第7話 限界の街リミット・タウン
夜の街が、どこかいつもと違う空気をまとっていた。
ミナミのネオンも、今日は妙に静かに瞬いている気がした。
決戦前夜――。
この街に火を点けるか、鎮めるか。すべてが、明日決まる。
街の片隅にある倉庫跡地。そこに集まったグレーエッジのメンバーたち。
いつもは口の悪いケンジも、ヘラヘラ笑ってる三宅も、今日は静かやった。
タクミはひとつの袋を抱えて、みんなの前に立つと中から灰色のパーカーを取り出した。
「チームのユニフォームっちゅうほどのもんやない。でも、せめて――気持ちくらいは一つにして行こうや」
それぞれに手渡されたグレーのパーカー。
サイズもバラバラ、デザインもシンプルなアメ村のアパレルショップで見つけたやつやったけど、
着てみると不思議と、そこに確かな一体感が生まれた。
LED宣伝トラックの横では、ケンジと三宅が最終確認をしていた。
三宅は久しぶりのトラック運転に緊張して、ハンドルを握る手が汗ばんでる。
「おい、三宅。事故ったら俺らの作戦、パーやぞ。頼むで」
「わ、わかってるって……」
ケンジはトラックの中に乗り込み、システムをチェックしていた。
「……よし、映像、問題なし。音もOK。これでタクミのナレーションもリアルタイムで流せるはずや」
そして、少し離れた場所ではアカリが一眼レフのカメラを構えながら、最終チェックをしていた。
今日は彼女にとっても最後の舞台。
タクミの姿を、ちゃんと記録に残すため。
そのカメラはケンジの機材とリンクして、LEDトラックのスクリーンに生中継されるようチューンされていた。
「これで……本番、行ける」
俺はひとり、少し離れて、イヤホンを耳に差し込んだ。
流れてきたのは、いつものジャズ。
スウィングのリズムに身を預けながら、頭の中で作戦を何度も繰り返す。
――タイマンは17:00。
それまでに、トラックを所定の位置に停める。
集まった若者たちに映像を流し、暴力の本質を突きつける。
俺は拡声器を使ってナレーションをする。現場を言葉で繋ぎ、導く。
準備完了や。
「よっしゃ、行こか」
みんなが輪になり、自然と円陣が組まれた。
言葉はなかった。けど、誰もが感じてた。
この一歩が、街の未来を変えるかもしれへんと。
そのまま、LEDトラックのエンジンが唸る。
グレーのパーカーを羽織った俺たちは、三角公園に向けて静かに走り出した。
現場に到着すると、すでに300人以上の若者たちが集まっていた。
見慣れた顔ぶれ――各チームの幹部たちも前線に立ち、静かに目を光らせている。
時刻は16時30分。
カラフルなファッションで着飾ったストリート系の連中が、アメ村らしくギラギラと目立ちながら一角を占める。
対して、リミット側の連中は黒スーツで統一された威圧的な雰囲気を纏い、無言で睨みを利かせていた。
三角公園を取り囲むようにして、両陣営がにらみ合う。
張り詰めた空気に、誰もが一触即発の緊張を抱えていた。
隣の交番前に立つ警察官たちも、遠巻きにこちらを見てはいたが動かない。
今のところ事件は起きていない。ただ、若者たちが「集まっているだけ」。
彼らも上の指示がなければ動けない。
そんな曖昧なルールの隙間に、この時間は成り立っていた。
LED宣伝トラックはゆっくりと公園脇に停車し、エンジン音を静かに落とす。
ドアが開く。
中から、グレーのパーカーを着た俺たち四人――グレーエッジのメンバーが姿を現した。
一瞬で、その視線が集まる。
誰もがこちらに注目していた。
敵でも味方でもない。
けれど、全ての中心に立とうとする俺たちを、目で測るように見ていた。
その視線の中を、俺たちは臆することなく進む。
半グレとギャングの間――ギリギリの隙間にグレーのパーカーを着た第三の勢力の俺たちが割って入り、そのまま三角公園の中央に歩を進めた。
足音が、まるで戦場の始まりを告げる鼓動のように響いた。
そのとき、場の空気が一変した。
――ドゥゥゥン、と重低音のエンジン音。
三角公園の端に、黒塗りのハマーがゆっくりと滑り込んできた。
騒めきが広がる。
まず降りてきたのは、漆黒の革ジャンに身を包んだ男――カズマ。
金のチェーンが喉元で揺れ、足元には限定モデルと思しきドクターマーチン。
その後ろからは、鋭い眼光の親衛隊の男二人がピッタリと付き従っていた。
カズマの登場に、ストリート側から「カズマぁぁ!」「兄貴ィィ!」と歓声が上がる。
そして、もう一台――対角線上に、白いベントレーが止まった。
重厚なドアが開き、スーツ姿の男がゆっくりと現れる。
――レイジ。
半グレ集団〈リミット〉のボス。
上質なウールのダブルストラップスーツに、光沢のある革靴。
横には、190センチを超える体躯の護衛が二人。
まるで映画のワンシーンのような威圧感。
こちらの陣営からも「レイジ!」「兄貴ィィ!」と怒号混じりの歓声が響いた。
静寂と喧騒が交互に押し寄せる中、二人の男が中央――俺の立つ場所へと向かってくる。
公園の中心に、視線が集中する。
左にカズマ。
右にレイジ。
両陣営の王が、いま、真正面から向かい合った。
――その瞬間。
俺は、ゆっくりと拡声器を口元に当てた。
「今日は、決着をつけに来た――そうやろ、兄貴ら?」
声が、公園全体に響く。
歓声が一瞬静まり、数百の視線が中央に集まる。
「けど、その前に――ひとつ、見てもらいたい映像がある」
俺はLEDトラックに目配せした。
次の瞬間、公園脇の巨大スクリーンが光り出す。 「2010年 東西抗争記録」
次の瞬間、静寂を切り裂くように、あの旋律が流れ出した――加古 隆『パリは燃えているか』。
どこか冷たく、それでいて悲壮なピアノとストリングスの旋律が、公園全体に響き渡る。
画面が切り替わる。
夜のミナミを映した、ケンジが編集した映像。
看板が砕かれ、ガラスが飛び散り、怒号と悲鳴が交錯する路地裏。
倒れ込む若者、血に濡れたシャツ、逃げ惑う観光客。
その間を、バットを振るう男たちが走る――。
観衆の誰もが、息を呑んでスクリーンを見守っていた。
その時、映像が再び切り替わり、今度はマイクを握った俺の姿がLEDに映し出される。
「……俺は、今日このケンカを仕切らせてもらってる、タクミや」
俺は静かに、でも腹の底から声を出して語り始めた。
「中には、顔見知りも、知り合いもおると思う。けど今日は、中立の立場でここに立ってる。
俺はこの街で生まれて、この街で育って、この街を――心の底から愛してる」
視線が、熱を帯びて集まる。
カズマも、レイジも、無言でスクリーンを見上げていた。
「ミナミのバーのカウンター越しに、いろんな夜を見てきた。
誰が何を失い、誰が何を守ってきたかも、ずっと見てきた。
だから言わせてもらう。この無意味な抗争……俺が止める」
その瞬間、LEDの映像が切り替わる。
ガールズバーの薄暗い店内の監視カメラ映像。
女の子が床に膝をついて泣いている。男の怒号、投げつけられるグラス。
その映像が、次々と無編集のまま流れ出す。
「なんやこれ……」「あれ、あの店ちゃうん……?」
若者たちがざわつき始める中、リミット側の構成員の一人が叫んだ。
「映像止めろや!! ワレ、なにさらしとんじゃボケェ!!」
その怒声に、俺はすかさず拡声器を握って叫んだ。
「――黙れ!!」
その声は、凍るように鋭く、場を一瞬で制した。
「これは、お前らがやってきたことや。
今さら見せるなって言うなら、初めからやるなや。
これは、ミナミの“現実”や」
騒めきが広がる中、LEDスクリーンが一瞬ノイズを走らせ、次の映像に切り替わった。
それは――タカシが命懸けで撮ってきた、決定的な証拠だった。
画面に映し出されたのは、ミナミにある某キャバクラのVIPルーム。
赤いソファーにふんぞり返るのは、暴力団本部の若頭。
その隣でペコペコと頭を下げながら盃を交わすのは、タカシが勤めていたフロント企業の社長だった。
「いやぁ若頭、ほんますごいっすわ……東の半グレに知恵与えて育てて、デカなったらうちをバックに金を吸い上げる。ほんで次は……あれや、西のブラックハウンドやっけ? あの勢力と揉めさせるために火種撒いたって話も聞きましたで」
「フッ、あいつらガキや。血気盛んやから、ケツ叩けばすぐ抗争や。うまく争わせて、ブラックハウンドが弱ったとこに俺らが入り込んで、両方から吸い上げる。西も東も、道具や」
「いやぁ……これからの時代、音楽業界への進出ってのはほんま大事ですわ。暴対法で手足縛られてるからこそ、表向きはクリーンな顔しといて、裏でしっかりシノギ作るって寸法やな! ……若頭!」
「フン……全部、仕込んだ通りや」
映像は、そこでブツリと途切れた。
――静寂。
300人を超える観衆の中から、誰一人声を出さなかった。
その空白を、俺が満たした。
俺の拡声器から、半分泣きそうな、震える声が響いた。
「……表で血を流してるのは、現場の若者。でも、その裏で笑ってるヤツがちゃんとおる」
「街を荒らして、仲間を傷つけて、最後に残るのは誰や? 利益をかっさらうヤツだけや」
「この戦争、誰のためにやっとる思う? お前らは中学くらいまでは同じ街や学校や族で一緒に過ごしてた仲間やろ!お互い西や東やいうて争って……そろそろ、気づかなアカンやろ!」
アカリが、その俺の姿をカメラでしっかりと捉えていた。
LEDには、両陣営のボスの間に立つタクミの姿が、大きく映し出されていた。
目に涙を浮かべながら、それでも声を振り絞って、ミナミの夜に響かせていた。
カズマとレイジが、揃って俺を見た。驚愕の色が、その眼に宿っていた。
――ただの仲立ち、喧嘩の見届け人やと思ってた男が、
中立を超えた第三の刃として、この闇の構造に風穴を開けに来たことへの衝撃。
そして、自分たちがヤクザの掌で踊らされ、抗争の全てが仕組まれた茶番やったと知った時の衝撃。
二つの色が、確かにそこにあった。
レイジが、俺を見据えて言った。
「……あの映像、ホンマもんやろ。声でわかるわ。あれ、ウチの若頭や。……俺ら、ホンマに、大人に踊らされてたんか」
声が震えていた。
「正直……俺はな、昔から気に入らんかったカズマに、今度こそ勝ったろ思てた。俺がこの街で、ホンマの“勝者”になるって……せやけど、そんな気持ちまで利用されてたんか……」
俺は頷くことも否定することもせんかった。ただ、視線を返した。
次にカズマが、ちょっと口元をゆがめて笑った。
「……なんか、お前のことやから、ただ黙って喧嘩見届けるだけで済むとは思ってへんかったけどな……ここまでやるとは思わんかったわ。ええ意味で裏切られた」
その時、俺のポケットの中で携帯が震えた。
――古市のおっちゃんや。
俺はすぐに出た。
『もう時間がない! 機動隊がそっち向かうで! 猶予はない!』
時計を見た。14時55分。突入予定まで、あと5分を切ってた。
俺は電話口で叫んだ。
「頼む……古市のおっちゃん……人生で一度のお願いや。今ここで終わらせんと意味ないんや!なんとか……15分、いや、10分でええ、時間くれ!」
受話器の向こうで、しばし沈黙が流れた。
『……俺、首飛ぶかもしれんぞ』
「飛んだら、店の飲み食い、一生タダにするわ!絶対や!」
『……あほやなお前、ほんまに』
少し笑ってから、古市が言った。
『わかった。署長に掛け合う。10分や、それ以上は無理や。お前はそっち、終わらせてこいや!』
「助かる!! 飲み食いは任せて!!」
電話を切った俺は、空を見上げて息をひとつ吐いた。
そして――気持ちを切り替えて、拡声器を手に取る。
「……さぁ、終わらせにいこうか」
最後の声を振り絞って、俺は三角公園の中心に立った。
拡声器を強く握りしめた。
息を整えて、まっすぐ前を見た。
その先には、東の仲間たちの顔が、西の仲間たちの顔が、沈黙のままこちらを見つめていた。
LEDトラックに映る自分の姿が視界の端にちらついていたが、もうどうでもよかった。
これは、俺の言葉でなきゃいけない。
「――今日ここに集まったみんなに、最後に伝えたいことがある」
「お前ら……今日、誰のために命張るつもりや?」
声が、三角公園に響く。
「仲間のためか?プライドのためか?……ちゃうやろ。ほんまは、誰のためでもない。始まりは、おっさんらの都合や」
「東や西や言うてもな、あの動画に出てたヤツらは、裏で握手して、笑っとんねん。うちらが血を流してる裏で、うまい酒呑んで、札束数えとる」
「お前ら、それでええんか?」
LEDに、さっきのキャバクラでの会話がもう一度無音で流れる。若頭の口が何度も「搾り取る」と動くたびに、公園の空気が凍っていく。
タクミの声が、かすれながら、それでも止まらなかった。
「……カズマ、レイジ。お前らは、ガキの頃から街の最前線を走ってきた。俺もずっと見てきた。尊敬もしてたし、嫉妬もしてた。でもな、ここまで来たんや。お前らの手で、この戦争を終わらせてくれへんか」
「俺らは……もう、“誰かのコマ”ちゃう」
「この街はな、誰かのシマでも、道具でもない。この街で生きる人間、一人ひとりのもんや。せやから……今、ここで引くのが、“ほんまの勝者”やと、俺は思う」
拡声器を置いた。肩で息をしながら、まっすぐにレイジとカズマを見る。
LEDトラックには、タクミの真正面からの姿が映し出されていた。
その表情は、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも願っていた。
先にタクミの想いに応えたのは、レイジやった。
レイジが、大声で叫んだ。
「リミットのみんな!キッツい制裁にも耐え、力つけたいっちゅうもん達が、俺についてきてくれて、ここまでデカくなった。それは、お前らがいてくれたから出来たことに違いない!でも……俺は、進む道を変えなあかん!」
「ヤクザに踊らされる子供じゃ、あかん! これからは西とも協力してデカくなって、ヤクザを跳ね除けられるくらいにならんとアカン!せやから……!」
「リミットは、本日をもって解散を宣言する!! やけど終わりちゃう! また形を変えて、お前らを迎えに行く! やから――抗争は、終わりや!!」
東のメンバーたちが歓声を上げ、各々が持っていた獲物やナイフを、地面に捨てていく。
数百のナイフ、スタンガン、特殊警棒が、地面に落ちる音が公園に響いた。
そのとき、カズマも続けて叫んだ。
「今日まで、よう戦った! けど、抗争は終わりや!!」
西側のメンバーたちも、次々と武器を地面に捨てていった。
――三百人近くが、一斉に抗争の終わりを示すように、武器を捨てる。
それは圧巻の光景やった。
たくさんの野次馬たちが、その光景を公園の外から見ていた。感動する者、恐怖する者、呆然と立ち尽くす者……たくさんの感情が、見た目の悪そうなガキたちの集団を見守っていた。
警察がここに届くのも、もう時間の問題だった。
俺は拡声器を手に取り、叫んだ。
「もうすぐ機動隊がここに来る!! 一斉検挙するつもりや!! みんな、各方面へ逃げろ!!」
包囲が完成する前、ぎりぎりのタイミングやった。
俺たちグレーエッジも、LEDトラックに飛び乗り、その場を後にする。
三百人近くの人間が、三角公園から一斉に、四方八方へと散っていった。
そこに残された、無数の武器たち。
――それは、若者たちが未来を選び直した証やった。
その後、ネットニュースや地上波のワイドショーは、連日“ミナミの三角公園で起きた奇跡の和解”やら“若者たちの自主解散”で持ちきりやった。
当然、裏で動いた俺らグレーエッジの名前が出ることはない。せやけどそれでええ。主役はあくまで、あの場に立った若者たちや。
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