第2話


「メリクなんか今日は機嫌がいいな」


 翌日魔術学院に行くと友人であるイズレン・ウィルナートが不思議そうに声を掛けて来た。

「え? そう?」

「うん。朝からなんかうきうきしてないか?」

「そうでもないけど……」

「いーや! してたね。お前なぁ、何でこの時期にそんな嬉しそうな顔が出来るんだ。周りを見ろ、みんな死人のような顔をしてるだろ」

「死人って」

 友人の大袈裟な表現にメリクは吹き出した。

「そういう俺も今回の総学の試験はホントにマズい。何がマズいっていうか全部マズい……おっ、メリクこの薬学のノート見せてくれよ。俺この時寝てたんだ」

「いいよ」

「ありがとう助かるぜー。メリクのノートは見やすいな!」

「イズレンの字って……、えっと、……独創的だね」

「はっきり下手って言えよ。自覚はちゃんとある」

「あははっ」

「悪筆はウィルナート家の血なんだ! 俺のせいじゃない! ……あ、この結界図法のノートも借りていいか? おおお……お前の呪印ってすっごい正確だよなぁ。ここんとことかさ……すげえな、どうやったらこんな風に描けるんだ? 今度コツをぜひ教えてくれよ」

「うん、いいよ」

 何だかんだ言って一生懸命試験に臨もうとしてるイズレンをメリクは優しい目で見ていた。彼も上手く行くといいなと思っていたのである。


「で?」


 メリクのノートを右手で書き写しつつ、左手で珈琲の入ったコップを飲みながらイズレンが突然聞いて来た。


「ん?」

「何がそんなに嬉しいのか、お兄さんに話してみろよ」

「別に……何でもないよ?」

「あっ、何だよ秘密か⁉ 気になるだろ言えよ!」

「本当に大したことじゃない」

「気になって勉強に手が付かない。俺が試験に落ちたらメリクのせいだぞ。いいんだな」

 子供のようなことを言われてメリクは笑ってしまう。

「本当に何でもないんだ。ただ」

「ただ?」

 イズレンが興味津々で身を乗り出して来る。

 メリクは自分の栗色の髪の上に手をかざして、昨日のことを思い出したように嬉しそうな顔をした。



「背が、のびてたんだ」



 リュティスは昔から背の高い人だったけど、昨日思いがけずその側に久しぶりに立った時、リュティスと交わった視線の感じが違うことにメリクは気づいたのだ。

 いつも下から深く見上げていた為か、……昨日見たリュティスの瞳は光が僅かに入っていていつもよりその琥珀色がいっそう鮮やかな色をしていた。

 それが綺麗で思わず声を出してしまったからリュティスに気づかれてしまい、問われて、メリクは瞳を外すしか無かった。


(もうちょっと見ていたかったのに)


 失敗したなぁ、と思う。

 まだまだ未熟なのは自分でもよく分かってる。

 でも少しでも成長が形になって現われたように思えてひどく嬉しかったのだ。

 もっともっと、リュティスの瞳にこれから近づけるのだろうか?

見上げる距離が変われば、あの美しい瞳の見え方もまた変わるのかな。


「お前……」


 イズレンの方を見ると、彼は半眼になってる。

「背が伸びてたんだって…………それだけ?」

「うん、それだけ」

「はあーーーーっ⁉」

「だから何でもないって言ったでしょ」

 メリクは気にせず手元の教本に視線を戻した。

 イズレンは尚も何か言おうとしていたが、それは言葉にはならなかったらしい。

「……もういいや。……ったく、こともあろうに背が伸びたって……あのなあ、背が伸びても点数は増えないんだぞ」

 ぶつぶつ言っている。


「お前ってホント、…………変な奴!」


 友の不満な呟きに笑いつつ、捲った自分のノートにある見慣れたリュティスの字があることに気づいた。

 その整った字列に指を滑らせる。

 メリクはその時初めて心の中に、今まで学んで来た全てのことを魔術学院の試験にぶつけてやる、という強い想いが自分の中に生まれて来るのを感じた。


 怯えも恐れも孤独も……そんなものはどうでもいい。


 ただ確かにリュティスが教えてくれた魔術の知識……サンゴール最高の魔術師が自分のような何も無い人間に、長い時間をかけて教えてくれたこと。

 それはメリクにとって、ここに集って来る人間達の知識と競わせて、何ら劣ることは無いと確信させるだけの強さがあった。


 サンゴールの第二王子の功績は、いつも国の陰に隠れている。

 存在するのは畏怖だけだ。


 だが、自分はあの人によって生かされたのだ。

 導かれ、ここまでの学ぶ喜びを手に入れた。

 

 自分が魔術学院で良い成績を修めれば、それだけでもリュティスの名誉を守れる。

 メリクはむしろそれは望むところだと思っていた。

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