第三章 ガキ好きの理由

 ……ロッドが傷を癒してもらっている数時間前。


ーーーーーー


 薄汚れた屋根の上に、ひとりの男が寝転がっていた。

 猫のように気ままな姿勢で、真上の太陽を睨みつけるように仰ぎ見ている。

 その眼差しには、言いようのない苛立ちが滲んでいた。


 上半身は裸。細身ながら引き締まった身体は、無駄のない肉の下に芯の通った力強さを秘めている。

 幾筋もの傷が肌を走り、そのすべてが、彼の歩んできた荒れた日々を物語っていた。


 髪は蒼――空より濃く、海より深く。

 陽光を受け、淡く青黒く輝いていた。


 そのまま男は仰向けのまま、世界を拒むように、気だるげに息を吐いた。


「……なに見てんだよ、クソヤロウ」


 その呟きは、太陽に向けた苛立ちか、あるいはこの世界そのものへの悪態か。


「ヴァーガンディ! ヴァーガンディーーッ!」


 屋根の下から怒声が響く。

 がなり立てるような、喉を焼き切ったような声だ。男は鬱陶しそうに目を細める。


「……うるせぇな」

「いたか、てめぇ! こんなとこで昼寝とは、いい度胸してやがんな!」

「ねみぃんだよ。今。黙ってろ……」

「尻の青いガキが、偉そうにぬかしやがって!」

「青いのは髪だけだっての」

「いいから降りてこい! 仕事だ!」


 男――ヴァーガンディはゆっくりと体を起こし、伸びを一つ。

 そして屋根の縁に立つと、面倒そうにため息をつきながら、ひょいと飛び降りた。

 着地は音もなく、まるで獣のような柔らかさだった。


 地面には、腹の出た大柄な中年男が腕組みをして立っていた。

 名はザンパノ。アルファソンの有力者の一人であり、金と暴力を駆使して縄張りを仕切る男だ。


「で? 仕事って?」

「いつも通りだ。さっさと終わらせろよ」

「報酬は出るんだろうな?」

「ああ、心配すんな」

「で、殺していいのか?」


 その問いに、ヴァーガンディの瞳がわずかに光を失う。

 淡々とした口調とは裏腹に、そこには刃のような鋭さがあった。


「今回はダメだ。痛めつけるだけでいい」

「……了解。ザンパノ」

「“さん”ぐらいつけろってんだよ、このガキが!」


 この町――アルファソン。

 法も理性も意味を失った、終わった場所。

 ここでは、強さこそが正義。

 弱者は喰われ、敗者は利用され、使い捨てにされる。


 ヴァーガンディは、そんな町で生きる殺し屋。

 若くしてザンパノに雇われ、“刃”として数々の汚れ仕事をこなしてきた。


 二人が向かったのは、色街の外れにある古びた建物。

 かつて王国兵の慰み場だった場所は、今や罪人たちの私有地と化している。

 逃げ遅れた女たちは囚われ、商品として値踏みされ、飽きたら壊される。


「ここかよ」

「余計な口は利くな。中に入るぞ」


 扉をくぐると、すぐに鼻を突くのは汗と酒と鉄の匂い。

 薄暗い廊下を抜けた先で、出迎えた男が一礼し、奥の部屋へと案内する。


「ザンパノさま、こちらです」


 室内には古びたテーブルと、しわくちゃの寝具。

 その端に、中年の男が腰掛けていた。


「……ヴァ、ヴァーガンディ……!?」


 その姿を見た瞬間、男の顔が引きつる。

 震えながら、足元にすがるように倒れ込み、言葉を吐き出す。


「た、頼む……俺を、逃がしてくれ……!」


 ヴァーガンディは表情を変えぬまま、歩み寄る。


「……何を知った?」

「戦争が……終わったんだ……!」

「……は?」


 ザンパノの目が一瞬細まるが、男は話を続ける。 


「勝ったのはお、王国……カルハームが勝った!」

「嘘だろ……」

「本当だ! 兵が戻ってくる! もうすぐ、この町にも……!」

「で、俺を頼ったわけか。ガルザに言えよ」

「言ったさ! でも……信じちゃくれなかった……!」


 ザンパノはゆっくりと体を起こし、腕を組んだ。

 声は低く、だが静かな圧を帯びている。


「……いや、にわかに信用するには無理がある。王国は滅びかけていたんだ。それがひっくり返るなんて、そう簡単に信じられねぇ」

「ほ、本当なんだっ……! し、信じてくれよ……!」


 涙混じりに懇願する男に、ザンパノが短く言う。


「……ヴァーガンディ」

「あいよ」


 ヴァーガンディは無表情のまま、一歩前へ。

 伸ばした腕が男の顔を掴み、そのまま軽々と持ち上げる。

 がら空きの腹部に、拳が深くめり込んだ。


「ぶッ……! ごっ……ぐぶぅ……!」


 掌で口を塞がれた男は、叫びすら上げられない。

 そのまま容赦なく数発――屈強な拳が、鳩尾から臓腑を揺さぶるように叩き込まれていく。


「……もういい、離せ」


 ザンパノの一言に、ヴァーガンディは興味を失ったように男を放り投げた。

 その体は寝具に叩きつけられ、跳ねるように血を吐く。


「がはっ……ぐぶっ、ぉえ……!」


 シーツに真っ赤な染みが広がる。

 内臓が裂けたのか、男は荒く息を吐きながら、か細い声で呻いた。


「助けてほしかったら、本当のことを言え」

「……ほ、ほ……んとだ……た、たのむ……しんじ……て……く……れ……」


 声にならない嗚咽混じりの懇願に、ザンパノは目を細めた。


「……もし、これが嘘だった場合――次は確実に殺す。いいな?」


 その一言に、男は力なく頷いた。


 ザンパノは何も言わずに部屋を出る。

 そして廊下に立つ店主に目配せを送ると、店主はそれに静かに頷いた。


 間もなく、別室の扉が開き、ひとりの男が現れる。

 薄汚れたローブを纏った彼は、無言で足音も立てずに歩み寄る。


「……“ガキ好き”。そいつを治せ」


 そう命じたザンパノに、男はわずかにうなずいた。

 そして、破壊された男の上に手を翳す。


 次の瞬間――指先から、淡く揺らめく不可思議な光が溢れ出す。

 その光は、呻く男の腹部をゆっくりと包み込み、赤く染まったシーツの上に静けさをもたらしていく。


 “ガキ好き”――名前ともあだ名ともつかない異名を持つこの男は、この町において数少ない、“癒し”を操る存在だった。


ーーーーーー



 ザンパノとヴァーガンディが店を後にした頃――奥の一室には静寂が戻っていた。

 光が淡く消えたあと、床に寝かされた男は肩で息をしながら、呻くように呟いた。


「……終わったぞ」


 サクロフがローブの袖を戻しながら立ち上がる。

 男の体に傷はもう残っていない。痛みも、血も、跡形もない。

 癒しの力が、すべてを元通りにしていた。


 だが――「……クソッたれが」


 男が呻くように吐き捨てた。


「ヴァーガンディのクソガキ……ザンパノのデブ野郎……! ぶち殺してやりてぇ……!」


 治癒されたばかりの体を起こしながら、怒りだけは止められなかった。

 サクロフは、その言葉を遮ることなく最後まで聞いてから、ゆっくりと口を開いた。


「……その気持ちは、理解できる。だが、言葉には気をつけろ。ここはアルファソンだ。誰がどこで聞いているか、わからん」


 男はその言葉に一瞬動きを止めた。


「……確かに、そうだな」


 そして、苦く笑いながらうなずいた。


「ありがとよ、“ガキ好き”さん。 あんたのお陰で命、拾った」


 サクロフは何も答えず、ただ目を細め、静かに部屋を後にした。

 鉄の匂いが染みついた建物を抜けると、先に出ていったザンパノとヴァーガンディの姿はすでに通りから消えている。


 罪人たちの町――アルファソン。

 表に見えるものがすべてではなく、裏で生き延びるには言葉と距離感が命だ。


 そんなことを思いながら歩き出したとき、路地の奥から怒鳴り声が響いた。


「クソガキが! おい、そっち回れ!」

「逃がすな、殺してやる!」


 サクロフは足を止める。

 声のする方へ視線を向け、ゆっくりと歩を進める。


 石畳の向こう、二人の男が痩せた少年を追い詰めていた。

 干し肉とパンの破れた袋が地面に落ちている。


『……まただ』


 少年が段差に足を取られ、転倒する。

 そこを容赦なく、拳と足が振り下ろされた。


 少年の小さな体が地面を跳ね、呻く。


「た……すけ……て……」


 その声がかき消される前に、サクロフは声を発した。


「……やめろ」


 男たちが振り返る。

 ローブ姿の男、一見すればただの浮浪者。だが、その顔を見た瞬間、二人の表情がわずかに引きつる。


「なんだよ……てめぇ……」


 言葉に戸惑いが混じる。


「この子は、命を奪われるほどの罪を犯したわけじゃない筈だ」


 サクロフは静かに言った。怒りも誇張もない、ただ事実を述べるだけの声で。


「……チッ」


 一人が舌打ちしながら、もう一人に目配せをする。


「こいつ、ザンパノさんのとこの……」

「あぁ、あいつか」


 男たちはしばらくロッドの顔とサクロフの顔を交互に見ていたが――やがて諦めたように肩をすくめ、落ちた食料を掻き集め始めた。


「今日は引いといてやる。……死なねぇだけありがたく思えよ、ガキ」


 吐き捨てるように言い、男たちはその場を離れていく。


 静けさが戻る。

 サクロフは何も言わず、倒れた少年のもとに膝をついた。

 全身に傷、泥、痣――それでも、命は残っている。

 少年の目はうつろで、けれどどこか諦めきれていない、そんな光がわずかにあった。


「……まだ、生きているか」


 サクロフは静かに呟き、手のひらをかざす。

 指先に灯る、淡い光。

 それが少年の傷をなぞり、ゆっくりと癒していく。

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