第49話 告白

 翌朝――。


 朝焼けが、空をやさしく染めていた。橙の光が、テントの幕越しに反射して、静かな野営地に一日の始まりを告げる。


 私は寝袋から這い出すようにして身を起こし、テントの布をくぐった。

 外の空気は澄んで冷たく、それでも、中央の焚き火の周りだけがほんのりと温かい。


 すでにジヤードが起きていた。鍋に水を張り、火にかけているところだった。ほのかに湯気が立っている。


「おはよう」


 私の声に、ジヤードは顔をこちらに向けて、いつもの調子で答えた。


「おはようございます。シオ」


 彼の声は落ち着いていて、昨夜の出来事などなかったかのようだった。

 私は焚き火の端に腰を下ろし、冷えた手をかざす。もう少し暖まってから顔を洗いに行こう――そう思った、そのとき。


 服の裾が、ぐいと引かれた。


「……?」


 振り返ると、そこにはリドが立っていた。

 真っ赤な顔をして、リドは口を開こうとして――けれど、何も言えずに目を泳がせていた。


「どうしたの?」


 問いかけると、リドはほんの一瞬、迷うような間を置いて、小さく呟いた。


「ちょっと……」


 私が立ち上がると、リドは勢いに任せるように、私の両腕を掴んだ。そして、躊躇うように一歩近づき、耳元に顔を寄せる。


「昨日――私は……何をした?」


 声は震えていた。けれど、それは寒さのせいじゃない。


 ……覚えているのだ。ジヤードも、の記憶があった。なら、リドも、夢の中の出来事では、片付けられなかったのだろう。


 私は、どう答えればいいのだろうと迷った。


 誰も口にしなければ、それは「夢だった」としてやり過ごせる。曖昧にして、なかったことにできる。

 リドだって、本当は真実なんて、知りたくないはず。そう思って、私は口を噤んだ。


 ――そのときだった。


 隣のテントの幕がばさりと開いた。


 ルガンが、寝起きのぼさぼさの髪のまま姿を現す。あくび交じりにこちらを見た、その瞬間。


 リドの身体がぴたりと強張る。ルガンは目が合ったかと思うと、その頬がみるみる赤く染まっていく。


「……」


 ああ――誤魔化せないやつだ。

 私にも、ルガンの反応の意味がわかったし、きっと、リドもすぐに悟ったのだろう。


「すまない――ルガン!」


 耳まで真っ赤にして、リドがルガンに頭を下げた。

 テントから出て立ち上がったルガンは、びくっと身構える。それから視線を逸らし、頭を掻いた。


「お、おう」


 気まずい沈黙が、焚き火の周りに降りた。


「――その、なんだ……」


 ルガンは頬をかきながら、ちらとリドを見て、ぶっきらぼうに続けた。


「あれは、お前のせいじゃないんだ。おまえが謝る必要は、ないだろ」


 その言葉に、リドはぎゅっと唇を噛んだ。


「だが……。あんな姿、見られて……っ」


 俯いたまま、震える声。今にも泣き出しそうな表情で、リドは必死に言葉を絞り出していた。

 その姿を、ルガンはハッとしたように見つめた。切れ長の瞳に映るその表情は、まるで何かを決意するように――


「リド、もし――昨日のことで、お前が……その、慚愧ざんきに堪えないと言うなら――」


 森の奥から、そよ風が吹き抜け、二人の間をそっと撫でていく。

 木々の葉がささやくように揺れ、近くを流れる渓流から、カエルのような、虫のような鳴き声が聞こえる。


 ルガンが口を開いた。


「……俺が、責任を取る」


 思わず、私はルガンを見た。

 彼は、いつになく真剣な顔で、拳を握りしめて、続けた。


 責任――?

 それは、どういう意味だろう。


 そう思っていると、ルガンは答えを口にしたのだ。


「……おれが、嫁にもらってやる。お前が良ければ、だが……っ!」


 言った後で、自分でも驚いたように目を見開き、慌てて補足する。


「ちがう、ちがうぞ! 昨日のことがあったからってわけじゃねぇ! その、俺は前から、リドのことが――」


 そこまで言って、ルガンは目を伏せた。


 腰を折ったまま、リドが顔を上げた。

 信じられないものを見るように、目を見開いて。


 私は、口を開けたまま固まっていた。


 え?

 ええ?

 えええええええええ!?!?


 こ、これは――これはもしや!? 世紀の瞬間なのでは!?


 リドは、目を丸くしたまま、息を整えるようにして背筋を伸ばし、真正面からルガンを見つめた。

 静寂が、森の朝に溶け込んでゆく。


 その口が開いた。


「ちゃんと――」


 小さく、でも震えを堪えるような声で言ったリドは、両手をそっと胸にあてる。


「ちゃんと言ってくれ、ルガン」


 リドの、まっすぐな眼差しを受け、ルガンは目を見開いたまま一瞬固まった。

 そして、咳ばらいを一つして、ぐっと前襟を正した。


 足を揃え、背を伸ばし、まるで騎士団の任命式のように、彼は、真剣そのものの顔でリドを見据えた。


「大好きだ、リド! 俺の嫁になってくれ!」


 叫ぶようなその声に、森の鳥たちがばさばさと飛び立った。


 ルガンの全身が、首の先まで真っ赤になっている。

 けれど、リドは、静かに微笑んだ。


「――はい」


 瞬間、私の中で何かが爆発した。


 とうとおおおおおおおおおおおおいッッッ!!

 鳥肌立った! なんか鳥肌立った!!

 心揺さぶる音楽を聴いた時みたいな、あの感じ――!!


 ジヤードを見ると、頬づえをつきながら、穏やかに微笑んで、二人のやり取りを見つめていた。

 焚き火の炎が、その瞳にゆらりと映り込んでいる。

 燃えるような赤でも、冷たい金でもなく――ただ、どこまでも優しい光だった。


 まるで、なにか遠い日の思い出を、その炎の奥に見ているかのように。

 忘れがたい誰かの姿を、そこに重ねているのだろうか。

 それとも、もう二度と戻らない時間を、そっと撫でているだけなのか。


 その笑みは静かで、やわらかくて――けれど、どこか少しだけ、寂しさの影を棚引かせているように見えた。


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