第二十二話 生きることを選んで

 どうして、自分の人生はこうなのだろうか。


 一体何の罰が下って、こうまで苦しまなければならないというのか。


 確かに自分は、褒められた人間ではない。


 性格にだって難があるし、人付き合いも下手だ、自分のせいで誰かが迷惑を被ったことも、嫌な思いをしたことも何度あっただろうか。


 けれど、だからと言ってこうまで苦しまなければならない理由になるのだろうか。


 ナモリキズナは、自分を不幸だとは思わないようにしてきた。


 それでは、自分のせいで命を落とした人々を侮辱することになるから。


 けれど、それも最早限界だった。


 終わりにしたい、何もかもを。


 全部手放して楽になりたい。


 なのに何故、その選択すら奪われなければならないのか。


 どうにもならなかった、彼にはどうにも出来なかった。


 だから、彼が一人で怨念に勝てる未来など、あるわけがなかったのだ。



            ◇



「やはり、駄目かの」


 隣の部屋から、叫び声を上げ続けるキズナを見ているリィナの横に、ゲオルクが並んでそうひとりごちた。


「やはりって、なんですか」


「当然じゃろ。数万に及ぶ死者の怨念に、あのような弱りきった男が勝てる筈もない。こうなるのはお主も分かっておったろう?」


 リィナは、その言葉にゲオルクを睨み付ける。


 ならばどうして、この奇人はこんな儀式を行ったのか。


 それも、彼女には分かっている事だったが。


「今の状態であれば、やつを殺せばそのまま怨念も滅びるじゃろうて。魔法の正体も分からぬまま殺すなど勿体ないがの、流石のわしとて、怪物を解き放つつもりはない」


 リィナは、窓の向こうで苦しみに悶え続けるキズナに目を向ける。


 彼の身体からは、可視化されるほどの魔力の奔流が迸っていた。


 部屋の中は壁や天井が軋んで唸りを上げ、床も地鳴りのように悲鳴を上げている。それどころか、中心にいる彼の周囲にはひび割れすら見え始めた。


 特別な実験を行うために、特殊な金属を魔法で加工した部屋だ。その強度は世界樹に最も近いものの一つとさえ言われている。


 それがああまで耐えきれずにいるのなら、その奔流に直接魂を侵されている彼の苦痛はどれ程のものになるだろう。


「あの怨念がやつの身体を奪えば、周囲のものを構わず殺し始めるじゃろう。そして、その魂を取り込んでどこまでも存在を拡大させていく。下手をすれば、この国は勇者ではなく魔王を産み出しかねん」


 リィナは、手足を振り乱し、打ち付けた額から流す血にまみれて、叫び続けて血を吐き出す彼に、祈るような目を向けている。


 どうにかして、打ち克ってはくれないかと。


 自分は、彼との旅に出るために、今まで生きていたというのに。


「リィナよ、それは無理じゃ。やつが勝てることは最早ない。あれの結末はもう決しておる」


「そんな……ことは!!」


「無理と言っておろう!!」


 ゲオルクが、声を荒げてリィナを叱責した。


 感情の殆どを既に捨てている奇人には、似つかわしくない怒号だった。


「お主らしくもない。分かりきったことに駄々をこねるなど」


 そう言って、ゲオルクは引き出しから一本のナイフを取り出した。


「せめて、終わらせるのはお主の手に委ねてやろう」


 ゲオルクがリィナの前にナイフを渡そうと差し出してくる。


 リィナはそのナイフを、悔しげに睨んでただ眺めていた。


「どうした、やらんのならわしがやるぞ」


 リィナは歯を食い縛ってうつむき、手をふるふると震わせている。


「ふむ、お主もまだ子供じゃったか、忘れておったよ」


 リィナは、ゲオルクの言葉に強い反発を覚える。


 子供であるか否かなど、この選択には関係ないだろうと。人間性を魔術によって捨て去った老人に、そのような事を言われたくはなかった。


「このナイフはの、二つの魂を一つに結びつける力を持った魔道具じゃ。これでやつの心臓をひと突きにせい、それであやつの苦しみを終わらせてやる事が出来る。せめて、お主がやりなさい」


 ゲオルクが、再度ナイフをリィナに差し出す。


 リィナは、そのナイフをはっと眺めて、そして受け取った。


「分かりました」


 急に態度を変えたリィナに、ゲオルクが怪訝に片眉を上げてその目を見る。


「私が、終わらせてきます」


「待て、お主何を考えておる」


 ゲオルクの制止も聞かず、リィナはキズナのいる部屋へと繋がる二重扉のノブに手を掛けた。


「考えていることなんて、ひとつしかありません」


 一つ目の扉を開いて、二つ目のノブに手を掛ける。


「私は、責任を果たさなくちゃならない」


 ドアを開けた瞬間に、迸る魔力の奔流に立ち向かって、彼女はゲオルクに告げた。



            ◇



 キズナの身体の内側で暴れる怪物は、彼の精神をその怨念でぶつ切りにしてはぐちゃぐちゃにかき混ぜる。


 彼はその苦痛に耐えることができず、くずおれて叫び続けていた。


 そして、すがるような目を向けて、部屋に入ってきたリィナに懇願する。


「ころ、してくれ……俺を……殺してくれ!!」


 本心からの願いだった。今の瞬間に、彼の人生で経験してきた苦しみの全てが凝縮されているようで、彼はその苦しみからなんとしてでも逃れたかったのだから。


「いま……俺を殺せば、中の怪物も一緒に滅びる筈だ、それが出来るなら目的は果たせるだろ……! 俺はもうずっと、死にたかったんだ、一人で死にたかったんだ! 今それを与えてくれ!!」


 泣きそうな声で叫ぶキズナ。どの道、既に作戦は失敗と言える。この状態から彼が怪物との主導権争いに打ち克つことは不可能だろう。いずれ彼の魂は消滅し、怪物に支配された成れの果てがそこに生まれる筈だ。


 リィナは、そんな彼の元に歩を進め始めた。その右手にナイフを携えて。


 一歩、また一歩と自らに歩み寄るリィナを見て、彼は小さな安堵と、僅かな虚しさを覚えた。


 どうあれ、自分の人生がここで終わるのだと。この苦しみから、ようやく逃れられるのだと悟って。


 しかし、リィナはその手にもったナイフを、自分の左手首に添え、あろうことか切りつけた。


「な…………!!」


 瞠目するキズナを見据えながら、彼女はその手首をくわえこむ。まるで、そこから流れ出る血液を口に含むように。


 そして彼女はナイフを投げ捨てると、跪くキズナの前に自らも跪き、その頬に手を添える。


 そして、彼の唇に口づけをした。


 キズナの身体から溢れ出る魔力に二人の髪がなびき、両者の口の端から彼女の血が滴り落ちる。


 やがて唇は離れ、キズナは呆然とした表情で彼女を見つめた。


「お……ま、何を──」


「生きるって、言いなさい」


 キズナの言葉を遮るように、彼女は彼の目を見据えて口にする。


「どれだけ苦しんできたか、独りで傷ついてきたかを知っている。先の見えない絶望のなかで、あなたがそれでも戦ってきたことを知っている」


 今この瞬間も滂沱と溢れ出る苦痛と怨念の中で、それでもキズナは彼女の言葉だけが、世界に存在している錯覚を覚えた。


「そんな戦いの果てに、あなたが疲れきってしまったことも、希望を見出だすことが過ちのように思えている事も知っている。けれどそれでも、生きるって言いなさい」


「俺は……けど……!!」


「生きるって言え!!!」


 彼女が初めて見せた激情に、彼は頭が真っ白になるような思いでいた。


「私にそれを言える資格なんてないかもしれない、あなたの苦しみを本当に理解できる人間なんて居ないかもしれない! 都合のいい救いなんてものは存在せず、あなたのは完全に無くなることはもうないかもしれない! けど!」


 唇を噛みきりそうなほどに噛んで、それから息を吸って、彼女は彼の目を睨み付けながら言う。


「生きることを選んで!! 助けてほしいって言え!!!」


 キズナは、知らずのうちに泣き出していた。自分の情けなさすら考えられずに、この葛藤を逃れることが本当に正しいのかと、地面を見つめて考えた。そして──



「──生きたい、助けてくれ……!」



「わかった、任せて」



 リィナは彼の顔を両手で掴むと、その顔を自らに向かせ、額同士をくっ付ける。


「さっき飲ませた私の血で、今私たちには魔力の経路が出来かかってる。あなたが意識すれば、それが確立される」


 先程の口づけの意図を彼女は説明する。


 もっとも、彼には自分の吐き出している血と、彼女のそれは区別がついていなかったが。


「私のそれに合わせて、深く呼吸をして。そして、心臓の鼓動を感じ取って。魂の波長を、合わせて」


 キズナは言われるがまま、その目を閉じてリィナの息づかいを探り始めた。


 すぐ目の前にいる彼女の呼吸ですら、この苦痛の奔流の中では遠く感じる。


 しかし、どうにか探り当てて、その脈動を、魂の出す音色を探し始める。


「そう……そのまま、私のことを自分だと思って」


 キズナの身体の中に、苦痛とは別の熱が生まれてくる。


 それはじんわりと身体の中に広がっていき、苦しみを徐々に癒していく。


 そして、掴んだ。彼女の魔力を、その魂の糸を。


「ぐっ……!!」


 リィナが、苦しげな声を放って呻く。


 その様子にキズナは集中を乱しかけるが、リィナがぐっと彼の肩を掴んで引き戻す。


「大丈夫だから集中して。二人がかりで、魔力を浄化するの」


 キズナは、僅かに葛藤を覚える。


 自分の苦しみに、他人を巻き込んでも良いものかと。


「馬鹿ね」


 だが、魂で繋がっているリィナにはその考えが筒抜けだった。


「私が、いいって言ってるのよ。私が、自分で選んだの。あなたはその選択を信じていい」


 キズナは、額を合わせた目の前の彼女の顔を見た。


 その表情は、僅かに微笑んでいた。


「ずっと言いたかったんだけどね」


 例えようのない苦しみの中で、それでも彼女は笑って言った。


「あなた、もうちょっと人を頼りなさいよ」


 まるで、失敗した友人を諭すような、からかうような言い種で、笑って見せる彼女に、その瞬間彼がどれだけ救われたのか。


 それは、彼にしか分からなかっただろう。



            ◇



「無茶をするのお~」


 魔力の奔流が収まり、静けさを迎えた部屋の中心、そこに倒れている二人を見てゲオルクが呟く。


「下手をすれば共倒れじゃというに、よくもまあ危ない橋を渡りきったの」


 二重扉を開いて、ゲオルクが二人を回収する。


 リィナの方は手で抱えて、キズナは魔法で浮かせて運んだ。


「でも、ま」


 腕の中のリィナに、老人が優しげに目を細める。


「よくやったの、でかしたわい」


 それは、まるで誇らしげに孫を褒めるかのような、穏やかな声音だった。


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