3-7

「どういうことだ」

「はぁ……はぁ……まさかこっちの魔法まで使わされるとはね」

「なぜ、水魔法を使えるんだ!」

「私もあなたと同じような境遇ってことよ。自分だけが特別だなんて思わないで」


 つまり、こいつの母親は……水属性を扱うことのできる一族の系譜ということか。

 水属性が使える人種といえば、五大国家の一つであるアブゴンドのアブゴンド人、そのアブゴンドから独立して生じた王国であるファーズのファーズ人。

 ファーズ人? そういえばファーズ人といえば————


「だから、あのメイドとつながりがあったのか」

 

 尾行した際に現れたあのメイド————彼女の格好はファーズ王国の侍女が身につける伝統衣装だった。


「あぁ、ソフィーのことね。なるほど……察しがいいわね。あなたの予想通り、私の母はファーズ人よ」

「しかし、ファーズ王国は……」

「無駄なおしゃべりはそれまで。戦いの最中だって忘れた?」

「もう限界だろ。必要以上に痛めつけるのは主義じゃない」

「やっぱり甘いわね。私を殺すんでしょ? それともなに、私が命だけは助けてって泣いて懇願したら助けてくれるの?」

「………………」


 俺は言葉を失う。先程まではあった覚悟はどこにいってしまった。

 甘さを捨てるんじゃなかったのか。


「魔王を殺すんでしょ? なら掛かってきなさいよ!」


 そう言って、アリア・フォードは両手から大量の水を噴出した。

 凄まじい勢いで水がこちらに迫ってくる。

 くそ、これじゃあ時間を止めている余裕もない。せめて肉体強化だけでも……!

 ————気がつくと、俺は壁に激突していた。


「げほっ! げほっ!」


 息ができない。壁に受け身も取らずに叩きつけられた衝撃と、大量に飲み込んでしまった水の影響だ。目の前が真っ白になり、苦しさのあまり涙目になる。


「休んでいる暇はないわよ」


 続けざまに、アリア・フォードの呪いが体を蝕む。体は何一つ言うことを聞かなくなり、顔面から床に倒れこむ羽目になった。

 呼吸もままならず、起き上がる気力すらもない。ただアリア・フォードがこちらに近づいてくることだけが分かる。


「レン!」

「ベルネス君。邪魔しないでくれるかしら」


 控えていたリックの声が聞こえる。くそ、俺が不甲斐ないばかりに。

 動かない体を必死に動かして、なんとか顔を上げる。


「レンは殺させねぇ!」

「これは、魔王の血族同士の戦いなの」


 高速で迫っていくリックに対し、アリア・フォードは回避動作すら見せない。

 …………どういうつもりだ。


「ぐああああああああああああああああ」


 意味が分からなかった。

 突然、リックはその場に伏せって悶え苦しみだした。


「はぁはぁ……リックに何をした!」

「見てわからない? 魔王の呪いよ。魔王が生み出した惨劇、恐怖、絶望。人々の集合無意識が感じている魔王へのイメージを呪いとして表出したもの」

「魔王の呪いだと?」


 アリア・フォードは当然知っているでしょ、とでも言いたげだ。

 しかし、そんな呪いを聞いたことがなかった。


「ふーん、魔王の血族が全員使えるってわけじゃないのね。なら教えてあげるけど、この呪いは魔王の血族には効かないけど、魔王の血族以外だったら呪いの力でいとも簡単に対象を殺せるわ————早くしないとベルネス君死んじゃうわよ」

「…………魔王の呪いだかなんだか知らないが、あんまり俺たちをなめるな」


 自分にかかっていた呪いを解除し、ゆっくりと立ち上がった。呪いなんてものは内なる魔法力でいくらだって解除できる。当然それはリックだって同じことだ。


「くそ、めちゃくちゃ効いたぜ……。だが、これくらいでへばっちまうような柔なトレーニングはしてないんでな」

「……驚いた。一応、魔王を殺すってのは本気だったみたいね」

「リック助かった。もう大丈夫だ、これで終わらせる」

「任せたぞ、相棒」


 リックは倒れたままの姿勢で拳を突き出してくる。

 いい加減にこの戦いを終わらせよう。気丈に振る舞ってはいるが、アリア・フォードだって限界がきている。

 異常な発汗、荒い呼吸、フラつき。立っているだけで精一杯という感じだ。


「追い詰められているのはあなた達の方でしょ?」

「……それはどうだろうな」


 俺は懐から魔法銃を取り出す。アリア・フォードが突然教室に来る前まで、調整のため点検していた。あの時、咄嗟に制服の内ポケットに隠していたのだ。


「ふふふ、銃? よりにもよって銃? そんなものでは、水の壁を貫通させることはできないわよ?」

 

 そう言って、アリア・フォードは自分の前に分厚い水の壁を生じさせた。

 先程、咄嗟に生み出したものとは比べ物にならない。これじゃあ、この魔法銃をもってしても貫通させることは不可能だろう。


「貫通はできなくても、それくらいの壁なら余裕で吹っ飛ばせる」


 俺は躊躇なく引き金を引いた。凝縮された魔法が破裂する音と共に、目の前に生じた水の壁が跡形もなく吹き飛んだ。

 そして、すぐさま自分の体に肉体強化の魔法をかけ、アリア・フォード目掛けて勢いよく駆け出した。再び水魔法を展開させる暇を与えない。


「それが作戦なら甘いわ! 呪いの存在を忘れた?」


 ずっしりと体が重くなる。だが、間髪入れずに魔法力を解き放つ。一瞬で呪いは解除される。一方で肉体強化の魔法も解除されてしまった。


「いくぞ!」

「肉体強化が解除されたらどうとでもなるわ!」


 確かに、このまま殴りかかったところで命を奪うことはできないだろう。

 そんなことは分かっている。分かっているからこそ、対策も講じる。


「二、一…………零」

「っつ、肉体強化の魔法がかかっている!? この短時間でどうやって!?」


 肉体強化魔法の発動権を先送りした。

 呪いをかけられること見越して、時間断絶の魔法を使っていたのだ。

 これで肉体強化した状態の拳がアリア・フォードまで届く。今度こそトドメを刺す。

 もう迷わない、手加減できるような相手ではないのだから。


「うおおおおお!」

「残念。私の方が一枚上手だったみたい」


 俺の拳はアリア・フォードに届かなかった。……近づいてようやく分かった。先程生じさせた水の壁の内側に、より透明で分かりづらい水の壁を展開していたのだ。

 拳の勢いは水の壁によって殺される。

 これでようやくアリア・フォードをむき出しの状態にできたというのに、俺にはもう立ち上がる力は残っていなかった。そのまま床に倒れこんでしまう。


「私の勝ちね」

「…………いや、俺の勝ちだ」


 立ち上がる力はない。だが、彼女を倒す布石はすでにうっている。

 静まり返っていた空間に、再び凝縮された魔法が破裂する音が響き渡った。


「なっ!?」

「『銃の引き金を引く』という動作の現出時間を変動させていたのさ。まさか、ここまですることになるとは思っていなかったが」


 本当は自分の拳でケリをつけるつもりだった。

 でもこれで終わりだ。次の瞬間には彼女は木っ端微塵になっているはず。


「……私はこんなところで終わるわけにはいかないのよ!」

 

 銃の圧縮された魔力が、彼女の体を木っ端微塵にするはずだった。

 そう、……はずだった。しかし、実際は違った。

 銃によって放出された魔力は、アリア・フォードに激突する前に消失してしまう。

 最後に残ったのは大きな闇の穴。どこに繋がっているかもわからない。底が見えもしない穴だ。当たり前のように、そこには深淵があった。


「くそ、俺の負けか」


 裏の裏をかいたつもりが、まさかこんな奥の手があったなんて。


「いいえ。負けではないわ」


 そう言ってアリア・フォードは床に倒れこんだ。

 まるで体中の力が根こそぎなくなってしまったようだった。


「これが私の奥の手。闇の「深淵さ」の性質を活用した魔法。私の闇魔法は深淵への道を開け閉めする能力。あの銃から生み出された魔法力は深淵へと吸い込まれていったわ」

「……よくわからない能力だな」

「そうね。あたしも未だに使いこなせてないわ。普段は深淵から呪いを取り出すくらいしかしないんだけど……今日はかなり大きな穴を開けたわ。だからもうボロボロ」

「なら引き分けってことか。じゃあどうする。起き上がったら再戦か?」

「別に、もう戦わなくてもいいんじゃないかしら」

「は?」


 アリア・フォードが意味のわからないことを言い出した。

 俺たちは、殺すか殺されるかの間柄だったはず。今更、殺し合わないという選択肢なんて用意されていないはずだ。


「クリームメロンソーダ、パンケーキ、いちごのパフェ、チーズケーキを一人で完食したのを見られたのは恥ずかしかったけど、それで殺すのもどうかと思うし」

「そういう問題じゃないだろ! 俺は魔王を殺すのが目標で、お前は魔王の血族だ。争う理由なんていくらでもあるはずだ」

「別に、私はあなた達の敵じゃないわよ」

「そんなわけないだろ!」


 ここまで何度も何度も命を奪われかけているのに、今更なんだというのだ。


「やーねー。ちょっと殺しあったくらいで、そんなに敵視しなくてもいいじゃない。私はあなた達のことを認めたわ。だから、私もデイブレイク(?)だっけ、それに加入してあげる」

「ちょっと待ってくれ。全然意味がわからない」

「だから、私も仲間に入れてって話よ。敵の敵は味方っていうでしょ?」


 どんなに真面目に考えても状況を理解することが出来なかった。

 だが、そんな俺の理解などお構いなしに、アリア・フォードはゴーイングマイウェイで自分の考えをひたすらに押し付けてくる。

 とりあえず考えるのをやめた。……もう、頭を使うのが億劫だ。

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