第23話『大地、あついの、あし。』
夕方の空には、まだ夏の光が残っていた。
日が傾いてきたとはいえ、建物の壁や地面には、昼間の熱気がじんわりと残っている。
バセット・ハウンドの大地(ダイチ)は、のしのしとマイペースに歩いていた。
レモンとホワイトが混ざった柔らかな毛並みが、オレンジ色の陽にやさしく照らされていた。
耳は地面につきそうなほど長く、しっぽはご機嫌そうにゆっくり揺れている。
だが、その足取りが、ある地点でぴたりと止まった。
交差点の手前。ちょうどアスファルトが広く露出した場所だった。
「ダイチ? どうしたの、行こうよ」
飼い主が声をかけても、ダイチは一歩も動かない。
目を伏せ、顔をやや横に向けている。
それが“拒否”だということは、飼い主にはすぐにわかった。
「……また気まぐれ?」
少しだけ苦笑しながらリードを引こうとするが、重たい身体が地面にドスンと落ちた。
そのままダイチは動かず、ただ風に耳を揺らしている。
けれど家に戻って、玄関に入ったときだった。
タイルの上に横たわるダイチの足をふと触った瞬間——
「……熱い」
肉球が、まだじんわりと熱を持っていた。
夕方になっても、アスファルトには昼の熱が残っていたのだ。
「ダイチ……ごめんね」
冷たいタオルで足を包みながら、飼い主はそっと謝った。
翌日から、ダイチには靴を履かせることになった。
柔らかく、通気性のいい夏用シューズ。
しかし、問題は「初めての靴」だった。
ダイチは不思議そうな顔をして、ぎこちない足取りで歩き出した。
片足ずつ妙に高く上げて、左右にバランスをとりながら、まるで水たまりを避けているような動き。
「ぷっ……」
思わず吹き出しそうになった飼い主は、でもすぐに表情を戻した。
その顔には「困ってる」がはっきりと出ていたからだ。
「かわいい、で笑っちゃだめか。ダイチは真剣なんだよね」
靴を脱がせて、もう一度足を拭いた。
「慣れていこうね、少しずつ」
何度か練習を重ねるうちに、ダイチは徐々に歩き方を覚えていった。
最初はぎこちなくても、次第に足運びはなめらかになっていき、
今では、夏の散歩といえば“靴を履いてから出かける”のがすっかり日課になっている。
靴を持ち上げると、ダイチが前足を差し出してくれるようになったのを見て、
飼い主は思わず小さく頷いた。
その晩、ダイチは玄関に並べた靴のそばで眠っていた。
小さく折りたたんだ体の前に、靴がぴたりと寄り添っている。
まるで、誇りのように。
玄関の靴のそばで眠るダイチの横顔を見つめながら、飼い主は小さくつぶやいた。
「ちゃんと、今日も伝えてるんだね、自分のこと」
そのとき、窓の外で風がひとすじ流れた。
地面の熱が冷めゆく気配とともに、名前がそっと風にゆだねられる。
——ダイチ。
その名が運ばれた先で、ミトハが静かに頷いていた。
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