第九話 英雄の資質

 キズナたちが森から帰還したのは、すでに日が暮れ始めた頃だった。


 リィナとラクは二人揃って言葉少なだが、リィナはそれが普段通りであるのに対し、ラクまでそうであることはキズナにとって全く慣れないもので、同じ様子なのに対照的に感じるという違和感がある。


 言うまでもなく先ほどの事が影響しているものだろう。


 ラクは、先を歩くリィナの方へ時々やるせの無いような表情を向け、何事か言おうとするものの思い直す、とでもしているかの様子だ。


 そしてキズナ自身も、先ほどの自分の態度を省みては、あの場で行動しなかった事を悔やんでいる。


 自分は、助けられる人間を、助かるべきでないと選んだのだと。


「……二人とも、あいつらがどういう存在かは聞いたかしら」


 リィナは二人の態度からその感情のさざ波を感じ取っていたようだが、敢えてそれには触れずに、別の話題を切り出す。


「……確か、シュウキヒ? とか言うやつの配下だったか」


「そう、十二神獣が一体……あれに関しては一人の方が正しいわね。猿の王国の母、忌むべき淑女、清廉なる毒婦、彼女を表す言い回しはいくつもあるけど、一つとしてろくなものはないわ。そのシュウキヒの配下の、末端も末端が彼女たちよ」


 彼女が例のごとく滔々と語る。


 普段の口数が多いわけではない彼女だったが、何かの知識を披露する際には、その弁舌は淀むことなく出てくる。


「一体じゃなく一人? 神獣ってくらいだから獣なんだろ、あの狼みたいに」


「いいえ、彼女は人間よ。人間より人間らしい、どうしようもない人間」


「妙な言い回しをする」


 まるで、彼女自身にそのシュウキヒとやらとの接点があるかのように感じたキズナだが、そのシュウキヒがこの森を狙う存在ならそれもあり得るのかも知れないと考えた。


「じゃあ、なんで神獣なんてものに数えられてる?」


「それは、彼女から生まれるのがあの大猿たちだから。正確には彼女の生む子らより更に生まれたものが、あなた達がさっき相手にしたものなのだけれど」


「ふうん、ややこしいな」


 つまり、人でありながら獣を生む異常を抱えた存在ということだろうか。


 それだけ聞けばどうにも不憫な話にも聞こえてしまうが、リィナの態度からはそうした色は伺えなかった。


「それで、なんでそんな連中がこの森にちょっかいかけてくるんだ? ダインのやつは時期がおかしいとも言ってたが」


「それは、そのシュウキヒと大婆様にはちょっとした因縁があるらしいの。詳しくは聞かせて貰えないのだけれどね」


「因縁ね……まああの狼の物言いならあり得そうだ」


「時期に関しては、私としてもおかしいと思う。もしかすると…………いえ、今は憶測でものを言うべきじゃないわね」


 会話を続けながらもキズナは、先ほどから無言のまま話に入ってこないラクの方へ視線を向ける。


 彼は俯きがちに視線を迷わせており、普段の陽気すぎる様子とはやはりかけ離れている。


 不意に、キズナとラクの視線がかち合った。


 ラクはふっと笑顔を作って見せたが、それはやはりいつものそれとは違い力を感じない。


「なんにせよ、迷惑な話──」


 言いかけたところで、キズナはラクがそれに対してわずかに顔を歪めたのを見つけてしまった。


 そこに至って初めて、ラクがこの会話に参加する。


「犠牲が出てるんだよ、キズナ。迷惑なんて軽い言い方……」


「悪い、不謹慎だったかもしれない。でも──」


「そうなったのが彼らだから別によかったかい?」


 キズナは無言になる他ない。


 だってそれは、どうしようもなく図星だったからだ。


 それから先は、やはり会話もないままに歩いた。


 三人は村へ戻ると、事後処理のために動きまわっているダインと遭遇する。


 リィナは彼と合流し仕事に戻ってしまい、キズナは気まずいままラクとその場に残されてしまった。


「ぼく、怪我人の治療を手伝ってくるよ。治癒魔術も少し覚えたんだ、多少は役に立てるはずさ」


「いや、お前も怪我してるんだし休んでおけよ」


 キズナの慮る通り、ラクの怪我は必ずしも軽いとは言えないものだ。


 リィナに治療は施されているが、この世界における治癒魔法というものはそこまで万能ではなく、すぐに何でも完治する類いではなかった。


 キズナの持つ再生魔法や、ガンズの炎が外れ値なのである。


「平気さ……誰かの役に立ちたい気分なんだ。キズナこそ休んでおきなよ、君の方がたくさん働いたんだから」


 ラク自身、その言葉が的を射ていないことを自覚しているのだろう。キズナには顔を向けず、斜めに背を向けてそう口にした。


 キズナとラクでは、そもそもの体力や膂力に差がある。ラクの働きぶりも、その結果に差があったとしても決して疲労度に差はない。


 むしろラクの大健闘もあり、キズナの方が体力など有り余っているくらいだった。


「……誤解しないでほしいんだけどね」


 背を向けるラクにわずかなすれ違いを感じ、何も言えないキズナに、ラクは振り返って微笑みを作る。


「君がぼくのために怒ってくれたことを、間違っていると言うつもりはないんだ。ありがとうね」


 気を遣うようなその言葉に、キズナは言葉に出来ないような、静かな怒りを自分へと向けた。




            ◇




 シュウキヒ配下の襲来から数日が経ち、キズナは一人、週に二日設けられた休日の片方を散歩に費やしていた。


 あれからラクとは少しぎこちなくなっており、今日は用事があると嘘をついて一人の時間を作ったのだ。


「あの連中、今頃どこにいんだろ」


 道中で見つけた人気のないベンチに座り、呆けた顔で空を睨みながら、彼はひとりごちる。


 自分がそれをよしとしたせいで、彼らに訪れる苦難を、自分に傷として残そうという無意識の言葉だった。


 キズナは、彼らのことが嫌いだった。


 自分にとって、随分と久しぶりに出来た友人であるラクを苛もうとする、どうしようもない連中。


 それが想像するのもおぞましい目にあうのを、いっそ喜べばいいものを、彼はそれが全くできずにいる。それどころか、自分の犯した大きな過ちとして、ここ数日の思考を支配し続けていたのだ。


 彼は、自分を正当化出来る理由をどうにか見つけようとして、味方する人間の言葉を振り返っては、やはりうまくいかずに呆然とするばかりだった。


 しかし、そんな風に呆けている彼のもとに、ひとつ大きな気配が近づく。


 彼は、わずかに身を震わせ、その気配のもとへ視線を向けた。


「ほう、気の抜けた様子かと思えば、案外敏いようだな」


「あんたは……」


 キズナが振り向いた先に居たのは、ガンズに次ぐほどの大男だ。


 二メートル半はあるだろう背丈と岩石のような太い体躯に、禿髪で鋭い目をした男だった。


 大男はキズナを品定めでもするかのように見下ろし、顎に手を添えて「ふむ」と口の中で漏らす。


「やはり、貴様が例の召喚者か。先の愚猿戦では活躍したそうだな」


 愚猿というのは、シュウキヒ配下の俗称である。


 各地で人攫いを行う悪名は世界的に知られており、そう呼びはじめた人々の恨みの念がこもった呼び名であった。


「別に、大したことはしてない…………あんたは?」


「我はこの国の守護者が一人、ダフ・アンガーマンという」


 守護者というのは、この国における最高戦力の五人を指す称号だ。戦を先導する立場にあり、その中にはリィナやフィリップも含まれているという。


「既にアクセルやスラッシュとは会っているのであろう。やつらは貴様を疫病神が来たと評していたがな」


「あー、あの裁判というか、意外とあっさり終わった話し合いの時の……」


 野蛮な犬耳の赤髪と、酷薄な小柄の青髪、キズナがそうした印象を抱いた彼らのことだと、彼は思い出す。


 そんな印象の彼らだったが、そのような高い立場にいたことを彼は今初めて知った。


 そうは言っても、その存在としての格の違いは、その時点で既に感じ取っていたのだが。


 キズナが視線を斜めに向けて思い出す顔をしていると、不意にダフと名乗った男が彼の隣へやってきて、ベンチの空いた場所に腰を掛けた。


「え」


 想定されていない重量に哀れな木材が悲鳴を上げるが、ダフは気にもせずに腕を組んで背もたれに背を預ける。


 当然背もたれのサイズが合わず、背中の下半分のみを預ける格好だったが。


「なんだ、俺が座っては不味いか?」


「い、いや……それはこの可哀想なベンチに聞いてほしいけども……」


 急激に圧迫された尻の面積に緊張感が生まれ、キズナは気まずさのあまり声が上ずりそうになった。


「そ、それじゃあ俺はこの辺で……」


「何を言う、少しくらい堪え性はないのか」


 逃げようとしたところを引き留められてしまい、彼は浮かせた腰を苦い顔でベンチに戻す。


 ダフは満足げに鼻を「ふっ」と鳴らして、腕を組んだままキズナを横目に見る。


「それで、何をそう浮かぬ顔をしているのだ」


「い、いや、別に大したことじゃ……なくもないけど」


「いいから話してみよ」


「お悩み相談はじまったの?」


 初対面の大男に話す事だろうかと彼は躊躇うものの、ダフは無言でキズナの次の言葉を待つのみであり、キズナは少し考えたのち、ぽつぽつと語りはじめる。


「……助けられるやつらを、助けなかったんだ。どうしようもない連中で、なのに……そいつらに酷い目に合わされたやつが、それは間違ってると」


「ほう……貴様はそれを後悔しているのだな」


 こくりと、頷いて見せるキズナ。


 見知らぬ相手に何を話しているのかという気になってはいたが、あるいは見知らぬ相手だからこそ話してしまっているのかもしれない。


「ならば、それは確かに間違っている。英雄にならんとする人間が救う相手を選ぶなどとは、言語道断である」


 そして、ダフから出てきたのは厳しい言葉だった。


 この話をした時、ダインは仕方がないと言い、リィナは合理主義を取った。


 だが、横に並ぶこの男はそれを許さない。


「英雄の資質とは、他者を救うことに躊躇いを持たないことだ。貴様は、救うべきか否かを己が基準で選別した。そんな人間は、英雄足り得ない」


「あ……」


 キズナはそこで思い出した。


 ラクが以前に、自分を他者を救うのに躊躇わない人間だと評したことを。


「そうか……だからあいつは」


 何事かに気づいたキズナに、ダフはちらりと横目に視線をこぼしたのち、話を続ける。


「救いを必要とした誰もが、それを可能とする側にとって、救いたい形をしていることなどあり得ない。貴様は、今まで会う人間誰しもに好意を持ってきたか?」


 それは、キズナにとって否だろう。


 むしろ、人というものに自分が抱くのは、複雑な感情の方が多かったはずだ。


「違うだろうな。しかし貴様は力を持っている、救える立場に置かれている……だが、それが必ずしも英雄にならなければいけない理由にはならない」


「それは……どういう」


「英雄とは、なるべき人間が収まるべき椅子なのだ。考えの足りない人間がその椅子に収まれば、それはある種悪人よりたちが悪い」


 キズナは、ダフの考えにわずかに疑問を持つ。


 しかし、その言葉の意味するところに、納得がいく部分が無いわけでもなかった。


 ダフは、その大きな身体を持ち上げ、ベンチから立ち上がる。


 項垂れてより迷いを深くしたキズナを一瞥し、鋭い目を光らせた。


「貴様が無理に、英雄になろうと思う必要はない。貴様がならずとも、それに足る人間はこの世界にはいくらでも存在するのだからな。ゆめ忘れず、己が分を果たせ」


 ダフはその言葉を最後に、その場を去っていってしまった。


 キズナは、彼の言うことと、ラクの言ったことを頭の中で反芻する。


 しかし、今の自分には答えが出せそうもなく、そのままベンチにしなだれるように身を預けて、空を見上げながら、雲と青を呆然と眺めた。


「わっかんねえな……」


 自分はどうしたいのか、どうすればいいのか。


 それが、分からなかったのだ。

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