第11話『リズムとポルカ、小さな拍子で』

 リズムは、ヨークシャーテリアの老犬だった。

 小さな体に、よく手入れされた長い毛。

 けれどその瞳は、少し白く濁っていて、耳も遠くなり、歩くスピードもすっかりゆっくりになっていた。


 


 もともとこの家には三匹の犬がいた。

 父犬の名前はチェロ。母犬はベル。

 そして、ふたりの間に生まれたのが、リズムだった。


 


 名前には、音楽のように穏やかであたたかな日々を、という願いがこめられていた。

 その名の通り、リズムはいつもふたりのあとを追って、小さく足音を鳴らしていた。


 


 けれど、母犬のベルは、リズムがまだ幼い頃に病気で亡くなった。

 父犬のチェロとともに、リズムはこの家で静かに歳を重ねていった。


 


 チェロは穏やかな犬だった。

 まるで牧師のように落ち着いていて、リズムにとっては“父”というより、“背中を見せる先生”のような存在だった。


 


 長い年月をともに過ごし、やがてチェロも年老いて、ある日、眠るように旅立っていった。


 


 家には、リズムひとりが残された。


 


 リズムは、あまり鳴くこともなかった。

 ひとり静かに過ごすその背中は、まるで時間の止まった部屋のようだった。


 


 朝は日差しの入る窓辺に座り、昼は寝て、夜は人の足音を聞きながら目を閉じる。


 


 のんびりとした時間。

 けれどそれは、リズムの足元から少しずつ、何かを削っていった。


 


 歩く回数が減り、反応も鈍くなった。

 散歩に誘っても、玄関でぺたんと座り込んでしまうことが増えた。


 


 そんなある日、飼い主が抱えて帰ってきたのは、真っ黒なちびすけだった。


 


 「今日から、この子も家族だよ。名前は……ポルカ」


 


 ポルカは、ブラックタンのチワワの子犬だった。

 足が短くて、しっぽがぴょこぴょこ跳ねている。

 ちょこちょこと走ってきては、なんでもおもちゃにするような元気いっぱいの性格。

 けれど不思議と、リズムのそばにだけはやけに懐いて、くっついて離れない。


 


 リズムは、その様子をじっと見つめながら、ひとつだけ大きなため息をついた。

 うるさい。落ち着かない。

 ちょっかいをかけられるたびに、軽く唸っては距離を取る。


 


 ——この家の空気が、変わった。


 


 それを、リズムは静かに受け止めていた。


 


 けれど、ポルカは気にしない。


 


 ひとりで遊び疲れると、ふいにリズムのそばに来て、おしりをぺたんとくっつける。

 尻尾でくすぐったり、毛をひっぱったり。


 


 リズムは最初、怒ったり、逃げたりしていたが——


 


 ある朝、いつの間にか、ポルカが横で眠っていた。

 あたたかくて、小さな寝息が、リズムの胸のあたりにゆっくり重なっていた。


 


 ……うるさい子だと思っていた。でも、悪くない。


 


 鼻先に触れるぬくもりが、昔の記憶をふっとなぞった。


 


 その瞬間、リズムの耳がぴくりと動いた。

 それはとても懐かしいリズムだった。

 チェロと並んでいたとき、ベルに寄り添っていたときのような——小さな音の重なり。


 


 その日から、リズムの歩みが、ほんの少しずつ変わっていった。


 


 庭を一周だけ歩いた。

 ポルカが転がしたボールを、ちょっとだけ鼻で押した。

 おやつを差し出すと、自分から一歩近づいた。


 


 それは、かつてのような元気ではないけれど——

 新しいリズムが、少しずつ鳴りはじめた証だった。


 


 夕暮れのリビング。

 ポルカが転がりながら眠り、リズムがその背にそっと顔をのせる。

 飼い主はその光景を、涙が出そうなほど愛おしそうに見つめていた。


 


 ——風が吹いた。


 


 ふたりの名前が、ぬくもりとともに、風にのった。

 リズム。ポルカ。

 違う拍子で生まれたふたりが、いまはひとつの調べのように暮らしている。


 


 その調べを、ミトハはそっと記録した。


 


 ——ひとりでは鳴らせなかった音がある。

 ふたりでなら、きっと続いていく。


 


 今日も、風がそっと、その小さな拍子を運んでいる。

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