レンの異世界漂流記 〜地味スキルからの大逆転〜

@blueholic

第1話 落とし物センサー


――ザァッ、ザァッ。


目を閉じても、水音だけが耳を満たす。レンは思わず身じろぎしたが、全身が重く、体を起こせない。周囲は灰色の霧に包まれ、視界も定かでない。ただ、首筋に巻かれた感触だけが確かに現実を告げていた。



「…ここは、どこだ?」


かすれた声を絞り出し、両手で顔を覆う。乾いた大気と、かすかな土の匂い。そこまでの記憶は──最後に電車に乗っていたことまでしか思い出せない。事故か、病気か。理由はわからない。ただ、次の瞬間には、この世界にいた。


明らかに、これまで生きてきた世界とは異なる場所だ。


 ◆


砂埃舞う街道を、レンは足早に歩いた。背負ったリュックには、財布とスマートフォン、そして水筒だけ。

現世の記憶はそのまま残っているが、言葉も文化も明らかに異なる。街路に並ぶ木造の家屋、軒先に吊るされたランプ、見知らぬ人々の視線。まるで夢を彷徨うような感覚に、心臓が高鳴る。


レンは、砂埃舞う街道を歩きながら、ふと得体の知れない違和感に気づいた。目の前をすれ違う商人や旅人は、明らかに日本語とは異なる音節を連ねているはずなのに、その会話がなぜかすんなりと耳に入ってくる。


――何だ?今、あの人たち、何と言ったんだ?


頭の中で、自分でも驚くほど流暢に言葉が響いた。言い回しこそ異なるが、確かに意味が理解できている。足元の砂利を踏むたび、頭の中を駆け巡るのは「訳がわからない」という疑念だった。


さらに不思議だったのが、両脇に並ぶ木造の家々に掲げられた看板だ。よく見ると、文字は見慣れぬ形をしているはずなのに、レンの瞳にはまるで仮名交じりの文章のように映る。『宿屋アル・グレイヴ』、

『交易所ヴェルデ商会』――そう読めてしまう。


「……俺、本当に異世界に来てしまったんだな」


レンは思わず立ち止まり、空を見上げた。灰色に霞む空の下、途端に全身が震えた。自分が、確かに知らない世界に足を踏み入れているという実感が、胸の奥をひんやりと満たしていく。


「……生きていくしかない」


自分にそう言い聞かせ、やっと発見した冒険者ギルドの大きな扉を叩いた。


 ◆


「いらっしゃいませ。初めての方ですね?」


木製のカウンター越しに現れた受付嬢は、淡い紫色のローブを身にまとい、柔らかな微笑みを浮かべた。


「ええ、そうです。……私は──レンと言います」


レンのあまりにもぎこちない様子に、受付嬢はわずかな間だけ不審がったが、すぐにレンが異界からの来訪者だと気がついたようだ。


「──ああ、転生者さんですね。まれにいらっしゃいますよ。それで、すでにスキルは確認されていますか…?」


「え…スキル、ですか?」


レンは自分の腕に浮かぶ小さな紋章に指をはわせた。だが、何の手応えもない。


「転生者の多くは《レアスキル》と呼ばれるチート級の能力に目覚めます。物理攻撃無効や、一撃必殺などです」


受付嬢の言葉に、レンの胸がざわつく。


その言葉を聞いた瞬間、レンの胸の奥で小さな火花が散った。

心臓の鼓動が高鳴り、まるで身体中を電流が駆け抜けるような感覚に襲われる。普段は冷静なはずの頭の中で、「もしかしたら、自分も……?」という期待が膨らみ、胸がじんわりと熱くなる。


「僕も…そんな、すごいものを?」


レンは思わず自分の両手を見つめ、軽く握りしめた。その手の内側には、不屈の好奇心と、未知へのワクワクが確かに宿っていた。


「まずは、あなたのスキルを確認しましょう」


受付嬢がカウンター奥の小さな台へと視線を向ける。そこには古びたレンガ板のような木製のプレートが埋め込まれ、表面には淡く光る魔導ルーンが刻まれていた。


「こちらに、手を置いてください。あなたのスキルが読み取れます」


レンは恐る恐る手のひらをその板にゆっくりと乗せる。触れた瞬間、ひんやりとした冷気が掌から腕を伝い、板のルーンが淡い青白い光を放ち始めた。隣で受付嬢が杖型の装置を手に取り、板の横にかざすと、ルーンの光が一層強まり、かすかな振動が伝わってくる。


──ビィィィ……


かすかな電子音にも似た機械音が鳴り、板の下に埋め込まれた文字盤に、レンのスキル名がゆっくりと浮かび上がった。


《落とし物センサー》


その表示を見つめるレンの手のひらには、まだかすかな光の余韻が残る。彼の鼓動は早まり、薄暗いギルドの照明が揺れる中、自分の運命を告げるその文字を、まるで神託のように受け止めた。


《落とし物センサー》

直近24時間に自分が落とした物の“方向”を感知する。距離・経路は不明。探索・生活向けのパッシブスキル。


「……落とし物センサー?」


レンは小声で繰り返し、文字を目で追う。隣に立つベテラン冒険者らしき男性が、鼻で笑った。


「それって、ただの『失せ物探し』だろ?戦闘には役に立たないよな」


受付嬢も顔色を曇らせる。


「生活魔法系のスキルですね…。戦闘向きではありませんが、日常生活や探索では使い道があるかも…。しかし、自分が落としたものだけですか…」


レンの胸に、冷たい失望が広がった。期待していた“大当たり”のチートスキルではない──ただ、落とし物を探すだけの地味な力。


「これで、どうやって食べていけば…」


瞳に浮かんだのは、心細さと不安だけだった。


――レンの異世界生活は、まだ始まったばかり。

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