5-5

 それを聞いたアリアは少し考えるような素振りを見せ、数秒ほど考え込んでから首を縦に振った。


「これは私とレンの連携が試されるわよ」

「俺たちは姉弟なんだろ?」

「もう、こういう時だけ調子いいんだから」


 作戦の内容は至ってシンプルだ。俺が時間凍結の詠唱魔法を使ってから各教室のドアを開いていく。中を確認し、敵がいたならアリアがすぐさま先制攻撃を仕掛ける。

 言葉にすれば簡単に感じられるが、俺が時間を止められるのは三秒だけ。この短い時間の間で状況を判断し、先手必勝で敵を無力化する技量が求められる。


「それじゃあ、奥の教室から順に扉を開くぞ。もし生徒しかいないのなら、騒がれないように扉はすぐに閉めるからな」

「任せなさい。私が動かなければ扉はすぐに閉めていいから」

「あぁ、頼んだぞ」


 俺たちは音を立てないようにしながら一番端の教室まで移動する。

 四階のフロアは悲鳴や叫び声は一切聞こえない。そのため敵がどこに潜んでいるのかも見当がつかない。


「じゃあ、お願い」

「刻よ止まれ」


 魔法が発動。俺はすぐさま教室のドアをスライドさせる。


「ビンゴ」


 アリアは教室の中を確認すると、すぐさま入り込んでいく。

 俺も追いかけるようにして教室の中に入る。……そして三秒が経過する。

 教室には手足を縛られ床に転がっている女子生徒たちと、タバコを吸いながらだるそうにしている男の姿があった。


「なんだお——————!!」


 男の言葉が最後まで紡がれることがなかった。アリアの魔法により顔を水の塊で覆われたからだ。息が出来ないため、男は苦しそうにジタバタとしている。


「仕上げはこれ」


 アリアは左手に集約した呪いを、男の腹に容赦無くとぶち込んだ。男はしばらくビクビクと痙攣したのち、顔面から床に向かって倒れ込む。


「さすがだな」

「この男が警戒心なさすぎ。こんな状況でのうのうとタバコをふかしているなんて、殺してくださいと言っているようなものよ」


 扉を開けた瞬間に敵が襲ってくるかもしれない……その前提のもとで計画した作戦ではあったのだが、アリアの早技を持ってすればそれも杞憂だったかもしれない。


「これで四階の敵はあと一人」

「油断しないで。常に最悪を想定して行動しないとだめ」

「すまない。それもそうだな」

「分かればいいの。————それであなたたち、悪いけど敵を無力化するまではそのままで待っていてくれるかしら」


 アリアは縛られている女子生徒たちにそう声をかける。それに対して女子生徒たちは必死に頷くことで応じていた。すぐに助けてやりたいがこのフロアにはまだまだ敵がいる。まずはそちらを始末するのが先だ。


「ふざけんな! この家畜がぁ!」

『!?』


 何処からともなく聞こえてくる男の罵声。俺とアリアはすぐさま動き出す。この女子高で聞こえてくる男の声なんて、どう考えても立てこもり犯のものだろう。


「どこから聞こえた!?」

「あっちだ!」


 男の声が聞こえてきた方へ一直線に向かっていく。

 そして今も言い争うような声が聞こえてくる。これなら教室の特定も容易だ。

 徐々に近づいてくる声。たぶん、あの教室だな————一年三組? プレートに書かれた文字を見て思わず面食らってしまう。


「ミア!」

「ちょっと待ちなさい! レン!」


 アリアの静止の声は届かない。俺には何よりも優先すべきことがある。

 一年三組というのはミアが所属しているクラス。そのクラスの教室から聞こえてくる罵声……そんなの嫌な予感しかしない。


「てめぇ、よくもイーヴィシュの家畜の分際で……この俺のことを殴ったな!」

「私の友人に手を出すことは許さない!」


 この声は……!? 俺は一切ためらわずに教室の中に飛び込んだ。

 案の定、俺にとっては最悪な光景が広がっていた。赤くなった頬を抑えているシドの仲間。その足元にはスチュワートさんが衣服を乱した状態でうずくまっている。そして、いきり立った表情で男を睨みつけるミア。


「て、てめぇはあの時の!?」

「あなたはだれですか!」


 突然の来訪者に対して、シドの仲間は驚いた表情を浮かべ、ミアは警戒心を隠そうともせず殺気立っている。


「安心しろ、味方だ。……それより」


 放っておいたらミアが襲いかかってきそうなので弁明はしておく。とりあえずミアが無事でよかった。ミアに何かあったら、俺は生きる意味も戦う理由も完全に失ってしまうところだった。

 しかし、その安心感を塗りつぶすようなドス黒い感情が湧き出てくる。

 顔見知りのスチュワートさんが下劣な男によって穢されかけた。そして、それがミアだった可能性も十分にあること。一足遅かったらどうなっていたことか。


「ち、近寄るんじゃねぇ! この女を殺すぞ!」


 シドの仲間はスチュワートさんを無理やり立たせ、その首にナイフを突き立てた。


「エマ!」

「お前もだ! クソアマ! こいつの命が惜しければ動くな!」

「い、いやぁ! 誰か助けて……」


 スチュワートさんはか細い声で、瞳に涙を浮かべながら助けを乞う。

 それを見て、ミアは悔しそうに唇を噛み締めている。


「あなた、ちょっと待ちなさい……って穏やかじゃないわね」


 遅れてアリアが教室の中に入ってくる。


「ちくしょう! 仲間がいやがったのか!」

「……あいつは俺がやる」

「そう、じゃあ任せたわ。私は見学してるから」


 アリアの手助けはいらない。目の前のクズは俺がこの手で始末する。

 男は怯えた目をしながらこっちを必死に牽制している。


「いいんだな!? この女を殺すからな!?」

「エマに手を出すな! あなたも誰だか知らないけど余計なことしないでください! これは私の問題なんです! 私が代わりに人質になるからその子を離して!」


 ……ミア。お前は本当に優しいな。そして勇敢だ。だが、お前は命を張る必要はないんだ。俺が、全部、引き受けてやる。お前をこちら側にはこさせない。


「————刻よ止まれ」

 

 時間が凍りつく。常に進み続ける秒針が三秒だけ猶予を与えてくれる。

 俺は男の方に向かって駆け足で向かい、その手に握られているナイフを奪いとった。

 秒針が再び時を刻み始める。


「な、なんだ! どうして俺の目の前に!?」

「その子を離せ」


 俺は男を突き飛ばしてスチュワートさんを救出する。


「エマ!」

「ミアちゃん! うっうぅ。怖かった!」


 男の手を離れたスチュワートさんはミアの方に向かって駆け出す。

 そしてミアの胸に飛び込むと、声を詰まらせながら泣いていた。無理もない。普通に生きていたら、このような恐ろしい経験することはないのだから。

 ……さて、俺は自分のなすべきことをなさねば。


「俺に何をしたんだ!」

「…………」

「やめろ! 近づくな! お、おい!」

「その人をどうするつもりですか!」


 俺がナイフを持って男に詰め寄ると、ミアが怒気を含んだ声で問いかけてくる。


「そんなのわかるだろ」

「殺すつもりですか!? その人は確かに悪い人です。でもだからって、あなたが人を殺していいという免罪符にはならないはずです!」

 

 少し前の俺なら、この言葉を聞いてきっと手を止めていたはずだ。

 それは少し前までの俺の考え方。俺が捨ててしまった理想だ。


「免罪符なんていらない。人殺しは等しく罪だ。俺がこいつをぶっ殺してやりたいから殺す。それ以上の理由なんてない」

「うああああああああああああああああああああああ」

「やめて!」


 ミアの声を無視する。俺は男の首にナイフを突き立ててやった。

 冗談みたいに溢れ出てくる血。きっとこれからも、俺はこの血を浴び続けることになる。

 しかしもう止まらない。どんなに罪深くてもいい。負ける善人より、勝ち続ける悪党の方がいい。時代を支配してきたのはいつだって勝者だ。


「これで四階は制圧できたわね」

「……あぁ。あとはシドを殺すだけだ」


 すべてが終わったことを確認して、アリアがこちらまでやってくる。声音はやけに優しく、まるで罪を一緒に背負ってくれようとしているようだった。


「あなたたちは何なんですか! こんな風に助けられたって、ちっとも嬉しくなんてありません!」


 仮面の効果は絶大で、ミアは俺とアリアの正体に気付いてない。


「俺たちはただの人殺しだよ。俺たちなんかに構っている暇があったら、クラスメイトや同学年の子たちを救出したらどうだ?」

「言われなくてもやります! いいですか、私はあなた方のことを絶対に許しません。罪人は等しく法によって裁かれるべきなんです。決してこのような私刑を容認するわけにはいきません!」

「そうか……」


 ミアの言うことはもっともだ。何一つ反論する余地がない。

 心から守りたいと思っていた存在から憎悪の感情を向けられるというのは、思った以上に心にズシンとくるものがある。痛い……すごく痛い。


「————でも、助けていただいたことには感謝しています。ありがとうございました。……それだけです。早く私たちの前から消えてください」

「いきましょうか」

「あぁ」


 アリアに促されて教室を後にする。

 ————よかった。俺がやったことは人として許されない行為。どんな理由をつけようとも許されることではない。

 だが、あの「ありがとう」という言葉にほんの少しだけ、本当に少しだけ救われた。

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