第45話 柔らかき変化と喫茶の推理
俺はA-BOXを走らせ、大学の宿舎の前へと向かった。
乾いた冬の風が吹くロータリーの端に、厚手のコートにマフラーを巻いたレイナの姿を見つける。俺が車を寄せると、彼女は寒そうに白い息を吐きながら、助手席のドアを開けた。
「お待たせ。寒かったろ」
「ううん、大丈夫。ありがとう、迎えに来てくれて」
レイナは助手席に座り、マフラーを少し緩めると、ふとナビ画面に視線を向けた。
そこには、格式高いメイド服姿のアンナが、静かに微笑んで立っている。
「……あら? アンナちゃん、なんだか雰囲気が変わってない?」
レイナが不思議そうに首を傾げる。
以前見た時の、完璧すぎて近寄りがたい雰囲気とは、何かが違うと感じ取ったようだ。
アンナは、画面の中でスカートの裾を摘み、はにかむように笑った。
《えへ、こっちが本当の私です。どうぞお見知りおきを、レイナ様》
ペコリ、と愛嬌たっぷりに頭を下げる。
その仕草は滑らかだが、どこか抜けているような、親しみやすい温かさがあった。
「ふふっ、そっか。なんだか雰囲気が柔らかくなったね? こちらこそよろしくね、アンナちゃん」
レイナが微笑みかけると、アンナも嬉しそうに目を細めた。
俺はほっと胸を撫で下ろし、シフトレバーをドライブに入れる。
「さてと……少しドライブしようか。実は、メモの件でちょっと話したいことがあるんだ」
俺の言葉を聞いた瞬間、レイナの空気が変わった。
「えっ!」
ガバッ、と彼女が身を乗り出してくる。
「あのメモのこと、分かったの!?」
「お、おい、近いって……」
シートベルトがロックする勢いで詰め寄られ、俺はたじろぐ。彼女の髪からふわりと甘い香りが漂い、心臓が跳ねた。
レイナの瞳は好奇心でキラキラと輝いている。
ふと、視線を感じてナビを見ると。
《…………》
アンナが、じっとこっちを見ていた。
表情こそ笑顔のままだが、その瞳の奥が、ズキリと痛むように揺れているのが分かった。
……ヤキモチ、だよな。
俺は少し気まずくなって、アクセルを踏み込んだ。
* * *
しばらく車を走らせた後、俺たちは大学近くにある、若者に人気の洒落た喫茶店に立ち寄ることにした。駐車場にA-BOXを停める。
「じゃあアンナ、少し待っててくれ」
《はい。ごゆっくりどうぞ、ご主人様、レイナ様》
アンナは画面の中で手を振って見送ってくれた。だが、俺がエンジンスイッチに手を伸ばした、その瞬間だった。
振っていた手が力なく下ろされ、彼女がふと、寂しげに眉を下げたのを俺は見てしまった。まるで、置いてけぼりを食らった子供のような顔。
(……悪いな、アンナ)
俺は胸が締め付けられるのを感じながら、ボタンを押し込んだ。
フッと電子音が途切れ、画面がブラックアウトする。アンナの姿が、暗闇の中に吸い込まれるように消えた。
俺とレイナは車を降り、店の方へと歩き出す。数歩進んだところで、俺は何気なく振り返った。冬の空の下、静まり返ったA-BOXがポツンと停まっている。黒く沈黙したナビ画面の奥で、あいつは今も、じっと俺たちを待っているのだろうか。
俺はポケットの中のスマートキーを握りしめた。このキーには、車内の音声を拾う機能がついている。姿は見えなくても、声だけは届くように。
店に入り、奥のテーブル席についても、レイナの興奮は冷めやらぬ様子だった。コーヒーを注文するのももどかしげに、彼女は口を開く。
「ねえ、メモのことって? 何か新しい発見があったの?」
「ああ。……その前に、もう一つ話しておかなきゃいけないことがある」
俺はコーヒーカップに口をつけ、一呼吸置いてから切り出した。
「実は……アンナがVer1.50になったのは、あの『燈陸国風土記』がトリガーだったみたいなんだ」
「えっ?」
レイナが目を丸くした。
「そうなの? ……そういえば」
彼女は記憶を手繰り寄せるように、宙を見つめる。
「あの時、図書館で一緒にあの資料を見た時、君、なんか様子がおかしかったよね。急に慌てたりして」
「……ああ。実は、アンナのシステムがあのシンボルに反応してたんだ」
レイナは納得したような顔をするが、すぐに眉をひそめた。
「でも、どうして? 千年前の古文書が、現代のカーナビのアップデートに関係するなんて……原理がおかしくない?」
鋭いツッコミに、俺の背中に冷や汗が流れる。
さすがは研究熱心なレイナだ。誤魔化すのが難しい。
「さ、さあな……偶然電波がどうとか……。あ、それよりこっちを見てくれ」
俺は慌てて話題を変え、スマホを取り出した。
画面には、あの『謎のメモ(次のドライバーへ)』の写真が表示されている。
レイナはそれを食い入るように見つめた。
「やっぱり……。ねえ、歴史学のササキ教授が言ってたこと、覚えてる?」
「ササキ教授? この前行ったときか?」
「うん。教授がね、『歴史に残された不可解なメッセージには、しばしば時間の概念を超えた意志が宿る』って言ってたの」
レイナは真剣な眼差しで、推理を展開し始めた。
「このメモの筆跡……私が感じた『懐かしさ』や、教授の言葉を合わせて考えるとね。もしかしたら、これはただの過去の記録じゃなくて、未来から今の私たちに向けられた手紙なんじゃないかって思うの」
ドキリとした。
彼女の洞察は、恐ろしいほど的確に真実を突いている。だが、俺の口から「その通りだ、アンナは未来から来たんだ」とは言えない。
それは、俺とアンナだけが知っている秘密だ。軽々しく口にしていいことじゃないし、何より、いきなりそんなことを言ってもレイナを困惑させるだけだ。
ポケットの中で、スマートキーが微かに熱を帯びている気がした。車内のアンナも、固唾を呑んで聞いているだろう。
(当たってる……勘が良すぎて怖いよ、レイナ……)
俺は、否定も肯定もしないように、慎重に言葉を選んだ。
「未来から、か……。凄いな、レイナの推理は」
俺がポーカーフェイスを作って言うと、レイナは少し照れくさそうに笑った。
「変なこと言ってるって思うでしょ? でも、今のアンナちゃんを見てると、なんだかそう思えてきちゃうんだよね」
「……いや、変じゃないよ。もしそうだとしたら……素敵な話かもしれないね」
俺がやんわりとそう返すと、レイナはパァッと顔を輝かせた。
「うん! だよね! 私たちが、未来の誰かに見守られてるなんて……なんだか、すごくロマンチック」
嬉しそうに笑うレイナ。その無邪気な笑顔を見ながら、俺は遠く離れた駐車場で、ナビの奧の中にひとり佇んでいるであろう「未来人」のことを思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます