第11話 約

 ユノが大逆罪だいぎゃくざいで捕らえられたという知らせがヒャンに届いたのは、その夜のことだった。


「何ですって!? ユノ様が大逆罪だなんて、一体なぜそのようなことに……」

「分かりません。ただ、そのことで外は今大騒ぎになっていて……」


 にわかには信じられない。眉根を寄せるヒャンに、その知らせを届けてきたユンファも困惑の表情を浮かべている。

 徐々に血の気が引いて、顔面蒼白になっていくヒャンは、思わずユンファに言い募った。


「ユノ様は国境付近の盗賊の討伐に赴いていたはず。それがなぜ大逆罪などということになるの」

「申し訳ありません、私にも分からないのです……。ですが、戻った首長様が西の牢に捕らえられていることは事実のようで、首長様を押さえたのは紫微国しびこくの軍を率いた大王様だという話です」

「大王様……?」


 その言葉に、ヒャンは冷や水を浴びせられたようになった。氷の手で撫でられたように、ひやりと心臓が冷える。


 なぜ、紫微国にいるはずのソンドがここにいるのか。軍を直接率いてユノを捕えたとは、確たる証拠があって動いたということだろうか。そんなものなど、あるはずがないのに。


 光海国こうかいこくと隣の吏那国りなこくとの境で暴れていた者たちを討伐するために赴いていたユノを直接捕らえたということは、ソンドもその場所にわざわざ向かったということだ。一体なぜそんなことになっているのか分からない。

 だが、ソンドが直接ユノを捕えたということは、真実はどうであれ、それが「事実」になってしまったということだ。


「では、外が大騒ぎというのは……」

「謀反に加担した者を捕えるという名目で、首長様を擁護しようとする重臣たちが、大王様の指示で次々と捕らえられているのです!」

「何ですって……」


 大逆罪とは、謀反の罪だ。実際に企てることはもちろん、嫌疑けんぎをかけられるだけでも死に繋がる。一度疑いをもたれたものを晴らすのは容易ではない。あるものをあると証明するのは簡単だが、無いものを本当に無いと証明するのは至難の業だからだ。


 嫌疑をかけられただけで、極刑は免れない。大逆罪とはそういうものだ。けれど、だからと言って何もしないまま見過ごすことはできない。


 大逆罪など、絶対に何かの間違いだ。


「―――ユンファ、急いで支度を。ユノ様に会いに行きます」


 決意を固めるヒャンに、血相を変えたユンファが「いけません!」と悲鳴のような声を上げる。


「ヒャン様、いけません。それよりも、ここにいればいずれヒャン様も捕えられます。一刻も早くお逃げください!」

「いいえ、ユンファ。何が起こったのか分からないけれど、これは濡れ衣に違いないわ。でも、何が起こったのかユノ様に子細を確認しなければ、大王様に弁明することだってできない」

「ですが……!」

「あなたの心配はよく分かる。でも、いくら身の危険が迫っていても、ユノ様を置いて一人で逃げるなんて私にはできない。分かって、ユンファ」

「ヒャン様……」

「お願い」


 懇願するようにじっとユンファを見つめる。こうしている間にも、事態は刻一刻と進んでいく。今は辛うじて無事だとしても、いつその命の火が消されてしまうか分からない。すべてはソンドの手の中にあるのだ。まだ間に合ううちに、自分にできることをしたい。


 ユンファは苦渋の表情で、だが「分かりました」と急いで支度を手伝ってくれた。

 居室の外に出ると、至るところに紫微国の兵が松明を持って動いているのが見えた。あちこちで篝火かがりびも焚かれ、物々しい雰囲気に包まれている。


 光海国の兵がいるのも見えるが、数は圧倒的に紫微国の兵の方が多い。その紫微国の兵が、光海国の兵を使っているようにヒャンの目には見えた。


 光海国の首長の殿閣で、なぜこのような―――。


 回廊の影に身を隠しながら進みつつ、ヒャンは唇を噛んだ。今もこうして隠れながら進まなければならない状況がもどかしい。


 ソンドの姿は見えないが、このすべての指揮を執っているのなら、執務室か、兵を動かしやすい広場にいるのだろうと思われた。だが、本来であれば、そのいずれもユノの場所だ。


 そのソンドの視線を思い出し、ざわりと胸の奥が騒ぐ。


 ユノに子細を聞き、弁明を願い出たとして、それが聞き入れられることはあるのだろうか。もし、このすべてが誰かのはかりごとだったとしたら。―――その誰かが、ソンドだったとしたら。


 ヒャンはふいに湧き上がった恐ろしい想像に頭を振り、その考えを打ち消す。そして前を見据え、今はとにかく先を急ぐことだけに専念した。







 柱にかけられた灯明の火が弱く照らす中を、壁伝いに奥へと急ぐ。


 ユノが捕らえられているのが西の牢でよかった。この牢は脇にもう一つ使われていない入口があり、そこが入口と知らない者には警戒の対象にもならないような横穴よこあなのようなものがあるのだ。

 現に、正面の入口を見張る紫微国の兵は、隠れたそのもう一つの入口の存在には気付いていないようだった。その見張りの目を掻い潜り、ヒャンは牢の中に入った。


 走り過ぎる風でそばの火がゆらりと揺れ、血の気を失った白い肌に橙の影が踊る。急ぎ足で進む膝に重く絡まる白と紫の衣を掴み上げ、辺りの様子を伺いながら奥へと進んでいく。


 所々に灯された火は小さく、牢の奥にその光は届かない。いくつも連なるように並ぶ牢の中にこごる闇に目を凝らすが、探している影はなかなか見当たらない。

 じっとりと嫌な汗が浮かび、首筋に髪がはりつく。焦燥感だけが募り、思考が回らない。


「―――ヒャン!」


 突如かけられた声に、ヒャンははっと足を止めた。太く頑丈な木格子が張り巡らされた中にユノの姿を認め、すぐさまそちらに駆け寄る。


「ユノ様!」

「ヒャン、そなたがなぜここにいる!」


 格子に掴みかかるようにして驚愕の瞳を向けてくるユノに、ヒャンは顔を歪めた。


「ユノ様、大事ありませんか!? お怪我は……!」


 僅かな光しか届かない牢の中に目を凝らし、格子の奥にあるユノの姿に目を凝らす。髪は乱れ、身に着けていたはずの鎧は剥ぎ取られ、擦り切れた漆黒の衣のあちこちには、汗と血が滲んでいるのが見て取れる。


 ユノは様子をうかがうようにさっと視線を辺りに走らせ、険しい表情を浮かべた。


「私のことなど、どうでもよい。それよりも、ヒャン、そなたは一刻も早くここを離れろ!」

「ユノ様、一体何があったのですか。大逆罪などと、なぜそのようなことに……!」

「……クァク・ソンド、すべてはやつの仕組んだことだ。こうなる前に手を打たねばならなかったのに、私はみすみす……っ」


 格子を掴むユノの手がぎりぎりと音を立てる。その顔が苦しそうに歪む。


「私は、はかられたのだ。奴は、最初からこうするつもりで……」

「では、やはり大逆罪というのは偽りなのですね。ならば私にお任せください、大王様にお話ししてみます。そうすれば―――」

「駄目だ!」


 眉間に深い皺を刻んだユノが、強い口調でヒャンの言葉を遮った。そして、再び辺りに視線を走らせ、真剣な表情でヒャンを見つめる。


「ヒャン、よく聞け。見つかる前に早くここを離れろ。奴の狙いはそなただ!」

「ユノ様、それはどういう……」

「奴の……、クァク・ソンドの狙いは初めからそなただったのだ。やはり、認めるのではなかった。釘を刺したところで、奴には何の意味も持たぬというのに……」


 ユノは喉の奥から絞り出すように言う。


「唐突に視察と称して光海国にやって来たのも、秘密裏に吏那国を下したのも、国境付近で盗賊に執拗に暴れさせたのも、すべてはそなたを手に入れるため。そなたの天命を利用するためだ……!」


 その言葉にヒャンは目を見開いた。喉を掴まれたように息が詰まり、上手く吸えない。


「では、すべて、私のせいで―――……」


 こうして、ユノがここに捕えられ、大逆罪の汚名を着せられているのも、すべて―――。


「違う! そなたのせいではない。責があるとすれば、この私だ……!」


 ヒャンから顔を背け、ユノは握りしめた拳を格子に叩きつけた。がんっ! と重い音が響く。


「もっと早く気付いていれば、そなたを危険に晒すことなど無かったのに……! すまない……。すまない、ヒャン」


 内から格子を握りしめる手が、ぎりぎりと一層鈍い音を立てる。前髪がかかる双眸そうぼうを苦しそうに歪め、ユノは必死の眼差しをヒャンに向けた。


「こうしている時間はない。奴はすぐにでもそなたを捕えようとするはずだ。その前に早く逃げろ!」


 痛いほどに真剣な眼差しがヒャンに突き刺さる。だがヒャンは唇を噛みしめ、首を横に振った。


「それはできません」

「ヒャン……!」

「ユノ様がここに捕えられているというのに、どうして私一人で逃げることなどできましょう。ここを離れなければならないとしても、一人では行きません。それに、」


 ヒャンは言葉を切り、沈痛ちんつうな表情を浮かべるユノを強い瞳で見つめた。


「今起きているすべてのことが私のためだとすれば、この事態を収拾できる者もまた、私をおいて他にはおりません。待っていてください。私が必ずお救いします」

「駄目だと言っているだろう!」


 ユノの鋭い声が辺りに響く。一度息をつき、ユノは気持ちを落ち着けるように荒げた声を落とした。


「……頼むから、私の言うことを聞いてくれ。私のことは自分でなんとかする。だからそなたは、自分のことだけを考えろ。奴に捕まればどうなるか分からない。その前に逃げるんだ」


 ユノは言いながら首元に手をかけ、格子の間から差し出したそれをヒャンの手に握らせた。


「―――これを。この首飾りが、私の代わりにきっとそなたを守ってくれる」


 勇壮な嘴を構えた鴉からすが力強く羽ばたく、白銀の首飾り―――。光海国の首長に受け継がれる、この世にたった一つしかないその首飾りに、ヒャンは瞳を見開いた。


「ユノ様……!」

「勘違いするな、預けるだけだ。あとで必ず返してもらう。だから、それまでこれを持っていてくれ」


 そして、ヒャンの頬に優しく触れ、泣き笑いのような顔で微笑む。


「約束しよう。必ず迎えにいく。だから、ヒャンも約束してくれ。何があっても、必ず生き延びると」


 それがユノの本心で、切なる願いなのだということが伝わってくる。

 覚悟を決めたユノの気持ちを変えることは、ヒャンにも難しい。だからこそ、そんな顔でそう言われたら、ヒャンにはもう頷くことしかできない。


 絶対に認めたくはないが、もしかしたらこれで本当に最後になってしまうかもしれないという想像が心の端を掠めても、だからこそここを離れたくないのだと思っても、それを口にすることはできない。


 泣いてはならない。ここで泣けば、それを認めることになる。


 格子越しに回した手でヒャンを強く抱くユノの中にも、きっとそんな想像があるのだろう。それが伝わってきても、ヒャンには同じように強く抱き返すことしかできなかった。


「約束します。必ず」

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