第十八話 明日の朝食
キズナが異世界に来て十日目、彼は今悩んでいた。
「折角魔力なんてものがある世界に来たのに、なんで俺には子犬程度しかないんだよ」
ソニアからの一方的な暴力になす術なく敗れて以降、彼は本腰を入れて魔力の訓練を行っていた。
リィナから渡された日本語で書かれたテキストを読み込み、彼女の手が空いている際には直接指導して貰いながら魔力というものの要旨を掴もうとしているが、全くといっていいほど手応えがない。
「あいつが言うには、俺自身が既に持ってる魔力は全部扱えてるらしいけど、その魔力自体が少ないって……」
ちなみに、彼には魔法や魔術も扱えなかった。それに関しては魔力容量の問題ではなく、適正自体がないということらしい。
「なんか、いいことないな。……このままじゃあの連中にもソニア相手みたいに」
キズナは座禅を組んだ瞑想の姿勢のまま、腕を組んで唸りながら項垂れてしまう。
リィナの言うには魔力の鍛練には瞑想により魔力を感じとるのがいいとの事だったが、これにも全く手応えは感じていない。
要は手詰まりだった。
「何をうんうん言ってるのよ。魔力と対話しろというのはそういうことじゃないのだけれど」
二人の住む家の庭、その地面に座り込んでいるキズナにリィナが後ろから声をかけてきた。
どうやら、今日の講義とやらが終わって帰ってきたらしい。
気が付けば既に森の中にも夕焼けが差し込んできており、辺りは薄暗くなっていた。
手応え自体は全く感じていないが、集中はしていたようだ。食事の仕込みをした昼過ぎから何時間も経っていることに、彼は気が付いていなかった。
「ああ、お帰りハニー。お風呂にする? ご飯にする?」
「ハニーじゃないけど、先に食事がいいわ」
キズナの軽口に、リィナは素っ気なく端的に返す。彼女とのこうしたやり取りの気安さはキズナにとっても割合気楽な部分だと感じる。
ここでの生活が固まって来はじめて以降、衝撃のディストピア定食を提供したリィナに代わり、今はキズナが食事の用意を担当していた。
この世界の食材は地球と似たものも多いが、微妙な差異があり、となれば当然火の通し方などの注意事項も変わる。
そのため最初はリィナに任せるか、砦の食堂を利用していたキズナだったが、彼は元々料理は自分で行う性格だった。
それを担うために彼は暇な時間、中央の商店街に出て食材の扱いなどを聞いて回るなどしており、その成果もあってかこちらの世界でのレパートリーも徐々に増えつつある。
「あいさ了解、仕込みは終わってるからすぐ出せるよ。日本人としちゃ米がないのが辛いが」
異世界あるある、米がない問題はここウルフェムラでも例外ではない。話によればこの世界自体には存在し、そう遠くない場所に主食とする地域はあるそうだが、この国においては残念ながら定着しなかったそうだ。
「いいけど、ちゃんと手は洗ってよね。地べたに座ってるんだから玄関上がる前に土も落としなさい」
「ハニーじゃなくて母ちゃんだった……」
「はっ倒すぞ」と脅しにかかるリィナに手を擦り合わせて命乞いのポーズをしたのち、キズナは立ち上がって言われた通りに尻をはたく。
洗面室で手を洗ったのち、厨房に立って手早く用意を済ませていく。
塩水に浸けて臭みをとっておいた魚をフリットにしてソースをかけ、付け合わせの芋と根菜のコンフィ、ほうれん草のような葉ものを茹でた和えものを添える。
更にスープとパンを温め、サラダを盛り付け、食器類も並べれば食事の用意は完了だ。
「はいどうぞ、おあがりよ」
「ええどうも。……それにしてもやっぱり無駄に手慣れてるわね、いやにクオリティ高いし」
「食事はまあ、大事だろ? 楽しみも手持ちも少ない生活してたからな、料理は自然と覚えた」
「コメントに困るわよ……」
キズナは悲しい身の上に涙を拭くジェスチャーをしながら語るが、リィナの反応は悩ましげだ。
こちらの世界ではそうなのか、それとも彼女がそうした習慣を持たないのか、特に食前の礼などは口にせず彼女は食事を口に運び始める。
キズナの方はというと、別に気にするわけでもないが一応小さく「いただきます」と手を合わせてから、食事をはじめた。
食事の際の会話の内容は、主に他の候補生の様子や、魔法に関する授業の延長戦だ。
候補生の様子はともかく、魔法の講義も食事中くらいは勘弁してほしいと思わなくもないキズナだが、ソニアに叩きのめされて以降は一応真面目に聞いている。
「そんな感じで、候補生の中にも基礎的な魔法を覚え始めた人が出てきてるのよね。やっぱり異世界人は魔法への適正が高いみたい」
「へー、そりゃ羨ましいことだ」
魔法というものを再生以外で扱えていないキズナとしては、なんとも歯がゆい話であった。
彼としてもやはり、親しんでいた漫画のように魔法で火や風なんかを扱ってみたいというちょっとした好奇心はあり、それが出来ている他の候補生が羨ましいというのも本心である。
「……まあ、そうは言っても戦いにおいての心構えがなければ持ち腐れだし、彼らの課題はそこじゃないかしら」
「ん? 変に気を遣わなくてもいいぞ、らしくもない」
明らかに戦うことへの才能やその心構えはキズナが勝っていることに対して気遣ってか、リィナの付け加える言葉にキズナがそう反応する。
リィナはフォークで芋を突き刺して、不満げな顔で口に放り込み、小さな口で咀嚼して飲み込んだ。
「……気を遣うのがらしくないなんて言われるのは普通に心外ね、私は気遣いの鬼よ」
「天使じゃなかったのかよ」
「そうね、気遣いの天使よ」
「めちゃくちゃいい子にのみ許される呼ばれ方だ」
思わず笑ってしまったキズナに、リィナは「ふん」と鼻を鳴らして得意気である。
天使というのは彼らが初めて会話を交わした際のやり取りだ。それを思い返すと、自分がこうして人と打ち解けているのは不思議だとキズナは感じる。
まるで、昔からの友人のような気楽さがあって、そうした相手がいない彼には未知の感覚であり、それが心地いい。
「まあ、前に私自身が釘は刺したけど、本当のところそこまで悲観することもないとは思うわ」
「ん、なんで?」
魔力が増えていないことが問題だと最初に言ったのはリィナだ。それが悲観するべきでもないとはどうした理屈だろうか。
「あなたの持つ魔法、再生魔法も
願阿魔法はともかく、再生魔法はキズナの持つ唯一使える魔法だ。確か前に、彼女が治癒系統では最上位と言っていたことを彼は思い出す。
「じゃあ俺も、そのうち手の平から炎を撒き散らせるようになるってこと?」
キズナが若干の期待を寄せてリィナの目を見る。しかし彼女はふいっと目線をずらし、少し考えるような素振りをみせた。
「いや、それはどうかしらね……魔法そのものへの適正はあまり後から身につくケースはないから。魔術の手順を踏んでもほんの灯火程度もつけられないなら、ちょっと望み薄かしら」
キズナは期待を外されてがくっと首を落とす。てっきり自分も最初の夜に見たような炎を出せるのだと思ったからだ。
「ただ、それも現状では分からないとは言えるわよ。あなたの持つ魔法の正体が分かれば、それ経由で使える可能性だってあるし」
望みを繋ぐようなことを言われたキズナだが、それに関してはあまりいい顔はできなかった。何しろ、あの魔法は出来ることなら綺麗さっぱり消えてほしいとすら思うものだからだ。
リィナもそれを察したようだが、あえて何か言うことはしなかった。淡々と事実を述べたのだろう。
「ともかく、今は先生の解析を待つしかないわね。最終的に魔法を自覚するのはあなた自身になる筈だけれど、そのヒントがあってもいいと思うし」
「それはまあ……そうだな。あいつが本当に信用できるならだけど」
キズナは話題に上った奇人の顔を思い浮かべて、若干の渋面を作る。
ただ、このリィナがそれほど能力を信用しているなら、確かにそこにおいては頼れるのだろう。
「正直、この呪いがどうにかなるのは想像つかないんだけど、あの老人はともかく、お前のことは信用できると思ってるよ」
「そ、ならいいわ」
食事もあらかた済んで、リィナが食器を流しに下げにいく。
その後ろ姿を少し追ってから、キズナはぼんやりと天井を見上げた。
「やっぱり、想像つかないよなぁ……」
彼は呪いがなくなった生活を少しだけ思い浮かべようとして、やはり諦めた。
そんな生活は、彼にはもう思い出せなくなっていたからだ。
◇
時刻は過ぎ、既に夜の帳が降りてから数時間が経過した。
二人は入浴も既に済ませており、いつでも寝れる状態だ。初めは多少のぎこちなさがあったキズナだが、既に彼女と同室で眠ることには慣れてきていて、特に気にすることもなく眠れていた。
あるいは、これが別の相手であればそうはならなかったかもしれないと考えたものの、それを口に出すことはないだろうと彼は思う。
すると不意に、リィナが腰かけていたベッドから立ち上がり、部屋の入り口に向かった。
「ん、どっか行くの?」
「なにを言わせたいの、気の遣えない男ね」
どうやら手洗いに行くようだった。流石にデリカシーがなかったと反省したキズナだが、この辺りは彼の人間関係の希薄さがそうさせたものと言えるかもしれない。
迂闊な自分の口を結んで、彼は手元にあった児童書に視線を戻す。
文字の習得のためにリィナに頼んで読み始めたもので、ここしばらく何度か繰り返し読んでいるため内容もそろそろ頭に入ってきている。
リィナお手製のテキストも用いて書き取りなども行っているため、簡単な文字や単語は少しずつ身についてきた。
彼は学校の勉学にはとんと縁がなかったものの、読書はそれなりに好んできたために、文字の学習はさほど苦でもない。しかし音を拾おうとすれば脳内で日本語に変換され発話してしまうため、若干の矛盾を生んでいる。この点においては自動翻訳の苦しいところだ。
何度目かに読み終えた本の結末に満足げに息をつきながら、本を閉じてそのままベッドへ仰向けに寝そべる。
そんな時間が少し愛おしくて、これが読書の醍醐味だと彼は考え、それを素直に受け止められている自分に少しだけ考えを巡らせる。
この一年ほどは特に、そうした心の余裕すらなくしていたのだから。
すると、部屋の戸が唐突にノックされる。
リィナが戻ってきたのだろうか、しかしそのまま入ればいいのを、何故戸をノックする必要があるのだろうと、彼は不思議に思った。
「どうした、別に変なことはしてないぞ?」
戸を一枚挟んだ向こうにいるのは、リィナだろう。玄関の扉が開いた音はしなかったので、来客もないはずだ。彼女は少しだけ沈黙した後、その涼やかな声を発した。
「流石にそうだと思っているけれど念のためね、取り敢えず開けてくれる?」
「……なんだ、手でも塞がってるのか?」
「ええ、そうなの。下でコップに水を汲んできたから、手が塞がってるの。早く開けて」
キズナは、寝転んでいた姿勢から身体を起こし、戸の方向を見つめる。
「水を汲んだって……あー、二人分汲んだから手が塞がってるって、そういうこと?」
「そうよ、別におかしいことじゃないでしょ。気を遣ってあげたんだから感謝しなさいよ」
「そうか、気遣いの天使だもんな」
「……なにそれ、下らないお世辞は使わなくていいから、早く開けなさい」
キズナはベッドに腰かけて部屋の戸を見つめたまま、少しの間無言になる。
そして、不意に彼女に質問を投げかけた。
「なあ、そういえば明日の朝食ってどうするんだっけ」
戸の向こうにいるリィナは、自分の頼みを無視して無関係なことを言い出すキズナに少し苛立たしげな気配を発していた。
「どうするって、別にいつも通りパンと果物かじるだけでしょ。いいから早く開けなさい」
その息づかいが若干の威圧を見せるが、キズナはその場から動かず、静かに口にする。
「そうか、じゃあ……お前を入れることは出来ない」
「はあ?」
戸を隔てた彼女の気配が、濃密に怒りを孕み始めた。その気配はヒリヒリとキズナの肌をひりつかせるが、やはり彼は動かない。
「なに馬鹿なこと言ってるの。早く開けなさいよ、いつまで立たせてるつもりなの」
キズナは、その言葉に返答することをやめた。
無言で、わずかに息を飲みながら壁と床の隙間を眺める。
「開けなさい、はやく、あけなさい。あけろ」
リィナの声が、徐々に怒りを大きくする。
「あけろ、あけなさい、あけて、あけろよ」
キズナは、じっと目を瞑って動かないまま、心を蝕まれぬよう無心にならんと思考を空白にする。
そして、部屋の戸がガタリ、ガタリと揺らされ始めるのを、知らずに唇を噛んで意識から除外しようとした。
「あけろ、あけて、はやくあけて、あけろよ、あけて、あけてって、なんであけないんだよ、あけろっつってんだよ、ふざけんなよおまえ、はやくあけろ、いますぐあけろ、あけて、あけてよ、あけろ、あけろ、あけろ、あけろ、あけろ、あけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろあけろよォ!!」
壊れたラジオのように、同じ言葉を繰り返す戸の向こうの何かは、戸板を壊さんとばかりにガタガタと揺らし、叩く。
凄まじい音で戸板が軋むが、その何かが部屋に入ってくることはない。
だからこそ、絶対に開けてはならない。
それをしてしまえば、確実に命がないことが彼には分かっていた。
「あけろ! あけろってんだよ!! ふざけんなよあけろよ!! あけろ!!! あけろ!!!」
何かは依然として、わめき声を上げながら戸を叩き続ける。
キズナはそれを無言で唇を噛んで聞きながら、じっと耐え続ける。
◇
戸板の向こうに何かが来てから、およそ二時間が経過した。
状況を動かせないまま、壁にかかった時計の針がただ進むのを眺めてじっとしている時間は永遠とも思えるほどの苦痛だった。だかしかし、ようやくその何かは沈黙したようだ。
部屋には静けさが戻り、彼は部屋の外の気配を無言のまま探る。
彼は立ち上がり、部屋の入口の前に静かに立って、そのドアノブに手を掛けようとした。
しかし、ふと強烈にいやな予感がして、その手を引っ込めた。
「あけろよ!!!」
部屋の戸が一際大きな音を立てて叩かれる。
彼は、自分の内側から沸き上がる恐怖と緊張に飲まれないよう、生唾を飲んでじっと耐えた。
再び部屋には沈黙が訪れたが、彼はもう一度ドアノブに手を掛けることはしなかった。
沈黙に誘われそれを開いてしまえば、そこに立っているのが、一体何であるかは分からなかったからだ。
ノックをしたのに両手が塞がっているという矛盾、念のため決めておいた合言葉も知らず、つい先程の会話にちなんだ話も理解しない。
言うまでもなく、この戸の向こうにいるのはリィナではない。声音を真似ただけの別物だ。
彼はベッドに戻り、項垂れて頭を抱えた姿勢のまま眠れることもなく朝が来るのを待ち続ける。
そうして、ひたすら息を殺したまま、彼は長い長い夜を越えたのだった。
「あいつの方は、大丈夫かな……」
そんな、一抹の不安を抱えながら。
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