第3話 鏡の前で思い出す、私の過去と吸血鬼の身体の不思議

 ネグリジェを脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ自分の身体を姿見に映し、じっくりと見る。

 吸血鬼だと鏡に映らないんじゃないかって思ったけれど、この世界の吸血鬼は鏡に映るんだった。

 

 鏡には、絵画のように美しい裸体が映っていた。

 

 胸にかかるウェーブがかった艶やかな黒髪に、吸い込まれそうなぱっちりした茶色の瞳、真っ白な肌に映える赤い唇。腕も足も身体は驚くほど細いのに、胸はしっかりある。私は頬を触った。陶器のような、それでいて吸い付くような質感の傷ひとつない肌。

 

 私は現代で普通の人間として生きていた頃を思い出していた。冴えない疲れた顔、しまりのない身体。「カミラ」はそんなものとは一切無縁だ。

 

 でも、「カミラ」としての私は思う。この美貌ゆえ、カミラは吸血鬼にされてしまったんだった。17歳のあの日、私は故郷の小さな村で、権力を持っていた吸血鬼への捧げものにされた。もう、100年以上昔の話だ。


 今では顔がはっきり思い出せないけれど、村娘だったころのカミラには、好きだった幼馴染の男の子もいた。けれど、ある日突然、私の身体は吸血鬼の男に捧げられた。


 目を閉じれば、今でもあのときの光景が浮かぶ。私は、抵抗しても仕方のないことを悟っていた。まだ人間だった私の温かな肌を、冷たい吸血鬼の男の指がなでた。私の恐怖を楽しむように、あの男はゆっくりと吸血を行った。


 ――あの吸血鬼にとって誤算だったことは、私が、特殊な血液≪聖血せいけつ≫の持ち主だったことだ。≪聖血≫は強い魔力を持った血。その血を吸った吸血鬼を逆に異のままに操ることができる。私はその吸血鬼を操り、人間として生き延びるのではなく、自分自身を吸血鬼に変える決断をした。


 ――私は憎んでいたから、全てを。私を売った両親を、村の人を、守ってくれなかった幼馴染の少年を。だからか弱い、ただの村娘であることを捨てて、巨大な力を持つ吸血鬼になった、自らの選択で。


 そして私は自分の村を襲い、人間の血を吸いさまよった。吸血鬼のお父様とお母様に出会い、このルゼット家の一員となるまでは。


 カミラは、私は、今の平穏な生活を手に入れるまで、こんなに暗い過去を背負っている。それなのに、さらに胸に杭を打たれて死ぬって、あんまりじゃない? ――絶対嫌よ。


 ノックの音がした。


「お嬢様」


 アーノルドの声だ。


「いいわよ」


 私が言うと、扉が開いて、アーノルドともう一人、スラリとした長身の美女が、着替えのドレスを持って入ってくる。艶やかな黒髪をきれいにまとめて、シンプルだけど細かな装飾が美しい、瞳と同じ青いドレスを着た彼女は――アーノルドの≪血の恋人≫コーデリア。


 ≪血の恋人≫というのは、この国において、私たち吸血鬼の定期的な吸血の対象になる人間のこと。私たちは、生物の血――例えば馬や牛や犬なんかの血でも、生きることは可能だけど、吸血鬼としての力を発揮するためには、やっぱり人間の血を定期的に摂取することが必要なの。

 

 そのため、≪血の恋人≫を選んで、1週間に1回程度血をもらうことになっている。吸血対象は、異性でも同性でもいいんだけど、恋愛対象になる性別の方が血が美味しくて、より力を吸収できるから、異性を選ぶことが多い。だから≪恋人≫って言い方をしている。


 定期的に血をもらうっていっても、殺すわけじゃなくて、本当に一定量の血をわけてもらうだけ。だから、彼ら≪恋人≫と吸血鬼の間には、本当の恋人同士のような、愛情関係が生まれるの。≪恋人≫たちは吸血鬼と一緒に暮らすから、彼女、コーデリアも、王宮から少し離れた、私たちルゼット一家が暮らす、この≪霧の館≫に一緒に暮らしている。


 カミラは≪恋人≫は作っていない。貴族を血で支配するためには、吸血鬼から血をもらって、力を強くした方が効率的だから。


 コーデリアがカーテンを開けた。窓から薄い日差しが差し込んで私は目を瞬く。私たち吸血鬼は暗闇で目が効くから、暗くても問題ないんだけど、彼女はそうじゃないからしょうがない。太陽光で死んだりはしないけど、暗い方が元気は元気。


「カミラ様、今日もお美しいですね」


 彼女が私の裸の肩をなでながら言う。


「ありがとう」


 ちょっと照れながら微笑む。今の私には前世の意識があるので、そんなことを言われると照れてしまうわね。コーデリアが不思議そうな顔をした。


「何か、良いことでもありましたか」


「いいえ、別に」


 「ふふふ」と笑うと、彼女も微笑んだ。


 私は渡されるがまま、シルクの下着を身につけた。次に、コルセットだ。革製で、鹿の角でできた張り骨で補強されている。


 私はうんざりした顔をした。カミラの腰は十分すぎるほど細いのに、これ必要?


 私はため息をつきながらそれを腰に回した。アーノルドもやってきて、コーデリアと二人係でコルセットを締める。

 

 それが終わったら、ようやくドレスだ。黒い、金糸で花柄の刺繍の入ったドレスを上から被る。それを前紐で縛って、さらに上衣。これも同じように黒くて、金の刺繍が入っている。

 

 コーデリアが前で衣装のリボンを停めている間に、後ろでアーノルドがテキパキと髪を結いあげる。

 

「お綺麗ですよ、お嬢様」


 執事が耳元で囁く。鏡の中の自分を見て、私は前世の感覚で感嘆のため息を漏らした。黒いドレスは、カミラの黒髪と白い肌に抜群に合っていた。


 それから、額に冷や汗がつたう。でも、でも、似合うとかそれ以上に、ウエストがキツい。


 そこで私ははっと思い立った。私は吸血鬼。身体を黒い霧状に変化できるんだった。

 

 ウエストだけ変化させれば、どうかしら?


 私は高能力の吸血鬼だからそれくらいできるはず。


 意識を集中して、ウエスト部分だけ霧状に変化させた。一気に締め付けがはずれ、楽になる。


「お嬢様……」


 満足げにふぅーと額の汗をぬぐっていると、後ろと前からアーノルドとコーデリアが声を合わせて呆気にとられたような声を上げた。


 私は「ん?」とコーデリアの顔を見た。


「……上半身と下半身がずれてます」


 鏡を見て、まずいと思った。中間を失くしたせいで、身体の上と、下の位置がずれていた。手品で上下切断した箱をずらしたみたいな感じ。

 

 ……もっと動かしたらどうなるかしら。

 

 好奇心につられて、上と下で別の方向を向いてみる。

 わ! できた。

 足が後ろ、上半身が前で逆を向いていて、気持ち悪い仕上がりね。


「お嬢様、今日は、本当に、どうされたのですか……」


 アーノルドが呆然と呟くのが聞こえた。

 ――ちょっと、ふざけすぎね。やり過ぎたと反省して、元通りに戻した。


 苦しいけど、仕方ない。

 霧化できるのに、どうして実体に戻すと苦しいのよ。不思議だわ。


 アーノルドとコーデリアは、二人で視線を合わせてしきりに首をかしげている。


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