第4話 夜を知らないバーテンダー
あの夜を境に、三宅は変わった。
いや、正確には、あの夜が三宅の中にあった小さな種を、そっと芽吹かせただけなのかもしれへん。
長いことヘルプとして入る覚悟をしてたタクミやったが、店に立つ三宅の姿を見ているうちに、そう遠くないうちにこの生活も終われるなと、そう思い始めていた。
三宅は三宅なりのやり方で、カウンターに座る人の目を見て話すようになっていた。
ただグラスを出すだけのバーテンダーやなくて、相手に興味を持ち、会話を重ねる中で、その人の中にある温度を感じ取ろうとしていた。
しゃべるのが得意そうな客にはテンポのいい質問を重ねて会話を広げ、
黙って酒をすする客には、空気を読みながらそっと一言だけ添える。
それがきっかけで、ぽつぽつと悩みや愚痴がこぼれていくことも多くなった。
常連たちも、三宅の変化に気づき始めていた。
「あの子、ようなってきたな」
そんな声が、カウンターのあちこちから聞こえるようになった。
前の店長の頃のような、モルグ本来のざわめきと温もりが、店に少しずつ戻ってきていた。
ある晩、モルグのオーナー、大月がふらっと店に顔を出した。
カウンターの隅に腰を下ろし、三宅の接客をじっと見ていた。
しばらくして、にやっと笑って、タクミにグラスを掲げる。
「タクミ、お前、ようやってくれたなぁ。ほんま、見違えたであの子。……感動したわ」
タクミは笑いながら、首を横に振った。
「いや、大月さん。ちゃいますよ。
俺がしたんはきっかけ与えただけで。
初日に痛い思いして、自分で見て、聞いて、歩いて、三宅が掴み取ったもんなんです。
すごいのは、あいつの素直さと、逃げへん心ですわ」
その言葉に、大月は深くうなずいた。
「せやな。素直な人間が、いちばん伸びるんや」
そして数日後の営業終わり、タクミは三宅に静かに言った。
「……もう、俺のヘルプも終わりやな。ここからは、お前のカウンターや。しっかり守っていけ」
三宅は深く頭を下げた。
その背中には、もう初日のような頼りなさはなかった。
「……ほんまに、ありがとうございました。あの夜が、俺の分岐点でした」
「分岐点はええけどな、まだ通過点や。ここから先、もっとおもろい夜が待ってる。
せやから、お前なりの“人を愛せるバーテンダー”、続けていけ」
三宅は力強くうなずいた。
タクミは最後にグラスをひとつだけ交わし、カサブランカへと帰っていった。
ミナミの夜はまだ、灯りを落としていない。
それぞれの夜が、それぞれのカウンターで続いていく。
……なあ、読んでるあんたにもちょっと話させてや。
人ってさ、誰かにやさしくされたり、思いがけず愛をもらった瞬間に、どん底の人生がフッと上向くことがあるんよ。信じられへんようなタイミングで、信じられへんぐらいの優しさに救われることが。
もし、あんたがこれから誰かと偶然知り合って、その人が困ってそうやったら、ちょっとでええから愛を持って接してやってほしい。
別に大層なことせんでええ。ただ、その人の話を聞いたり、笑った顔を覚えてあげたり、そんなんでも十分や。
その一瞬で、その人の人生が――死んでしもたような心が、もう一回、生まれ変わるかもしれん。
もちろん、遊ぶ店や関わる人は選ばんとあかん。でも、もしあんたの財布にちょっとだけ遊べる余裕があるんなら、ミナミの街をのぞいてみるのもええんちゃうかな。
バカ騒ぎする店もあれば、静かに寄り添ってくれる店もある。
もしかしたら、そこに――
“ひとりじゃない”あんたの居場所が、あるかもしれへんから。
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