第17話「美咲の孤立」
主催者Mからの電話から二日後、美咲は新宿の高層ビルにいた。三十階のオフィスフロアで、指定された時間を待っていた。
受付には誰もおらず、静寂が漂っていた。美咲は緊張しながら、指定された部屋の前に立った。
「どうぞ、お入りください」
扉の向こうから声がした。美咲は恐る恐るドアノブを回した。
部屋の中は薄暗く、窓際に一人の男性が立っていた。逆光で顔は見えなかった。
「田中美咲さんですね」
男性の声は落ち着いていた。年齢は四十代後半といったところだろう。
「はい」
美咲は緊張して答えた。
「私がMです」
その名前に、美咲は身を震わせた。島でのゲームを主催した張本人だった。
「お座りください」
Mは手で椅子を示した。美咲は言われるまま腰を下ろした。
「まず、お疲れ様でした」
Mの言葉は意外に優しかった。
「七人の詐欺師を見破るのは、さぞ大変だったでしょう」
美咲は何も答えられなかった。
「あなたの観察力には感心しました」
Mの評価は冷静だった。
「特に、矛盾を見つける能力は素晴らしい」
「なぜ、あんなことを?」
美咲がようやく口を開いた。
「あんなこと?」
「私を騙すようなゲームを」
美咲の問いに、Mは椅子に座った。逆光が和らぎ、顔が見えるようになった。
整った顔立ちで、知的な印象を与える男性だった。しかし、その目には冷たい光が宿っていた。
「騙す?」
Mは首をかしげた。
「私は嘘をついていません」
「でも、詐欺師を見つけるゲームだと」
「確かにそう言いました。そして実際に、あなたは詐欺師を見つけた」
Mの論理は冷静だった。
「七人全員が詐欺師でした。間違いありませんね?」
美咲は反論できなかった。確かにMの言葉に嘘はなかった。
「あなたは見事に真実を暴いた」
Mの評価は客観的だった。
「では、なぜ私だけが?」
美咲の疑問に、Mは微笑んだ。
「あなただけが本物の被害者だからです」
「本物の?」
「他の七人は全員、詐欺師です。あなたは祖母を騙された純粋な被害者」
Mの説明は明快だった。
「だから、あなたを選んだのです」
美咲は混乱した。
「何のために?」
「観察するためです」
Mの答えは率直だった。
「詐欺師がどのように被害者を騙すか、被害者がどのように詐欺師を見破るか」
美咲は戦慄した。
「私は、観察対象だったんですか?」
「そうです」
Mは躊躇なく答えた。
「あなたの反応は、非常に貴重なデータでした」
「データ?」
「詐欺師が被害者に接近する手法、被害者の心理的変化、信頼から疑念への転換点」
Mの説明は学術的だった。
「すべてが研究材料になります」
美咲は震え上がった。
「私を、実験台にしたということですか?」
「実験台という表現は適切ではありません」
Mは冷静に訂正した。
「あなたは観察対象です」
美咲は立ち上がった。
「それは同じことです」
「いえ、違います」
Mは首を振った。
「実験台なら、何かを試します。観察対象なら、自然な反応を記録します」
Mの論理は冷酷だった。
「あなたの純粋な反応こそが、私たちの求めていたものです」
「私たち?」
美咲の問いに、Mは頷いた。
「私は一人ではありません」
「組織があるということですか?」
「当然です」
Mの答えは当たり前のようだった。
「詐欺の手法を研究し、より効率的な方法を開発する」
美咲は絶句した。
「そのために、私を利用したんですね」
「利用という言葉も適切ではありません」
Mは再び訂正した。
「協力していただいたのです」
「協力?私は騙されていただけです」
「騙されたのではありません」
Mの論理は一貫していた。
「あなたは真実を見抜いた。それが目的でした」
美咲は言葉を失った。
「では、賞金の一千万円は?」
「もちろん、お支払いします」
Mは当然のように答えた。
「約束は守ります」
美咲は驚いた。
「本当ですか?」
「嘘をつく理由がありません」
Mは机の引き出しから小切手を取り出した。
「一千万円です」
美咲は小切手を受け取った。確かに一千万円と記載されていた。
「でも、これは」
「正当な報酬です」
Mの説明は合理的だった。
「あなたの協力への対価です」
美咲は複雑な気持ちだった。
「私、一人ぼっちなんですね」
美咲が呟いた。
「一人ぼっち?」
「島では、皆さんが詐欺師で、私だけが被害者」
美咲の声は沈んでいた。
「今も、あなたは私を観察している」
「それは違います」
Mは首を振った。
「あなたは孤立していません」
「どういう意味ですか?」
「あなたのような人は、他にもいます」
Mの言葉に、美咲は顔を上げた。
「他にも?」
「純粋な被害者は、あなただけではありません」
「でも、島では私だけでした」
「あの島では、確かにそうでした」
Mは認めた。
「しかし、世界は広い」
美咲は希望を感じた。
「他にも、同じような人がいるということですか?」
「たくさんいます」
Mの答えは意外だった。
「そして、その人たちも詐欺師に狙われています」
美咲の希望は一瞬で消えた。
「結局、被害者は常に狙われ続けるということですね」
「そうです」
Mは冷静に答えた。
「だからこそ、研究が必要なのです」
美咲は理解した。Mの組織は詐欺の研究をしているが、それは被害者を守るためではない。より効率的な詐欺手法を開発するためだった。
「あなたは、詐欺師を育成しているんですね」
「育成という表現は正確ではありません」
Mは再び訂正した。
「手法を洗練させています」
美咲は絶望した。
「私の反応が、新たな詐欺に利用されるということですね」
「可能性は高いでしょう」
Mは正直に答えた。
「あなたの純粋な反応は、非常に価値があります」
美咲は立ち上がった。
「もう帰ります」
「お待ちください」
Mが声をかけた。
「提案があります」
「提案?」
「あなたの才能を活かしませんか?」
Mの提案は予想外だった。
「どういうことですか?」
「詐欺師を見抜く能力です」
Mの説明が始まった。
「あなたは七人の詐欺師を完璧に見破った」
「それは、たまたまです」
「いえ、才能です」
Mは断言した。
「その能力を、我々の組織で活かしてみませんか?」
美咲は戦慄した。
「詐欺師の組織で?」
「詐欺師を研究する組織です」
Mの訂正は微妙だった。
「あなたの能力があれば、より深い研究ができます」
美咲は首を振った。
「お断りします」
「即答する必要はありません」
Mは冷静だった。
「時間をかけて考えてください」
美咲は部屋を出ようとした。
「美咲さん」
Mが呼び止めた。
「あなたの祖母を騙したのは、私です」
その告白に、美咲は振り返った。
「えっ?」
「オレオレ詐欺の指示を出したのは私です」
Mの冷酷な告白に、美咲は震え上がった。
「なぜ、そんなことを?」
「あなたを被害者にするためです」
Mの論理は恐ろしかった。
「純粋な被害者が必要でした。だから、作り出したのです」
美咲は言葉を失った。
「祖母の死も、計算のうちだったということですか?」
「予想外でした」
Mは淡々と答えた。
「しかし、結果的にあなたの純粋さを増すことになった」
美咲は怒りで震えた。
「祖母を返してください」
「それは不可能です」
Mの答えは冷酷だった。
「しかし、祖母の死を無駄にしたくなければ、私たちに協力してください」
美咲は何も答えず、部屋を出た。
エレベーターの中で、美咲は一人で泣いた。
「私、本当に一人ぼっちなんだ」
島では詐欺師に囲まれ、今度は詐欺師の組織に狙われている。祖母の死さえも、計画の一部だった。
美咲には、もう信じられる人がいなかった。
アパートに戻ると、携帯電話に留守番電話が入っていた。
「美咲さん、田村です。至急お会いしたいことがあります」
田村の声は切迫していた。
「他の詐欺師たちが、あなたを狙っています。気をつけてください」
美咲は電話を聞きながら、疑念を抱いた。田村もまた詐欺師の一人だった。なぜ今更、警告してくるのか。
しかし、他に頼れる人もいない。美咲は田村に電話をかけることにした。
「もしもし、美咲さんですか?」
田村の声は安堵していた。
「お話があります」
美咲の声は疲れていた。
「実は、私も被害者なんです」
田村の告白は予想外だった。
「どういうことですか?」
「島のゲームで、私も騙されていたんです」
田村の説明に、美咲は困惑した。果たして、それは本当なのだろうか。
詐欺師たちとの戦いは、まだ終わっていなかった。
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