパチリと青い瞳が開きました。


「い、いつから起きていたの!?」


 私が慌てて立ち上がると、アードリックは少しだけ意地悪げに目を細めて言いました。


「……君が、隣に座ったぐらいかな」


「起きていたのなら、言ってくれればいいのに……!」


 しかし私の抗議の声は、途中で大きな汽笛にかき消されてしまいます。


「ひゃっ!」


 思わず声を上げてよろめいた私を抱き留めて、彼はほっと小さく息を吐きました。


「危ないから、ちゃんと座ってくれ」


「……はい」


 呆れられて、しまったのでしょうか……。


 しょんぼりしつつ向かいの席に戻り、小さくなって座っていると、なぜかアードリックは無言で立ち上がりました。そして私の隣に腰を下ろすと、何くわぬ顔で窓枠に片肘をつき、再び外へと目を向けます。


 一体彼は、何を考えているのでしょう。腕が触れるか触れないかの距離感は、高まる熱すら伝えてしまいそうです。どぎまぎしつつ、それでも膝上にきっちり手を乗せて座っていると……不意に彼の長い指先が、私の手を取りました。


 小さく揺れ続ける客室の中、互いの指をからめ合い、それでも彼は平然と外を向いたまま――いいえ。表情は硬いままですが、どことなく耳が赤いのは……私の気のせいでしょうか。


 ――二人だけの列車の旅は、まだ、始まったばかりです。



    ◇ ◇ ◇



 エルスター領区に到着した私たちは、日をおかず城下にある街の聖堂で式を挙げました。


「その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも。これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……その命ある限り真心を尽くすことを、誓いますか?」


 司祭様のおことばに、私はひとかけらの迷いもなく答えました。


「誓います」


 私が一番辛いときを支えてくれた彼を、今度は私が支える番なのです。




 式は僅かな親族のみが集まる簡素なものでしたが、聖堂の大扉が開いた瞬間、私は目をみはりました。そこに詰めかけていた大勢の人々から、示し合わせたように大歓声が上がったのです。


 たくさんの花びらが祝福の言葉と共に降り注ぐ中、私は彼の腕を取り、ゆっくりと歩いてゆきました。夢のようなひとときの終点には、屋根をとり外して色とりどりの花とリボンで飾られた、美しいランドー型馬車が待っています。


 アードリックは先に座席に乗り込むと、手を差し伸べて微笑みました。


「お手をどうぞ、エルスター伯夫人レディ・エルスター


「ありがとう、あなた・・・


 私が手を取りながら応えると――アードリックは少々強引に手を引いて、私を腕に抱き留めました。ベールに積もっていた花びらが再び舞い上がり、女性たちのひときわ高い歓声が上がります。


 ようやく二人並んで赤いビロード張りの席へと座りこみ、馬車が送り出されると――まだ興奮冷めやらぬ私に、アードリックは言いました。


「彼らは、昔から当家で働いてくれている人たちだよ。僕はあの城と、彼らの暮らしを守りたい」


 彼の目線の先、つまり馬車のゆく手には、濃い緑の木々の向こうに二本の八角形の塔が突き出ています。巨大な塔を形造る石はほんのりクリームがかった白灰色で、この地域で多く産出する石灰岩ライムストーンでしょうか。


「あれが、エルスター城?」


「ああ。テンダー朝時代の、年代としては四百年近く前に建てられた城だ。平和な時代に建てられたから防衛機能は最低限なんだが、逆にホテルに向いた造りじゃないかな。周囲に深い堀はなく、それほど高くない城壁が三方を囲んでいるだけだ。それも大通りに向かう側は壁すらなくて、ちょっとした森が前庭の目隠し代わりとなっている」


 話をしているうちに、馬車はエルスター城の外門がわりの森へ分け入る道へとさしかかりました。木々の根元には小さな青い鐘ブルーベルの花が咲き乱れ、どこか甘くみずみずしい風が吹いています。


 しばし木漏れ日が控えめに照らす道を走ってゆくと、不意に視界が大きく開けました。


 広々とした前庭の向こうには、かつて貴族が栄華を誇った時代そのままの姿を残した壮麗な古城が、静かにそびえ立っています。ようやく実感を覚えた私は、決意を込めてうなずきました。


「この城を守ってゆくために、微力だけれど私もお手伝いするわ」


 その間も馬車は前庭を進み、やがて森の外から見えていた二本の大きな塔へと近づいてゆきました。二つの塔の間に造られた門楼ゲートハウスをくぐると、そこは建物に囲まれた中庭となっています。左右対称シンメトリーに刈りこまれた低い植木が整然と並ぶ姿は、庭師の確かな腕前を感じられるものでしょう。


 とうとう本館らしき棟の前に馬車が止まると、そこには黒と白からなるお仕着せを着た人々が、ずらりと並んでおりました。


「奥様、ようこそエルスター城へ。使用人一同、奥様のご到着を心よりお待ち申し上げておりました」


 執事がそう右手を胸に当てる敬礼と共に述べると、たくさんの彼ら、そして彼女らは、一斉にこうべを垂れました。


 私が丁寧に、しかし女主人の威厳を以て礼に応えると、アードリックは嬉しそうに目を細めて言いました。


「彼が執事のハワード、そして隣が女中頭ハウスキーパーのマーサだ。二人は先々代の頃から当家に仕えてくれている。何か分からないことがあれば、僕か、この二人に聞くといい」


 ――こうして、私のエルスター城の女主人としての生活が、幕を開けたのです。


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