偽りの王女と、想像で編む未来 ーその未来に、私はいないー

葉山心愛

第1話①見えないはずの未来



この国には、風の音がよく似合う。

ここは、フィリシア王国。美しく、小さく、そして脆い王国だ。

花の香りが街を包み、石畳は磨かれ、歌が暮らしのなかに溶け込んでいる。


けれど、わたしたちが持つ静けさは、誰かの優しさの上に成り立っているのだと、わたしは知っている。


わたしはアリエル・フィリシア。

フィリシア王国の第一王女であり、王家の血に受け継がれる“未来視”の異能を持つ者だ。


城の高窓から朝の光が差し込むたび、目覚める前に見る夢の欠片がわたしの胸をかすめる。

けれど、今朝は──何も、視えなかった。


「おはようございます、お嬢様」

侍女のエリサが控えめに声をかける。

「お身体の具合は、いかがですか?」


わたしは軽く首を振って微笑む。

「問題ないわ、エリサ。少し、変な夢を見たような気がして……夢すら見ていなかったかもしれないかもね」


エリサは、わたしを見つめながら髪を梳いてくれる。

「お嬢様の夢は、とても大切なものですから……」

「ええ、でも今朝は、何も残っていなかったの。まるで、誰かに奪われたみたいに、ね」


鏡の中のわたしは、緑がかった瞳を曇らせていた。未来を映すはずの瞳に、今日だけは何も映らない。


わたしの両親は、私が物心つくころにはすでにこの世を去っていた。

母上は優しい方だったと聞く。民に寄り添い、父上と共にこの小さな国を愛したのだと。


その両親の想いを継ぐ者として、わたしには未来を視る力がある。

 

だが、それは“視たい未来”ではない。“避けがたい未来”が、時に強制的に見せられるのだ。

断片的で、曖昧で、けれど妙に真実味のある光景。だからこそ、厄介なのだ。


「今日は、おじいさまとお話しできるかしら?」

「もちろんです。アルディス様は、お嬢様と過ごされる時間を何よりも楽しみにされていますから」


 


王宮の中庭は春の気配に包まれていた。花が揺れ、噴水の音が心地よい。

祖父、アルディス・フィリシア陛下は、書簡を畳みながらわたしのほうを向いた。


「アリ、来てくれたのだね。よく来た、よく来た」


私は祖父の膝の横に座る。

「おじいさま。今日は、風の音がよく聞こえますね」


祖父は目を細めて笑った。

「フィリシアの風は優しい。けれど、風はいつか向きを変えるものだ。……それが未来というものかもしれん」


「未来……」

「アリ……アリには“何が見えている”?」

祖父の声は柔らかいが、その奥にある問いは鋭かった。


わたしは少し考えてから、首を横に振る。

「何も見えません。だから……不安なのです」


「“見えぬ未来”とは、“まだ定まらぬ未来”ということでもあるんだよ」

祖父は優しくわたしの頭に手を置いた。

「アリが選び、歩くことで、その未来は形になる。アリ、お前はまだ小さいが、王女であると同時に……一人の選ぶ者でもあるのだよ」


「選ぶ者……」


祖父の声は、いつも心に届く。

けれどこの日、わたしは祖父に言えなかった。

今朝から胸の奥でざわついていた、“何かが近づいている”という直感を。


 


その夜のことだった。

書庫からの帰り道、わたしは廊下の途中で立ち止まった。足が動かない。

……冷たい何かが、わたしの背をなぞった。


突如、胸を強く締めつけられる感覚。

次の瞬間──私の視界に“未来”が流れ込んできた。


暗い石床に倒れる人影。

白い手。赤く濡れた剣。

 

城の中だった。

知っている、見覚えのある壁……でも、誰が倒れているのか、誰が剣を持っているのかが見えない。


誰かが、殺される──この城の中で。


「……っ!」


わたしは息を吸い、膝をついた。世界がぐらりと揺れる。

痛みが走る。視界が霞む。冷や汗が肌を伝った。


「お嬢様……!?」


駆け寄る足音と共に、エリサがわたしの名を呼ぶ。

わたしはどうにか顔を上げたが、声が出ない。

それでも、彼女の瞳に映るわたしは、きっといつもと違っていたのだろう。


「お嬢様……そのお顔……いったい、何が──」


わたしはただ、唇を震わせながら、遠ざかっていく血の色の残像を追っていた。


 


──“未来”は視えた。

だが、それが“何を意味するか”は、まだわからない。


ただひとつ、確かなのは。


いつかの未来———

この城の中で誰かが殺されるということ、だけだった。



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