第十一話 裏切り者

キズナとリィナの二人は、しばらくぶりに昼から二人で過ごしていた。といっても、珍しくリィナの方の用事が早く済んだらしく、ここ最近は出不精のキズナが過ごす二人の家に、今日は彼女も居るという形だが。


 キズナは六冊目となった児童書を何度目か読み返しながら、ソファに寝転がって唇を尖らせている。


 そんな様子を眺めるリィナは、頬杖をついてオードルという、この世界でのコーヒーのようなものを口にしていた。


「ねえ、最近家にいること多いの?」


「ん……まあ、そうかもな」


 声をかけられたキズナは本を開いたまま胸に乗せたかと思えば、そのまま閉じてサイドテーブルに置く。


 彼も集中して読んでいたわけではないのだろう、手持ち無沙汰でそうしていただけのようだった。


「あの赤髪とはまだぎくしゃくしてるんだ、しょっちゅう訪ねて来てたのにね。あなたもだったけど」


「別に、今だって一緒に行動はしてるよ。喧嘩したって訳じゃないし」


「団体行動の時に組んだりはしてるみたいね。なんというか惰性じゃ……」


 言いかけたところで、リィナはキズナが自分をわずかに睨んだのを見た。


 彼からそうした視線を送られることが珍しく、リィナはほんのわずかにだけ動揺し、口をつぐむ。


「……悪い」


「いえ、私もでしゃばったと思う」


 リィナが大人しく謝ってしまうほどには、キズナの機嫌は良くなかった。


 彼自身、気を遣わせてしまうことにばつの悪さを感じて背を向ける。


 彼としてもこの状況がよくないとは思っている。


 しかし、最近は部屋を訪ねても不在のことが多い上、授業や訓練時には込み入った話が出来る雰囲気でもなく打つ手がないのだった。


 彼は戸惑っていた。呪いにより人間関係の希薄だった彼は、最初から嫌われるつもりの相手ならいくらでもいても、仲が良かった相手と疎遠になる経験は未だ無かったのだから。


「私だって人付き合いの多い方じゃないけれど、早めに手を打った方がいいわよ。そういうのって段々、なんでそうなったかも忘れて、よくない印象を持ったって事実だけが残るものだから」


「そういうもんか」


 生返事を返し心ここにあらずのキズナは、ただぼうっと床を見つめるばかりだった。


「……折角最近、楽しそうだったのに」


「ん、なんて?」


「なんでもないわ」


 ぼそりと呟いた彼女にキズナは目を向けるが、リィナは目線を反らしてカップに口をつけた。


 するとそこで、玄関に下げてある呼び鈴が鳴らされる。


 からんからんと鳴る景気のよさが、気だるげな部屋の雰囲気にそぐわず、かえって気重さをもたらした。


 しかしキズナはふと、それが自分を訪ねる待ち人ではないかと僅かに期待し、ソファから身を起こす。


 だが、その期待を裏切るようにリィナが立ち上がって来訪者を迎えに出た。


 彼女が迎えに出たということは、それは彼女にとって予定されていた来訪だということを示すが故にほかならない。


 玄関の方から話し声が近づくにつれ、それがやはり自分を訪ねるものではないと確信する。


 リィナに連れられ部屋に入ってきたのは、赤髪は赤髪でも、淡く柔らかなそれではなく、苛烈さを表す燃えるようなツインテールだった。


「おや、今日はダインが自主訓練への付き合いに出てると聞いていたですが、あなたではなかったのですね。てっきりまた三人連れ立っているかと思っていたです」


 部屋に入るなり、見つけたキズナを見て意外そうな顔をするのは、候補生たちの訓練教官であり、最も休日に会いたくない相手こと、ソニアだった。


 ちなみにキズナは魔力を手にして以降も、彼女と時折行う訓練においていいように扱われている。


 それに関しては彼女の容姿が幼い少女であることも多少は関係していたが、やはり実力の底が知れないのも事実だった。


「この男には聞かせて問題ないのですか?」


「ええ、むしろ多少は耳にいれておいた方がいいでしょう」


 二人の話す内容がキズナには計りかねたが、取り敢えずソファから起き上がって、リィナの淹れたオードルをポットから自分のカップに注ぎ、サイドテーブルに置いた。


 何やら、込み入った話しになりそうだと感じたからだった。


「単刀直入に言うです、裏切り者は守護者の中にいるですよ」


「裏切り者……?」


 ソニアからリィナに向けられた話に、キズナが思わず疑問の声をあげた。


 ソニアはキズナの方を少し見やると、リィナが新しく淹れ直したオードルに砂糖とミルクをどぼどぼと投入する。


「うげ……」


「なんですその目は、オードルはこうして飲むのが一番美味いのです」


 王族用に取り寄せられたという高級豆を使って淹れられた最高品質のものを、どんな豆でも同じ味にしてしまうアレンジで台無しにする年齢不詳幼女を見て、ブラック派のキズナは思わず顔をしかめる。


「この身体はどうにも苦いものがダメなんですよね、舌が拒絶するというか」


「別に言い訳しなくてもいいけどさ……」


「生意気言うなです、自分の十倍以上生きてる相手に向かって」


 キズナは大袈裟に両手を挙げて降参の姿勢を示す。ついでにこの幼女がやはり幼女ではないことが自白されたが、十倍という数字は流石に嘯いてるのではないかと考えた。


「それで、裏切り者ってのはなんなんだよ」


「言葉の通りですよ。先日の愚猿の件で、誰かが手引きしたことが分かったのです。森の結界に干渉するのは守護者以上の立場でなければ無理ですから」


 その言葉を聞いたリィナは、何やらテーブルを睨んで考え事をしている。


 珍しく、その表情には言い表しがたい感情が誰の目にも明らかになっていた。


「私としては、疑うべき人間はいないと考えたいですがね。みな信用出来る相手のはずですし、一番短い付き合いのアクセルですらこの国で生まれて三十年ですから」


「……そうね、考えたくないというのが正直な感想かしら。私だって、全員が子供の頃から頼りにしてきた相手だし」


「強いて言えばアクセル以外はこの国の出身ではないということですかね、とはいえ、祖国が残っているのは一人だけです」


 キズナは二人の話を聞きながら、話題に上っている人物たちの顔を思い浮かべる。


 フィリップとは、最初にこの家のことで世話になって以降も、時折顔を合わせて会話している。柔和で話しやすい好人物だ。


 アクセルに持つ印象は野蛮の一言だ。あまり知恵働きが出来る人間にも見えない。


 スラッシュに関してもアクセル同様よくは知らない。そもそも見かけること自体が少なく、時折兵の訓練をする様子が見られるアクセルと違い、どこで何をしているのか全く分からない。


 そして、ダフについて思い出すのは、先日の対話だ。


 英雄の資質を語る彼の言葉は、この数日キズナの頭から離れてはいない。


 どの人物についても、やはり詳しくは知らないのが精々の印象でしかなく、キズナは自分の考えられることは恐らく少ないだろうと結論づけ、軽くため息をついた。


「……あなたの勘も少しは当てにしたい所だったけれど、その様子じゃ無理そうね」


「そりゃ、当てずっぽうで適当な事は言えないだろ。俺はあいつらのこと何も知らないし」


「当然です。勘のよさ位しか取り柄がないとはいえ、余計なことを言って引っ掻き回されても困るですから」


「悪かったな、取り柄がなくて」


 それからリィナとソニアの二人はしばらくの間対応策などを話し合っており、キズナはその場に残りはしたものの、殆ど話し合いには参加せずにオードルを啜っていた。


「それでは、私はとりあえずフィリップを探るですよ。考えたくないですが、何かを画策するのに一番向いた人間ではあるですし、疑いを晴らせれば一番心強いので」


「そうね……私は、ひとまず様子を見ながら全員に目を配っておくわ。……それと、周辺の地域で帝国の動きがないかも見ておく」


「……そうですね、絡んでくるとすればまずそこでしょうから。それに、一番考えやすい可能性のこともあるですし」


 何か思わせぶりなことを口にして、ソニアは家をあとにした。


 リィナと並んで見送るキズナの目にも、その雰囲気にはいつもの苛烈さの影がなく、僅かに重い空気がまとって見える。


 数十年以上を連れ添った相手に、疑いの目を向けなければならないというのは、およそどういった気分なのだろうかと、キズナは考えずにはいられなかった。


 そしてそれは、隣にいる少女に対しても、同じことが言えるだろう。


「なによ」


 キズナの不躾な視線を感じとったのか、リィナがわずかに目を細めてキズナを見やる。


「いいや……なんでもない」


 何かを言うだけ、的外れになりそうな気がして、彼は口をつぐんだ。


「……そう」


 リィナは生返事を返して、家に戻る。キズナもそれに続き、玄関の戸を閉めた。


 こうした時に、何も言えない自分をわずかに恥じながら。

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