第2話 限界の街リミット・タウン

2

アメ村——西心斎橋の奥、若者のエネルギーが夜通し渦巻くこの街に、カズマの店はある。

 名前のないそのミュージックバーは、昼間は閉ざされ、夜になるとネオンの代わりに低音のビートで存在を主張する。


 入口は黒塗りの鉄扉。その奥から漏れるバスの音に鼓膜が震える。


「タクミっす。カズマに呼ばれました」


 扉の内側にいるスタッフにそう告げると、無言で頷かれ、静かに中へ通された。


 薄暗いフロアの奥、バーカウンターの向こうにはカラーボールが光る。

 そして、そのさらに奥——重厚なドアの向こうにあるVIPルーム。

 赤い高級レザーのソファー。大理石のテーブル。その空気だけが、別世界のように重い。


「よう来たな、タクミ」


 カズマの声が響いた。


 ソファに座っていたその男は、相変わらず黒のトラックジャケットを身にまとい、表情は読めへん。


 けど——その周りにおる連中が、異様やった。


 ガタイのええ男。顔面までタトゥーが刻まれとる。

 もうひとりは長身でドレッドヘア、ギラついた目つきで俺を値踏みするように見とった。


 何人かはフードを深くかぶって、無言のまま壁際に立っとる。

 前に一ノ瀬を拉致ったとき、覆面で動いてた連中。あの夜の“影”の正体が、今こうして目の前にいる。


 ……まるで、地下格闘場の控室みたいや。


 俺は一瞬だけ足を止めて、深く息を吸うた。


「……なんや、えらい緊張感ある空気やな。今日はライブちゃうんやろ?」


 そう言うと、カズマは小さく笑うた。


「これはな、音楽やなくて“作戦会議”や。お前にも関係ある話やねん。……東の話や」


 その目が、いつになく真剣やった。

 この街がほんまに“限界”まで来とる。——そのことを、俺はこの部屋の空気だけで悟った。



「東が……動いてんねん」


 カズマが静かに口を開いた。


「リミット、やろ?」


 俺がそう返すと、カズマはうなずいた。


「ああ。あいつら、東心斎橋に根張って、最近ずっとジワジワとシマ広げとる。ボッタクリのガールズバーもそうや。裏で回してるんは、だいたいリミットの下っ端か、名前貸しとる奴らや」


 テーブルの上に何枚か写真が置かれていた。

 若いガキ。スーツに金ネック。けど顔は未成年丸出し。

 中には手にナイフ持って、客を脅しとる瞬間がバッチリ写っとるやつもあった。


「この前もうちの若いんが一人、向こうの連れに絡まれてな。火ついたら止まらへん連中や、やり返して……そっから、ずっと小競り合いや」


 カズマは眉間にシワを寄せた。


「うちの西の連中も、今がピークやねん。元はバラバラやった三つのチームが合体して、やっと組として一本筋通ったとこや。俺がその三つまとめて、新しいチーム作った。“BLK HOUNDS(ブラック・ハウンズ)”。ストリートの吠える猟犬や。西の若いんらの象徴になるような、そんな名前つけたったわ。若い奴らも増えてきたし、動けば、動ける」


 ……そやけど。


 その「動ける」って言葉の裏にある重さを、カズマの声が物語っとる。


「ほんで、リミットのボス——レイジ」


 その名前を聞いた瞬間、俺の背筋が少しだけ伸びた。


「レイジ……」


 俺も、中学の頃に何回か見たことがある。

 ガキの頃から有名やった。あの時代、“ミナミの怪物”って呼ばれてた男や。


「そうや、お前も見たことあるやろ。あいつと俺は——昔、同じ族やった。大阪連合。中坊の頃やけど、俺とレイジが、それぞれの支部で頭やっとった」


 俺の中で、カズマとレイジの姿が重なる。

 全然ちゃう方向に進んだはずの二人が、最初は隣におったって事実。なんか、妙な感情が胸をざわつかせる。


「けどな、高校上がる頃に、自然と分かれたんや。喧嘩や息違いやなくて、方向の違いや」


 カズマは、煙草に火をつけた。


「レイジは、金と暴力と“力”に憧れた。街を牛耳るっていうんは、あいつにとって“恐怖”で支配するってことや。せやからあいつの下には、歯ぁ食いしばったガキばっかり集まっとる」


「お前は?」


 俺の問いに、カズマはわずかに笑うた。


「音楽、ファッション、ダンス、スケート……そういう、ミナミの“ええとこ”を守りたい思うた。それが、俺のカルチャーや」


 その言葉には、少年のようなまっすぐさがあった。

 でも——それが今、東とぶつかり始めてる。


「……最近はもう、お互い避けられへん雰囲気になってきとる」


 赤いソファーに沈んだまま、カズマは静かに言うた。


「タクミ。お前が今まで古市のおっちゃんに情報流してたのも、知ってるで。俺も、それで助かっとる部分ある。せやから言う。……もう、どっちかが一歩踏み込んだら、始まるかもしれへん」


 部屋の隅で黙ってたドレッドの男が、小さく頷いた。


「……ほな、こっからどうするつもりなん?」


 俺がそう尋ねた瞬間、カズマの目が俺を射抜いた。


「まずは、レイジの今の動きを正確に掴む。……お前にも手伝うてほしい。昔の人脈、まだ残っとるやろ?」


 昔の——そう、中学の頃、不良の端くれやった俺の過去。

 確かに、今でもあの時代の繋がりは残ってる。中には、リミットに出入りしてるやつもおる。


「……動くんか?」


「動かな、壊される。この街をな。——せやろ、タクミ」


 その時、俺は思い出してた。

 “ミナミは危ない街や”って言われ続けてきたけど——


 俺らにとっては、ここが全部なんや。


 「……なんとかしてみるわ。まだ昔の人脈、ちょっとは残っとるしな」


 そう言うて、カズマと別れた俺は、西心斎橋のネオン街を抜けて、アメ村の三角公園へ向かった。

 姉貴にはまた怒られるやろうけど、カズマの名前出したら、ぎりぎり通してくれた。——あの人、カズマのファンやからな、たぶん。


 11月の夜風は冷たかったけど、ミナミの街はまだ熱を持ってざわついてる。

 カラフルな看板、酒の匂い、誰かの笑い声、遠くから聞こえるパトカーのサイレン。

 全部ひっくるめて、これが“ミナミ”や。


 公園の端にある石のベンチに腰を下ろして、ポケットから煙草を一本。

 火をつけて、ゆっくりと煙を吸い込んだ。


 「……動ける、か」


 カズマがそう言うた。

 けど、それが“動く”になったとき、ほんまにどれだけのガキが不幸になるんやろうか。


 喧嘩になれば、誰かが倒れる。

 ナイフや鈍器が飛び交って、誰かが血を流す。

 警察沙汰になって、捕まって、人生が終わるヤツも出てくる。


 それが全部、俺の目の前で、俺の街で起こる。


 しかも、あのカズマとレイジ——大阪連合で一緒に走ってた、あの二人が、今は西と東に分かれて、睨み合うてる。

 思想の違いで別れた二人が、仲間も引き連れて、この街で戦争始めようとしてる。

 それを止められるやつが、いま、おるんか?


 不安やった。

 ……正直、怖かった。


 けどな、俺。お前が動かんかったら、誰が動くんや。


 俺は煙を吐き出して、空を見上げた。

 流れる雲の向こうに、ミナミの明日があるような気がして——

 けど、その明日が地獄になるかもしれんって、胸の奥がざわついとった。


 ポケットからスマホを取り出して、懐かしい名前をスクロールする。そうや最近新型のiPhone4に変えたんよ。タッチって新鮮やな。

 その中の一人、何年ぶりやろな。アイツに電話してみた。


 ——ツー、ツー、ツー。

 「……あ、もしもし。おう、俺や。高杉。タクミ。覚えてるか?」

 『えっ……タクミ!? うわ、めっちゃ久々やんけ! どしたん急に』

 「いや、ちょっと話したいことあってな。今ヒマか?」

 『今か? まぁ、大丈夫やで。おもろそうな話なら付き合うわ』


 久々に声を聞いたその瞬間、思い出した。

 中学の頃、向井 崇は俺の横でようヘコヘコついて来とった。

 喧嘩っ早かった俺が、ある日ブチ切れて、向井をボコボコにして——

 それから完全に力関係が決まった。何や言うたら、ジュース買ってきてくれるような、そういうタイプのやつや。


 けど今、目の前におるそいつは、見た目こそちょっと小綺麗になっとったけど、どこか目が死んでた。

 「よう、ほんまに久しぶりやな」

 「ほんまやな。タクミ、お前全然変わってへんやんけ。……こっちはまぁ、いろいろあってな」

 「仕事は? 今、何してんの?」

 「それがな……大学出て就職、うまくいかんくてさ。どこも落ちてもうて、しゃーなし入ったんが……今の会社や」


 向井が語り出した会社の名前、聞いたことないベンチャーっぽい名やった。けど、実態はよぅ分からん。

 SNSマーケティングやら、コンサルやら言うてるけど、具体的に何してるか聞いたらごまかす。

 「まぁ……言うたらアレや。フロント企業ってやつやな。ほんまの親は、どっちか言うたらアッチの筋や」


 笑いながら言うとったけど、目は全然笑ってへんかった。


 「そんで俺な、最近ちょっと出世して、部長って肩書きもらってもうて。……まぁ、ブラックなんは変わらんけどな」


 「それで? 今もそこと繋がってるんか?」

 「繋がってるっちゅうか……間に立っとるんや。うちの会社と、“リミット”のな」


 その名前を聞いた瞬間、心臓が一瞬止まった気がした。


 「リミットと暴力団、実際に金も流れてる。今のリミット、裏にちゃんと“親”が付いてるんや。せやから警察も、ちょっとやそっとじゃ手ぇ出されへん。レイジっちゅう男が、しっかり地ならししとんのや」


 ミナミの街の闇が、形を持って近づいてくるような感覚やった。


 「……なぁ、紹介してくれへんか? レイジに」

 「は? なんでお前が……」

 「昔のよしみで頼むわ。ただ話がしたいんや」

 「いや、無理や。そんな軽いノリで会える相手ちゃう」

 「……なら、俺が“入りたい”って言うたら?」


 その言葉に、向井は目を細めた。まるで、何かを試すように。

 「……アホやな、タクミ。けど、そういうの……アイツは嫌いじゃないと思うで。

 ちょうど明日、ミーティングがある。俺が手ぇ引いてやる。けどな——」

 「分かってる。自己責任やろ?」


それから数日後。

 向井——いや、タカシの推薦が通って、俺は“あの男”と会えることになった。

 レイジ。リミットのボス。東のミナミを牛耳る黒幕。


 場所は、東心斎橋のタワーマンションの最上階——40階にあるスカイラウンジ。

 高級ホテルのバーみたいな内装に、ネオンとLEDが脈打つように光ってる。

 大阪の街を見下ろす景色の中で、そこだけが完全に“異界”みたいやった。


 その部屋には、15店舗あるガールズバーの店長たち、

 客を脅して金を巻き上げる“武力行使部隊”、

 街で女の子をスカウトしてくる“仕入れ担当”、

 そして、レイジの側近である“親衛隊幹部”らがずらっと並んどった。


 俺がまず思ったのは、「こいつら、ただの不良ちゃう」ってことや。

 私語もなく、全員が一糸乱れぬ動きをしとる。

 暴力の匂いはあるのに、全体がピシッと統率されてる。

 そう、まるで軍隊みたいやった。


 そして、次の瞬間。

 俺の目の前で、“それ”は始まった。


 ラウンジの中央に呼び出されたのは、三人のガールズバー店長。

 聞けば、ここ最近の売り上げがノルマに届いてへんらしい。

 理由も聞かれず、言い訳も許されず、そいつらは全員の前に立たされ——

 

 「粛清、開始や」


 その声と同時に、黒い服を着た男らが前に出てきて、

 殴る、蹴る、また殴る。音が肉に食い込むたび、周りの奴らは一切顔を動かさへん。

 笑ってるヤツもおらん。全員が“当たり前”のことのように、それを見とる。

 店長の一人は、鼻から血を流しながら崩れ落ち、痙攣していた。


 そして気を失ったそいつは、武力部隊の男らに無言で担がれ、ラウンジから連れ出された。

 まるで、生ゴミでも運ぶみたいに——


 俺はただ、何も言わんと、それを見てた。

 この組織が、どこまで本気でミナミを取りに来てるのか。

 その“覚悟”の片鱗を、まざまざと見せつけられた瞬間やった。


 粛清が終わって、空気が一層ぴんと張りつめたその時——

 ラウンジの自動ドアが、ゆっくり音もなく開いた。


 現れたんは、二人の巨体を従えた一人の男。

 護衛の二人はどっちも身長190オーバー、まるでプロレスラーや。

 その間に歩く男は、そこまで背は高ないけど、全身に「只者やない」ってオーラを纏ってた。


 短く刈られた髪に、骨ばった頬骨と鋭い目つき。

 昔、格闘技を齧ってたって噂も嘘やない。ガタイがいい。

 そして身にまとってるんは、黒地にグレーのストライプが入ったダブルのスーツ。

 派手すぎず、地味すぎず——けど、一発で高級やって分かるやつや。


 その男、レイジは一言も発さんと、ラウンジ中央の革張りのソファに腰を下ろした。

 まるで、城の玉座に王が戻ってきたみたいやった。


 「始めよか」


 その一声だけで、空気が変わった。


 レイジは立ち上がると、今のミナミの“現状”を冷静に語り出した。

 街に溢れる偽物の店、腐った警察、裏切る味方。

 そして、それらを“掃除”するために必要なんは、「力」と「秩序」やと。


 続いて名前が挙がったんは、西心斎橋に新しくできた勢力。

 カズマの率いる新チーム——“ブラックバウンド”。


 「カズマとは昔からの縁や。けど、もう価値観はちゃう。

  あいつがカルチャー言うて遊んでる間に、うちは“現実”を作ってきた。

  この街をほんまに動かすんは、こっちや——」


 レイジの声には、なんとも言えん迫力があった。

 怒鳴るでもなく、無理に煽るでもなく。

 けど、その場におる全員が、自然と背筋を伸ばして聞いてまう。


 「今、うちに入りたい言う若いのが全国から来とる。

  今日この場で、幹部候補を“部隊長”として任命する」


 何人かの男が名前を呼ばれ、中央に出て頭を下げた。

 その中には、まだ20代前半とちゃうかって若造もおった。

 けどレイジは一人ひとりの肩に手を置き、目を見て、信頼を口にしてた。


 ——そして、演説が始まった。


 「ここにおるお前ら一人ひとりが、街を変える力や。

  ただの不良で終わりたないやろ? 

  金が欲しい、力が欲しい、女も地位も名誉も、全部手に入れたいやろ?

  ——なら、ついてこい。

  時代は俺らのもんになる。

  ミナミは、俺らが支配するんや!」


 その場が一気に沸き立った。

 歓声、拍手、拳が天に突き上げられる。

 タクミも思わず拳を握ってた。

 身体の奥が、ぞわっと震える。


 (こいつ……平成のヒトラーや)


 それが、正直な感想やった。

 言葉で人を動かす男。

 そして、その言葉が“本気”で現実を変えてまうだけの力を持っとる。


 集会も終盤に差しかかった頃、タカシがそっと近づいてきた。


 「今がええタイミングや。来い」


 ラウンジの端っこで静かに構えてた俺を、タカシが中央へと連れてく。

 人の視線が集まる中、レイジの前に立った俺を見て、彼は少しだけ口角を上げた。


 「誰や、こいつは」


 「俺の中学の同期です。昔、ちょっとやんちゃしてたんで顔は通ってます」


 レイジの目が、じっと俺を見据える。

 まるで骨の奥まで透かされてるみたいやった。こっちは笑わん。媚びへつらわん。

 目線も逸らさん。

 昔の勘が言うてる。ここで下手に笑ったら終いや、と。


 「……名前は?」


 「高杉拓実(たかすぎたくみ)や。ミナミでバーやってる」


 「バーねぇ」


 レイジは顎に手をやりながら俺を舐めるように見た。

 右の目尻だけ、少しだけ笑ってる。それが逆に不気味やった。


 「ミナミの夜で、いちばん中立でおろうとする奴らがやる商売やな。

  けど、時代は中立を許さへんで」


 俺は、少しだけ口元を緩めた。


 「せやな。……けど、俺は中立を貫くで」


 レイジの目が、ぴたりと止まった。

 ラウンジの空気が、一瞬だけ張りつめた。


 「おもろいこと言うやん。ここに来てそれ言うか、普通」


 「普通ちゃうから来たんや。

  ミナミの街で、誰かが中立をやってなきゃ、ほんまに全部が終わる。

  俺はどっちの味方もしない。けど、どっちも見てる。

  せやから、ここに立っとるんや。自分の目で、真ん中から見定めるために」


 レイジはグラスの中の酒をゆっくり揺らしたまま、何も言わん。

 だが、その目の奥に、少しだけ興味が宿るのが分かった。


 「……中立でおって、命張れるんか?」


 「中立でおるからこそ、命張らなあかんねん。

  立場に甘えたら、どっちにも裏切られる。

  けど、信念を貫いたら……どっちにも一目置かれる。

  俺は、そこを狙ってる」


 沈黙。


 けど、ほんの一瞬、レイジの目が笑った気がした。

 “認めた”というより、“試したくなった”……そんな目や。


「ほな……中立のまま、どこまで入ってこれるか、見せてもらおか」


 レイジがそう呟いた瞬間、左右に立ってた護衛の片方が、わずかに前へ出た。

 無言の圧。空気がピリつく。


 けど俺は、背筋を伸ばしたまま視線を逸らさんかった。


 「俺は誰にも従わんし、誰も裏切らん。

  ただ――目ぇ開いて、見とくだけや。ミナミがどこへ向かうんかをな」


 レイジはグラスを口元に運び、一口飲む。

 氷の音が、静かなラウンジに響いた。


 「……お前みたいな奴、一番危険やな。

  どっちにもつかんで、どっちにも見られとる。

  せやけど、だからこそ、使い道はある」


 そう言って、レイジはタカシのほうへ視線を移した。


 「こいつ、ほんまに中に入れる気あるんか?」


 「ええ。間違いないです。昔から、一本筋は通っとる男ですわ」


 「……おもろい。ほな、見せてもらおか」


 レイジは薄く笑いながら、タクミの目をじっと見据えたまま言った。


 「次の現場に同行せぇや。“中立”がどこまで持つか、試してやるわ」

 東心斎橋の細い路地にある、そのガールズバーは一見どこにでもあるような店構えやった。

 けど、入ってみてすぐに分かった。空気が違う。女の子の質も、客層も、どこかギラついてる。


 「ここが“アモーレ”や。月の売上、1000万近くあるトップの店舗や」

 そうタカシが耳打ちしてくる。

 「今夜はトラブルがあんねん。金払わん言うてる上客おってな。見とけ、リミットの“やり方”を」


 VIP席の奥に、ひときわ態度のデカい中年男がふんぞり返っとった。

 スーツはイタリア製、時計も高そうやのに、女の子には一切金を落とさず、態度だけは王様みたいや。


 そして次の瞬間、ドアが強引に開いた。


 武力行使部隊の三人が、無言で入ってくる。

 黒スーツにインカム、片耳ピアスに刈り上げた頭。全員が180越えのガタイ。

 まるで夜の軍隊やった。


 「社長、今日はちょっと……話、あるんで」

 一人がそう言うと、他の二人は中年男の両腕を押さえ込んだ。


 「お、おい!何をするつもりや!」

 中年男が騒ぎ出す。

 けど、周りの女の子も店員も、誰一人動かへん。見慣れた光景みたいに、ただ目を逸らすだけや。


 「“ここの子らを無料で使える”って契約書は存在しませんわ。

  うちらは店を守る組織ですけど、タダ働きは嫌いやねん」

 もう一人の隊員が低い声で言う。


 そして、机の上に分厚い封筒が置かれる。


 「今月分、未払いの分や。三日以内に倍付けで持ってきてください。

  ……でけへんかったら、二度とこの街では女の子に手ぇ出されへん体になると思うてくれたらええです」


 中年男の顔から血の気が引いていくのが分かった。

 膝をがくがく震わせながら、うなずくしかできへん。


 突入からここまで、わずか三分。


 「……まるで劇場やな」

 俺は思わず呟いた。


 「これが、今の“ミナミの管理”や」

 タカシがポツリとつぶやく。


 「1千万も稼ぐ店を、こうやって締めとるんや。

  で、その金の一部が、ヤクザにも流れていく……つまり、街の血が、もう入れ替わっとるってことや」


 目の前で繰り広げられた“実働”。

 俺はそれを見て、腹の底が冷たくなるのを感じとった。


 金を払わん言うた中年が、武力行使部隊に囲まれ、脅され、屈服させられた光景。

 誰も止めへんし、止められへん。

 俺も——止められへんかった。


 (あれは、犯罪や。正義とか倫理とか、持ち出すなら)

 けど、声は出んかった。足も動かへん。

 ……ほんまの“現実”の前では、理屈なんて、ただの飾りや。


 ラウンジを出ると、エレベーターの前でレイジが待っとった。

 背後には、あの身長190越えの護衛が無言で立ってる。


 「よう見とけたか?」

 低く、そしてはっきりした声。


 「正義感、あるのはええことや。けど、それだけで街は動かん。

  ——金と力、欲しなったらいつでも来い」


 レイジは口元だけで笑って、エレベーターに乗り込んだ。

 自動ドアが閉まる寸前、彼の鋭い視線が、まっすぐ俺に刺さってきた。


 (この男は、ほんまに……“時代”そのものかもしれへん)

 俺は唖然としたまま、ただ出口に向かって歩き出した。


 夜の心斎橋、まだギラギラとネオンが街を照らしてる。

 頭がグワングワンする。

 何が正しいかなんて、分からん。けど、何かがおかしい。


 スマホが震えた。カズマやった。


 「おう、どうやった?リミットの集会は」

 その言葉に、俺は一瞬フリーズした。


 「……なんで知ってんねん、それ」

 「そら、お前になんかあったら困るからな。こっそり見張りつけとったわ。護衛もな」


 その瞬間、ぞくりと背筋が粟立った。

 無意識に、背後を振り返る。

 ——ビルの隙間。確かに、ドレッドの男がじっとこっちを見てる。目が合った。そいつは、ゆっくりと目を逸らして煙草に火をつけた。


 (まさか、最初から……)


 「安心せえ。お前の覚悟は分かってる。でも、俺の仕事は“仲間を守る”ことやからな」

 カズマの声はいつもと変わらんトーンやのに、やけに心に沁みた。


 ——俺は、そのまま公園のベンチに座って、今日の一部始終をカズマに話した。


 レイジの演説、あの目、統率の取れた組織。

 そして、“現場”で見せられた暴力と金の構造。


 カズマは一言も遮らんと、ずっと黙って聞いてくれとった。

 まるで、覚悟を量るように。


 「……お前の中で、なんか考えはあるんやろ?」

 カズマがようやく口を開いた。


 その問いに即答できへん自分が、もどかしかった。

 言葉にならん想いが、頭ん中でぐるぐる回っとる。


 「今日は……あかん。頭いっぱいや。明日、連絡するわ」

 「……分かった」


 電話を切ったあと、俺はそのまま自分の部屋に戻った。

 ワンルームの天井を見上げる。タバコの匂いと、街の騒音が微かに混じる。


 ベッドに体を沈めながら、脳みその奥がまだ熱を持ってる感じがした。


 ——リミットの現実。

 ——レイジの目。

 ——カズマの言葉。

 ——そして、俺の“位置”。


 正義とか悪とか、そんな綺麗なもんじゃ測られへん場所で、

 けど、俺には……俺にしかできへん、俺なりの立場があるはずや。


 誰かを守るとか、街を変えるとか、そういう大それた話やなくてええ。

 でも、目の前で誰かが地獄に落ちるのを、見過ごせるほど俺は冷たくはなれへん。


 カズマみたいに仲間を抱えて、レイジみたいに力で時代を引っ張るんじゃなく——

 俺は、俺なりのやり方でこの“ミナミ”を守る方法を考える。


 どう動くか。どこまで動くか。

 誰と手を組み、誰と距離を置くか。

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