Hovering in the cage

葉霜雁景

1

 ゴミ捨て場に「ストレリチア」が落ちていたら拾うな。


 暇潰しにネット掲示板を漁っていた頃、いくつものスレッドを立てていた話題が脳裏をよぎった。ストレリチアとは花の名前だが、花を指しているわけではない。とある男を指している、らしい。

 男の情報は掲示板内で書き込まれていたことしか知らなかったが、自宅近くのゴミ捨て場に差し掛かったところ、おそらくそうなのだろうなという男が落ちていた。室外機の稼働が増え、逃げ場のない熱気が漂う夜の底、電灯が白いゴミ袋の山を青ざめさせている。そこへ乗っかった長身の男も、加工で全体に青みを持たせた写真みたいな有り様をしていた。


 正確な色は分からないが、男の姿は派手そうだ。オレンジっぽい赤茶の髪と柄シャツ、どちらも黒い細身のパンツと革靴。顔はこちらに向いていなかったが、どうせ整っているのだろう。ペッ、唾を吐きたくなる。目立つような服装からの偏見もあるが、生来の物がいまいちでも、肉体なんて整形でどうこうできる時代だ。金さえあれば、誰でも美人になれる。

 気絶しているのか、寝ているのか、男はぴくりともしていない。呼吸の動作は確認できるため、死んではいなさそうだ。単に泥酔しているか、ハッピーになれるお菓子でもキメて倒れているのだろう。後者だった場合は関わらない方がいい。そもそも、拾うべきではない「ストレリチア」かもしれない男だ。立ち止まって呑気に観察などせず、さっさと帰らなければ。


「拾ってくんないの、オニーサン」


 そう歩き出したのにいきなり声を掛けられ、思いっきり体が震えてしまった。踏み出しかけて止まった右足と同じく、体全体が静止する。

 男の声で、拾わないのか訊いてくる相手など、今この場に一人しかいない。蛇が草むらを掻き分ける音にも似た、ガサガサガサとゴミ袋の擦れ合う音の後、軽やかな靴音がした。降り立った動作で一つ、一気に背後へ距離を詰めてきたのだろう動作で一つ。


「オレ、酒もタバコも、クスリもやってないよ」


 酔った気配がなく落ち着いた、それでも笑いが全体に滲んだ声が耳打ちされ、ぞわぞわと悪寒を這わせてくる。聞き耳を傾ける必要などない、走らなければと思ったのも束の間、ふんわりと肩に手が乗せられた。力を掛けられているわけでもないのに、それだけで動けなくなる。前へ、前へと動こうとしても、足裏が地面に糊付けされたかのようで、全く動かせない。何なら声も出せない。助けを呼んだところで、人が来るのかどうか怪しいが。


「ごめーんね。今日はそういう気分なんだ」


 こちらの気など知らないどころか、何も知りさえしなさそうな男が、真後ろで笑っている。厄介事などご免だと叫び出したい気持ちが沸騰しながらも、冷えた諦観が覆い被さってきて、一気にどうでもよさが出てきた。厄介事から来たのなら諦めるしかない、人生なんてそんなものだ、と。


「あれ。オニーサン素直だね。ありがと、手間かかんなくて助かるわ」


 考えを読まれているような気味の悪さも束の間、ずんと眠気が圧し掛かってきて、押されるままに目を閉じる。糸が切れるように、体が崩れていく感覚もしたが、そちらは途中で止まった。背後にいた男が受け止めてくれたのだろうか。なんにせよ知る由はない。

 自由が利かなくなるのも一大事だが、それ以外に、何か忘れているような気もしていた。けれど、眠る方へ傾いた時点で負けているのだ、どうにでもなればいい。もう目を開けようと思えない。金銭自体も、金になるような品も持っていない。遠方の家族に何も及ばなければ、それでいいのだから。

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