第14話『夢でナナをもう一度抱きしめた』

 ナナは、パピヨンの女の子だった。

 ふわふわの耳と、小さな体。

 くるくる動く瞳と、人懐っこい性格で、家族みんなにかわいがられていた。


 


 でも——とくにいちばん可愛がっていたのは、お父さんだった。


 


 「ナナちゃ〜ん」

 と呼ぶと、パタパタと耳を立てて駆け寄る。

 そのたびにお父さんは「ほんまにかわいいなぁ」と顔をほころばせた。


 


 ナナは、家族の宝物になった。


 


 お父さんとお母さんが毎日散歩に連れていき、芸を教え、「くるん」や「お手」や「ハイタッチ」まで覚えた。

 親戚が集まる日には披露するような、明るく賢い子だった。


 


 ——そして数年がたち、お父さんが病気になった。


 


 入院が決まった日、ナナは何かを察したように、玄関でじっとお父さんを見送っていた。


 


 ナナは病院には行けない。

 毎日、家で留守番をした。


 


 玄関に向かって耳をすませたり、誰もいない部屋の椅子の前で、長い時間じっとしていた。


 


 「なんで帰ってこないの?」

 そう聞きたそうな顔で、何度もお母さんを見上げた。


 


 半年の闘病の末、お父さんは静かに息を引き取った。


 


 それからもナナは、お父さんのいた椅子のそばにいることが多くなった。

 誰にも呼ばれていないのに、椅子の脚に体をあずけて座っていた。


 


 ナナも、少しずつ年をとった。


 


 動きがゆっくりになり、毛の色も薄くなっていった。

 ごはんの量が減り、寝ている時間が長くなり、ある日、眠るように旅立った。


 


 お母さんとお兄さんのふたりに見守られての、静かな最期だった。


 


 ——その夜。


 


 夢を見たのは、次男の嫁である「私」だった。

 ふだんは夫と一緒に暮らしていて、実家にはなかなか戻れていなかった。

 でもその夜の夢では、私はたしかに——実家のリビングにいた。


 


 ソファには、お母さんと長男のお兄さん。

 その隣に、私と夫(次男)が並んで座っていた。


 


 会話の内容は覚えていない。


 


 でも、ふいに、リビングの奥に目をやったとき、

 そこに——お父さんが座っていた。


 


 本当に、そこにいた。


 


 にこにこと笑っていた。

 まるで、生きていたときと同じように。


 


 誰も気づいていない。

 お母さんも、お兄さんも、夫も。

 気づいていたのは、なぜか私だけだった。


 


 そして、お父さんが言った。


 


 「ナナちゃ〜ん」


 


 その声に、小さな足音が返る。


 


 どこからともなく現れたのは、

 尻尾をふって駆け寄る、若返ったナナだった。


 


 ナナは、お父さんの胸にぴたりと飛び込む。


 


 お父さんは、何も言わずに、

 ただやさしく、その小さな体を抱きしめていた。


 


 私は、胸がいっぱいになって泣いた。


 


 ——夢の中でも、涙はあたたかかった。


 


 朝、目が覚めたとき。

 それが夢だったと分かっていたけれど、

 ずっと胸の中に、しあわせが残っていた。


 


 きっと、あれは——ただの夢じゃなかった。


 


 あの声も、あの名前も、

 ちゃんと、風のなかにあった。


 


 ミトハは、その名を記録する。


 


 ナナ。

 もう一度呼ばれた名前。

 もう一度抱きしめられた、やさしい夢の中の犬。


 


 ——呼ぶ声があれば、会える日がある。

 たとえ夢でも、風でも、忘れない。


 


 だから今日も、風はそっとその名を運んでいる。

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