第4話 限界の街リミット・タウン

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 そして次の日、夜が深まる頃、アカリとケンジから、それぞれ報告が届いた。

 二人とも無事に潜入に成功して、今、カサブランカに向かってるらしい。

 届いたメッセージには、写真と動画、それに簡単なメモ。


 俺はカウンターの奥に置いてあるノートパソコンを開いて、ひとつずつ、慎重に内容を整理していった。

 グラスを拭く手を止め、照明を落とし、液晶の光だけが、俺の顔を青白く照らす。


 まずはアカリから。


 映ってたのは、雑居ビルの一角にある店の内装や、妙に年齢層の低い女の子らが座ってる様子。

 アカリは実際にスカウトされて、そのまま勤務初日みたいな形で店に入っていったらしい。

 メッセージには、こう書かれてた。


 「14〜16の子が普通におる。更衣室は狭くて、女子の荷物はクローゼットにぎっしり。

  客のスペースが優先されとって、女の子の扱いなんて雑そのもの」


 動画には、後ろ姿でスマホいじる制服姿の子たちと、ちらっと見える制服バッグ。

 アカリはその中のひとつをこっそり開けて、財布の中を確認。

 トイレで撮ったらしい写真には、明確に「○○中学校」の学生証が映ってた。

 顔写真付きで、間違いようがない。未成年。しかも義務教育。


 やつら、ほんまにガチでやってた。

 こっちの想像を、軽々と越えていきやがる。


 「このまま働いたらヤバいと思ったから、体調不良って言って抜けた。今からカサブランカ向かいます」

 そう締めくくられたアカリの報告に、俺は無意識に拳を握ってた。

 まだ、17のガキや。けど、あいつはもう一人で戦っとる。


 そして次に、ケンジからの動画。

 一発目で、奇跡みたいな場面を引き当てた。


 映像には、客と店のスタッフの言い合いがしっかり収められてる。

 「ハイボール一杯5000円てなんやねん!キャッチは3000円飲み放題って言うたやろが!」

 怒鳴る客の声に、女の子が無表情でこう返す。「お客様が私に頼んだドリンクは、別料金です」

 気づけば会計が20万を超えていて、客は「払えへん!」と声を荒げた。


 そこへ、外から入ってくる黒スーツの男たち。

 何も言わずに、怒鳴る男の胸ぐらを掴んで、文字通り、カウンターに叩きつけた。

 その瞬間の映像を、ケンジはカウンターに忍ばせていたライター型の隠しカメラでばっちり撮ってた。

 ぶれてはいたが、音も、暴力の空気も、はっきり記録されてた。


 現場の臨場感が、まるで喉を締めつけるように伝わってくる。


 「団体は基本、断られる。個人客ばっかや。

  揉めたって、誰も助けられへん空気作って、ひとりずつ潰してる。

  これ、マジでヤバいやつです」


 ケンジの冷静な分析が、逆に状況の重さを物語ってた。


 二人とも、よぉやった。

 アカリは女子高生としての命懸けの潜入、ケンジは冷静に証拠を積み上げた。


 報告を整理し終えた頃には、もう深夜二時を回ってた。

 しばらくして、カサブランカの扉が静かに開いて、アカリとケンジが戻ってきた。


 アカリは少し青ざめた顔して、でも歯を食いしばるみたいに前を向いてた。

 ケンジは無言で頷いて、USBメモリを俺の前に置いた。


 「これ、全部入ってます。編集もしてません。ありのままの現場です」


 俺はそれを受け取って、カウンターの奥にしまった。

 火種は、もう手に入った。


 アカリは、親には「友達んちに泊まる」って言うて出てきてたらしく、このままカサブランカで始発を待つことになった。

 「タクミさん、ソファ使ってええ?」と聞く顔はどこか張り詰めてて、それでも背中がちゃんと前向いとった。


 ケンジはすぐさま、SNSへの投稿準備に取りかかった。

 「急ぎません。まずは、誰にも消されない場所にミラー作ってからです」

 黙々とキーボードを叩く姿が頼もしかった。


 その時、スマホが震えた。画面には「タカシ」の名前。

 開くと、長いメッセージが届いてた。



「本部のほんまの目的、わかったかも。」


「そっち行くのは無理そうやから、ここで書くな。今、本部の連中がキャバクラで飲んでて、たまたま呼ばれて同席しとったんやけど、リミットの話しとった。そしたら突然『そろそろ喰い時やな』って。」


「何のことやら思たら、あいつら西と東の間で戦争起こして、不安定にしようとしてる。うちの本部は、西側の利権が欲しいらしい。せやから、最初は東の勢力にバックでついて、栄養与えて膨らませる。で、肥大化したリミットをあえて西に進出させて、わざと火種を作る。そして、お互いがバチボコやり合って、西が疲弊したタイミングで、スッと利権ごと取り込む段取りやって。」


「タクミのダチのカズマくんおるやろ?今はアーティスト兼実業家で、街にも根付いてるやんか。本部はあいつの持ってる若者のネットワークごと取り込みたいらしい。音楽業界に進出する踏み台にするつもりや。そして、そのラッパーたちを“傘下”にして、薬売らせる計画までもがあるっちゅう話や。」


「これ、証拠動画。」


「俺は明日、関空から沖縄に飛ぶ。この携帯も捨てる。カサブランカに向こうから手紙送るから、それまではお別れや。」



 動画のリンクが最後に貼られていた。

 開くと、高級クラブの個室みたいな場所で、笑いながら酒を煽るスーツの男たち。

 その中に、以前タカシが言うてた「本部直属」の連中の顔もあった。

 「西がそろそろ削れてきてる。次はキタやな」

 「カズマって若いラッパー、うまく囲い込めたらデカいよな。薬売らせても気づかれへんやろ」

 そんな生々しい声が、動画の中で普通に交わされてた。


 俺は無意識に、奥歯を噛み締めとった。

 ここまで腐ってるんか。いや、最初から、そういう仕組みなんかもしれん。


 タカシ……お前、ほんまにそこまでやるんやな。

 命張って、全部暴こうとしてる。


 携帯の画面が暗くなって、俺はそれをそっと伏せた。

 カサブランカの奥では、アカリがブランケットにくるまって目を閉じてた。

 ケンジはイヤホンして、何かをアップロードしている。


 誰も大きな声を出さへん。

 でも、みんな心の中で叫んどる。


 この街の夜を、どうにかしたいって。

 誰かがやらなあかんことを、俺らがやらなきゃって。


 そんな熱と静けさが同居したまま、朝の始発が来た。

 アカリは眠そうな目を擦りながら、ケンジはUSBをポケットにしまって、それぞれの出口へと歩き出す。

 カウンターの電気を落として、最後に扉を閉めた時、俺の中で何かが「動き出した」気がしてた。

 でも、それはきっと――遅すぎたんや。


 次の日の昼前、スマホが震えた。画面には「カズマ」の名前。

 電話越しの声は、思ったより冷静やった。


「タクミ、始まったで。チーム同士、もう殴り合い始まったわ」

「……一足、遅かったんか」

「せやな。お前が言うてたこと、いまならわかる。でももう止められへん。動き出した報復合戦は、誰にも止められへん段階に入ってもうた」


 その言葉が胸に刺さった。

 カズマに真実を伝えたのは、間違いじゃなかった。でも――それでも、引き返せるタイミングは過ぎてた。


 街はもう、燃えてた。


 ミナミの至るところで、暴行事件が相次いだ。

 黒いスーツを着てるだけで、Bボーイ風の格好してるだけで、通りすがりに殴られる、スタンガン撃ち込まれる。

 ガセ情報や憶測だけで、誰かが誰かを「敵」と認定して、暴力が振り下ろされる。


 警察署は被害届と110番通報でパンク状態。

 古市も、現場に1日に何度も出動。

 「またか……」って呟きながらも、汗まみれで自転車漕いで走り回ってた。

 でも、リミットもブラックハウンドも、ミナミの地理に詳しくて逃げ足が異常に早かった。現場を押さえても、証拠がない。

 しかも両チームの連中、搬送先の病院で尋問されても口を割らん。


 両方のリーダー――カズマもレイジも、潜伏して姿を消した。居場所を知ってるのは、ほんの一握りの親衛隊だけ。

 俺にもカズマの現在地は伝えられてへん。そもそも今、連絡とる手段すら制限されてる気配があった。


 ガールズバーは特に狙われた。

 客を装ったブラックハウンドの構成員が店内で暴れ、備品を壊し、糞尿をばら撒いていくという最悪な荒らし。

 カズマの店にも火炎瓶が投げ込まれ、入り口が焼け焦げた。営業は強制的に中止。

 御堂筋を挟んで、周防町通りではチームの連中が睨み合ってた。

 「こっからこっちはうちのシマや」

 「お前らは引け」

 そんなやり取りが、連日、路上で繰り返された。


 そのうち誰かが懸賞金をかけた。

 「リミットの幹部●●、見つけたら30万」

 「ブラックハウンドの××、やったら50万」

 動画も金額も、全部SNSで拡散されて、ミナミが一気に“戦場”になった。


 ヘリは空を飛び、報道は連日ミナミを映し続ける。

 「関西裏社会に新たな抗争か」って、アナウンサーは眉をひそめて喋ってた。


 その裏で、俺のスマホには古市からの着信が何度も鳴った。

 「おいタクミ、カズマの居場所、教えろ」

 「知るか。こっちも巻き込まれてんねん」

 「ふざけんな、何人一般人が被害出てると思ってんねん」

 それでも、俺は一貫して「知らん」の一点張りで突っぱねた。

 本当は……心のどっかで、わかってたんかもしれん。


 もう、ただじゃ済まん。

 誰かが倒れ、誰かが潰される。

 それでもやるしかなかったんや。

 これが、俺らの選んだ夜やったんやから


 けど――その夜は、想像以上に長かった。

 殴り合いは一晩で終わるようなもんやなかった。

 喧嘩に疲弊したのは、どっちのチームも同じやった。


 ミナミ中で顔腫らした若い奴らが、コンビニの前でうずくまってたり、タバコ吸いながら救急車待ってたり。

 「誰かが止めろよ」って目で俺らを見てたけど、止める言葉がもうなかった。


 営業できへん店が並び、仲間が倒れても意地で戦線に出てくる奴ら。

 そんなん続けてたら、どっかで確実に死人が出る――そう思い始めた矢先やった。


 先に動いたのは、ブラックハウンドやった。


 中堅クラスの使者が、リミットの幹部に直接アポとって現場に現れた。

 「これ以上、続けるんは愚策や」

 そうハッキリ言うたらしい。


 せやけどその言い方が、あくまで“上から”やってんな。

 「売られた喧嘩は、勝つまでやるのがウチの流儀や」

 「どれだけ被害出ても辞めへん。ウチはそういう組織や」

 そう釘刺しながらも、向こうの言うたんは――


 「ある程度の仕返しは済んだ。これ以上やると、ほんまに潰し合いになる」

 「それやったら、ここで一つ提案や」


 「――ウチとリミット、大将同士の一騎打ちでケリつけたらどうや?」


 その提案に、リミット側は沈黙したらしい。

 けど、それが“拒否”やとは誰も言わんかった。

 誰もが、この戦争の終わらせ方を、内心探してたんや。


 噛み合わへん意地と、どうにもならん現実の真ん中で、何かが変わり始めてた。

 ミナミの夜は、まだ終わらへん。

 けど――次に動くのは、大将同士の番やった。


 リミットは、一騎打ちを呑んだ。

 もう誰も、これ以上の泥沼にはしたくなかったんやろ。

 引くも地獄、進むも地獄。その中で、ようやく見えた一筋の出口がそれやった。


 その夜、カズマから電話がかかってきた。


 「タクミ……決めたわ」

 「一気にケリつける。俺もな、もう仲間がこれ以上血流すん見るのは耐えられへん」

 「このまま続いたら、ほんまに人生後戻りできへん奴が出てくる。せやから、今、終わらす」


 カズマは言うた。

 この一騎打ちは、自分の発案やと。

 「中学の頃から、どっちが最強なんかって言われとったやろ。カズマとレイジ、どっちがホンモンか」

 「せやし今、ここでそれを決めるんも、なんかアリちゃうかってな」


 カズマは、戦う理由を語らんかった。

 語らんでも、俺にはわかった。

 アイツは、自分の手で全部終わらせるつもりやった。


 「タクミ……頼むわ」

 「ミナミの中立として、リミットとブラックハウンドの一騎打ち、あんたに仕切ってもらいたい」


 ――断る理由は、もう無かった。


 次の日、俺は動いた。

 潜伏中のレイジに会うため、まずはリミットの下っ端に声をかけた。

 最初は怪訝な顔しとったけど、タクミやと名乗るとすぐに目が変わった。

 数時間後、幹部クラスの奴がやってきて「レイジが会う言うてる」と。


 車に乗せられ、目隠しをされて、連れてかれたのは地下にあるどっかのラウンジ。

 照明は薄暗く、煙草の匂いとシャンパンの残り香が充満した、戦争の後の空気が漂う場所やった。


 レイジはソファに深く座ってて、まるで何もかも見透かしたような目でこっちを見てた。

 「お前が、まだ中立で立っとるって聞いた時は、正直、鼻で笑いそうになったわ」

 「でもな……ここまでブレん奴ってのは、ほんまにおるんやな」


 レイジは静かに言った。

 「お前が仕切るんなら、それでええ。……これはもう、街の歴史を決めるケンカや」


 カズマとレイジ――大阪連合の伝説ふたりが、今ここで拳を交える。

 俺は、それを見届ける役を背負うことになった。

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