第19話言葉に悩む。よそ見は厳禁。

 『……嘘つき』


 その短い言葉が頭の中で反響していた。

 四時間目の今日の体育はバスケ。黄色いビブスを着た味方とピンクのビブスを着た野郎どもが入り混じり、ボールが右へ左へと飛び交う。

 そんなコート内に立つ俺の脳内は朝の椿の一言で支配されていた。

 去り際、言葉が出尽くした椿が放ったさりげない一言。何気ない一言がずっと俺の心に突き刺さっている。一応付き合っていた仲なのだから、椿がなんの意図もなしに言ったわけではなかったのだろう。恐らく、俺の心に突き刺さる言葉を狙って言ったはずだ。


 俺は嘘つきだ。自称するぐらいには認めている。都合の悪い事があれば嘘で切り抜けて逃げる。初めて鈴森と話した時も、奏斗と瑞樹に一連の事件の内容を話した時も、嘘をついていた。無論、椿とのやり取りの中でも嘘をついていた。

 逃げるは恥だが、悪ではない。優しい嘘だって、人を守るための嘘だってある。嘘は完全悪ではないのだ。


「へい、パスパス!」


 ボールを要求した奏斗の手にボールが渡る。奏斗はしっかりとボールを手の内に収めると、目の覚めるようなドリブルで相手の陣地に切り込んでいく。

 ここは通すまいと奏斗の前に二人の男が立ちはだかる。奏斗は一人目を流れるようなフェイントで即座に躱し、二人目は股の間にボールを通して踏み込んだ足でぐっと加速。すぐさまボールに追いつく。

 稲妻の如きドリブルがコートを駆け抜け、そのままゴールに向かっていく。シュートモーションに入った奏斗のシュートコースを塞ごうと相手の一人が飛ぶ。が、それも奏斗の予想の内だ。

 大きな弧を描くように放たれたボールは綺麗な弾道を描く。シュルシュルと月まで届いてしまいそうな曲線美はゴールネットを揺らしてその形を完成させた。


「ナイスシュート!流石バスケ部!」


 チームから賞賛の声が上がる。褒められた奏斗は鼻が高い様子。

 しかし喜ぶのも束の間。すぐさま相手の攻撃が始まる。失った点を取り戻そうと巧みなパスワークでディフェンスラインを突破してくる。

 

「そこだっ」


 怒涛のスピードでコートを駆け抜けてきた奏斗が相手のパスラインを崩した。こぼれたボールが俺の足元まで転がってくる。俺はすぐさま拾い上げて相手陣地に切り込む。味方はディフェンスのために下がってしまったので攻める人間は俺一人だ。

 

「たしか奏斗は……」


 俺は先程見た奏斗の動きを頭でプレイバックする。

 相手の動きに応じて瞬時に切り替わる関節の動き。

 相手の僅かな隙も逃さない観察眼。

 意のままにボールを操る手の動き。

 相手に何十通りもの可能性の幻惑を見せる微細なフェイント。

 爆発的な加速を生むスタートダッシュ。

 これらの情報をすべて自分の身体に反映させる。そしてあの状況を抜け出す強靭な精神力と胆力。この二つを組み合わせれば、再現は可能だ。

 俺は襲い掛かってくる二人の内の一人を正面突破に見せかけたレッグスルーで回避。二人目は先ほどの奏斗と同様に股下にボールを通して自分は一気に加速。そのままボールに追いつく。

 そのままの流れでシュートモーションに入るが、やはりここも先程同様にシュートコースを塞ごうと相手が飛んでくる。そこまでは容易に想像ができていた。だから少し弾道を高めに……


「……あっ」


 そこで俺は気づいた。やってしまった、と。

 外れてくれと願った時にはもう遅い。俺の放ったボールは奏斗のシュートの弾道をなぞってゴールネットに吸い込まれた。

 考え事をしていると、ついこういうことをしてしまう。いつもは目立たないようにと普通を心掛けているのだが……それもこれも椿あいつの言葉のせいだ。

 ため息をついた俺の側面から衝撃が走る。汗臭い奏斗が俺の肩に抱き着いていた。


「やるじゃねぇか千都!お前いつの間にあんなのできるようになったんだよ?勉強したのか?」

「たまたまだ。狙ってあんなのできたら俺も今頃バスケ部のエースだよ」


 適当な笑みを浮かべて俺は嘘をついた。

 奏斗はすぐさまプレーに戻っていく。バスケには誰よりも熱い感情を持っている彼は授業であろうと手は抜かない。その熱意は本物だ。

 俺もかつてスポーツに明け暮れる日々を送っていた。誰よりも熱心に、誰よりも長く、誰よりも強い選手になるために仲間と共に練習に明け暮れていた。

 俺の持っていた熱意は、仲間に牙を剥いてしまったがためにもうその形を失ってしまった。あの時は本音しか言わなかった俺だったけど、結局仲間とは分かり合えなかった。彼らと俺の間には、決定的で絶対に埋めることのできない差があったのだ。


 ふと隣のコートに視線を向けてみる。隣では女子がバスケの試合を行っている。控えの男子生徒の視線が度々よそに向かっているのはそのせいだ。

 隣のコートではアメジストの戦乙女が無双していた。

 ボールを受け取った鈴森は向かってくる一人を流れるようなターンで躱し、立ちはだかった一人の前で急停止。フェイントをかけて方向転換を試みるが、相手も負け時を食らいつく。しかし、パスと見せかけた鈴森がフロントチェンジで切り返し、ぐっと踏み込んだ足で加速。オフェンスに転じていた相手も追い付いてきたところだったが、鈴森のスピードを前に置き去りだ。

 鈴森はそのままゴール下へと向かう。意地のスピードで女子バスケ部の一人が追い付いてシュートコースを塞いでくる。が、既に鈴森は跳んでいた。

 鈴森が放ったシュートは予定調和のようにゴールに吸い込まれ、ネットを揺らした。周りの女子からは歓声に近い声が沸いた。無論、男子の控えメンバーも沸いている。

 そんな羨望の眼差しの渦の中で俺は聞き逃さなかった。


「あんなシュート一本でちやほやされちゃってさ。調子乗ってるよね」

「どうせ自分が輝ければなんでもいいって思ってるんだよ」


 コート脇に座っている女子たちが鈴森を見て嫌な話題で盛り上がっていた。よくいるなぜか毎回体育を休んでいるタイプの女子たちだ。

 これは俺の偏見であって、実際が必ずそうであるとは限らないのだが、ああいう人間はろくな奴じゃない。ああやって固まって、影から他人を貶していたりするのだ。

 俺はこの光景を見て少しだけ胸が苦しくなった。かつて自分が置かれていた状況がフラッシュバックする。一人があまりにも輝きすぎると、周りは影になってしまうのだ。

 だから俺は輝くことをやめた。輝こうとすることさえもやめた。悲しいことに、現代社会では出る杭は打たれてしまうのだ。

 ……やっぱり、俺は逃げているのだろうか。


「あーっ!?千都危ない!」

「え」


 振り向いた時にはもう遅かった。黒いラインが走っているボールが俺の顔に向かって飛んできている。きっとチェストパスをしようとしたら少し高くなってしまったのだろう。よくあることだ。

 世界がスローモーションのように見えた。大抵こういう場合は自分の動きだけが早く感じて、避けれちゃうなんて展開が待っているものだけど、今回はそんなことはなかった。俺の動きもゆっくりだったのだ。

 俺の鼻をへし折る勢いのボールが顔にめり込んだ。


「ぶっ……」

「千都ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

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