光のラシンティ。

ネリネネリ

第一章 罪人の町、アルファソン

 薄汚れた町、アルファソン。


 かつては罪人収容所だったが、長引く戦乱により国力は著しく衰え、やがて国家に見捨てられた。

 駐留していた兵士たちは他の拠点へ移され、残されたのは囚人と無法者ばかり。


 こうしてこの町は、完全なる“罪人たちの楽園”へと変わっていった。


 法もなければ正義もない。

 あるのは――弱肉強食の掟のみ。


 窃盗、殺人、人身売買。何をしても罰する者はいない。

 弱者は強者の気まぐれで命を奪われ、強者はこの町の“顔”としてのさばっている。


 住む場所もなく、道端で死ぬ者が絶えない。

 生き延びても、明日を思い描くことすらできない。

 なぜなら――今日を生き延びられるかどうかすら分からないのだから。


 それがアルファソン。

 終わりのない地獄。誰にも救われぬ町。


 そんな場所の片隅、路地裏を走るひとりの少年がいた。


「はっ、はっ、はぁ……!」


 息が乱れ、喉が焼けるように痛い。

 何日も満足に食べていない身体は、もはや叫びたがっていた。


 あえぎながら駆ける少年の髪は、黒とも茶ともつかない色に汚れていた。

 服はボロ布のように体に貼り付き、痩せた体が露わになっている。


 それでも彼は――逃げていた。

 必死に、生き延びようとしていた。


「クソガキが! おい、そっち回れ!」

「逃がすな、殺してやる!」


 男たちの怒声が路地を裂く。


 少年の胸には、わずかな食料が抱えられていた。

 奪ったのだ。奪わなければ、死ぬ。それだけだった。


 だが、足は重い。身体は鉛のようで、呼吸も苦しい。


「あ――」


 小さな段差に足を取られ、少年は石畳に倒れ込んだ。


「い、たい……」


 視界が揺れる。息が詰まる。

 それでも、彼は立ち上がろうとする。


「見つけたぞ!」

「……ッ」


 目の前に、大柄な男が立ちはだかる。

 背後からも別の男が現れ、完全に逃げ道を塞がれた。


「誰のもんに手を出したか、分かってんのか?」


 少年の身体は壁へと押し付けられる。


「うあああああ……!!」


 殴打。蹴り。血飛沫。

 小さな体が地面に転がされ、呻き声が響く。


「た……すけ……て……」

「ああ? 聞こえねぇなあ?」

「ヒャハハハハハッ!」


 それは、ただの暴力だった。

 玩具を壊す子どものように、男たちは命を弄んでいた。


 少年の命が潰えようとした、その時――「……やめろ」


 静かな声が響いた。


 男たちの背後には、ローブをまとった謎の人物。

 全身を覆い隠したその姿は、この町で噂される“ガキ好き”の老人だった。


ーーーーーー


「……ハッ!?」


 少年は目を覚ますと、まるで薄手の布を敷いただけのような簡素な寝具の上に横たわっていた。 どうやら気を失っていたらしい。辺りは薄暗く、差し込む光もない。


 状況がまるで掴めないまま、少年は上半身を起こす。直後、さっきまでの出来事が閃光のように頭を駆け巡る。


「うっ……うわっ……! うわああああああっ!!」


 頭を抱え、再び寝具の上に膝をついて蹲る。


「許して……許して下さい……ごめんなさい……」


 うわ言のように謝罪を繰り返す。緊迫した声に反応したのか、足音が近づいてくるのが聞こえた。


「こ、殺される……今度こそ……」


 少年は飛び起き、寝具の影に身を潜めるように回り込む。体を縮こませ、震えながら蝋燭のかすかな灯りの中をうかがう。

 部屋は狭く、寝具が二つ並んでいるだけで武器になりそうなものも見当たらない。


「起きたのぉ?」


 意外にも、聞こえてきたのは幼い女の子の声だった。


「……え?」

「あれ、いなーい」


 顔を上げると、同じくらいの年頃の少女が立っていた。薄汚れた服を着てはいるが、その笑顔は純粋だった。


「あ、いたー。寝れたー?」

「……?」

「ここ、汚いけど……地べたで寝るよりはマシでしょ?」


 全く状況が飲み込めない。ついさっきまで、命の危機にさらされていたはずなのに。


「ねえ、名前は?」

「……え」

「名前、あるでしょ?」

「ロ……ロッド……」

「ロッド? わぁ〜、いい名前じゃないっ!」


 少女の屈託のない笑顔に、警戒心が少しだけ和らぐ。


「起きたか」


 背後から低く落ち着いた男の声が響いた瞬間――「や、やめろ……!」


 少年は咄嗟に少女を引き寄せ、腕でその首を絞めるようにして男へと対峙する。


「こ、この子に手を出されたくなかったら……どけ……!」


 ローブを羽織った男は、先ほどの暴漢たちとは明らかに違う雰囲気を纏っていた。


「すまぬが……何か誤解をしてやいないか?」

「黙れっ! 丸め込もうとしたって、俺は騙されない……! この町で信じられるのは自分だけだ……っ!」


 男は一瞬沈黙する。その間に、少女が素早く身を翻えした。


「痛いわね……それ!」

「……え?」


 景色が一気に反転した。


 鈍い音を立てて、少年は床に投げ出された。


「おい、あんまり無茶は――」

「だってこの子、おじいちゃんに酷いこと言ったもん」

「お……おじいちゃん……?」


 そこで、少年の意識は再び闇に落ちていった。


ーーーーーー


 ――ユルガナ大陸中部に位置する大国、カル=ハーム王国連邦。


 第八代統領ザカリ・ハーン・カルハームは、かつて『戦王』と称された男だった。


 歴代の統領が拡大してきた領土と権威。それをさらに押し広げようとしたザカリは、欲望のままに近隣諸国への侵略を繰り返した。


 重税、強制労働、占領。民は苦しみ、隣国は次々と反旗を翻す。


 そして、反カル=ハーム同盟が誕生した。


 各国の連携した猛攻により、連邦軍は後退を余儀なくされ、多くの要衝を手放すこととなる。


 その一つが、このアルファソンだった。


 カルハーム軍の撤退により監視の目が消え、法も秩序も失われたこの町は、犯罪者の吹き溜まりとなった。


 そして、そこで生きる少年ロッド。

 戦争で家族を失い、飢えと絶望の中で彼が背負うことになった“罪”は、たった一つだった――ただ、生きたかった。


「お父さん……お母さん……ごめん、ごめん……」


 かつて愛され、守られていた日々。それは一瞬で消え去った。


 両親は彼を庇い、命を落とした。


 その記憶だけが、今もロッドの心を支えている――。



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