19話 華月の過去

◆◆◆


 ――十年前。



「太子さま……。こんな処にいらしたのですか?」


 南門の見張り場で、下を覗きこんでいた私の手を、乳母の秀真が引いた。


 そんなふうに、女人と触れ合うことが出来ているのは、私が女の姿になっているせいだった。


 今は八歳の子供だから、女身化しても、太子の姿のまま、誰にも悟られずに済んでいるが、将来、皇位を継ぐには、致命的だった。


 もう少し大きくなったら、私は後宮の中で隠れて暮らすしかない。


(……こんな身体じゃ、駄目だ)


 母にすら、知らせることができなかった忌々しい「呪い」。


 繊細な母は、私の身体のことを知ったら、心が持たないだろうと、秀真と私、数少ない忠臣とで、黙っていることを決めた。


 呪いを仕掛けたらしい、玉榮は顔を合わす度に「不自由はないか?」と嫌味をぶつけてくる。


 現状を覆すには、父様ではない、お祖父様に頼むしかないが、当の玉榮を庇護しているお祖父様に、こんなこと言えるはずもない。


 下手したら、お祖父様に私が殺されてしまう。


(ああ、嫌だ。あの宦官に、私の弱みを握られているかと思うと、それだけで、もう……。この世から消えてしまいたくなる)


 誰の気兼ねなく、外の世界に行きたい。

 自由に、無心に、何処か遠くに……。

 誰かに、この牢獄から連れて行ってもらいたかった。


 私は毎日が窮屈で……。

 生きれば、生きるほど、闇が深くなっていった。


 ――そんな時だった。


 私は『十四歳の叔母が、祖父を暗殺しようとして、捕縛された』という話を聞いたのだ。


「見張り場にいれば、叔母さまを一目見ることが出来るんじゃないかって思ったんだが……」

「そんな話、誰にも聞かれてはいけませんよ。あの方は、罪人なんですから」


 秀真が神経質に、周囲をきょろきょろと見渡している。

 叔母さまの話は、皇城内では禁忌だ。

 話しただけで、お祖父さまの機嫌を損ねてしまう。

 絶対的な権力を握っている「お祖父さま」。

 逆らうことなく、従順に過ごしていれば、叔母さまだって静かに郷里で生きることが出来ただろうに……。


(どうしても、許せなかったんだろう)


 叔母さまの母君は、お祖父様に酷い捨てられ方をして、故郷でひっそり息を引き取ったらしい。


 ……彼女は、母親の敵を取りたかったのだ。


(おいたわしい……)


 表向き、暗殺騒動は有耶無耶になったが、実際のところ、叔母さまは「死罪」を言い渡されたようなものだ。


 彼女は、つい最近まで争っていた南方の王国、沙藩王の妃になる。


 今日が出立の日だった。


 長く敵対関係にあった沙藩は、蒼国に対する恨みが強いらしい。

 そこに、叔母様は、たった数人の従者と共に行くのだ。


 さながら、敵陣の中に、丸腰で挑むようなものだ。

 殺されることが前提の婚姻だと、臣が話しているのを、私は耳にしていた。


 ――いっそ、異国で一人のたれ死ねばいい。


 自分の血筋として、利用するところは利用して、あとは打ち捨てる。

 今回もまた、お祖父さまの思うがままだ。


(叔母さまは、変えたかったんだろうな……。この流れを)


 私は彼女に同情していた。

 自分もいつ、玉榮に対する殺意が弾けるか分からない。


 殺そうとすれば、当然、殺されるだろう。


 玉榮は、したたかだ。

 後ろ盾のない私が、敵う相手ではない。

 たくさんの人に迷惑をかける。

 それが分かっていても、近い将来、自滅覚悟で狙ってしまいそうな、自分が怖いのだ。


(……やはり、叔母さまは自分のしたことを、後悔していらっしゃるのだろうか?)


「太子さま。そろそろ」

「……ああ、分かった。今、行く」


 そう言って、名残惜しくも、私がその場から離れようとした瞬間。


 ――わああ……と。

 俄かに地上が騒がしくなった。


 すぐさま、下を覗き込むと、そこには、馬車に向かって毅然と歩を進める一人の少女の姿があった。


(あれが……?)


 私は決して、目が良い方ではないけれど、それでも、彼女の姿だけは、識別することができた。


 鮮やかな紅の花嫁衣裳。

 結い上げた真っ赤な髪に、派手な化粧。

 まるで、血の色のような死に装束に身を包んだ少女は、一世一代の芝居に臨む演者のように、挑戦的な笑みを口元に浮かべていた。


 漆黒の瞳は、爛々と。


 歩みは早く、付き従う数人の侍女たちが、彼女に追いつくために、小走りになっていた。


(……そうか、この人は)


 後悔なんて、飛び越えて、前だけを見据えている。


 ――凛然と。

 ――気丈に。

 ――堂々と。


(凄いな)


 とても、死地に向かおうとする人の姿ではない。

 私より年上とはいえ、まだ少女。

 小柄な体躯は、頼りなさすら感じるのに……。


(……私も)


 もう少しだけ、足掻いてみたい。


 きっと、叔母さまは沙藩で自分が死ぬかもしれないなんて、思ってもいないのだ。


 だったら、私だって、このまま玉榮に良いようにされて死ぬとは限らない。


 これから先、叔母さまが正妃として、沙藩に留まることが出来るのかは分からないけど……。


(もし、将来、彼女が蒼国に戻って来ることがあったら……)


 そうしたら、その時こそ「無力ではあったけど、私は貴方の味方だった」と、話してみよう。




 ――それから、七年の月日を経て、私は蒼国の皇帝として即位。

 三年後、叔母さまは、沙藩王と離縁して蒼国に戻ってきた。


 私は、女の姿で彼女を後宮で受け入れた。


(相変わらずだな)


 意思の強い、孤高の輝きを放つ瞳は、昔と同じだった。


 ――状況を変えたいのなら、蒼国に戻ってくる紅琳を娶ったらいい。


 須弥の長の言に、従うような形にはなったけれど、別に、その言葉がなくても、私は彼女を追いかけたはずだ。


(この人さえ、隣にいてくれたら、現状を打破することができる)


 世界を、変えることができる。

 凄烈な光を、紅琳さまは、放っていた。 

 友達でもいいけど、出来ることなら、私のすぐ傍に……。


 にしたい。


 一緒に、玉榮に立ち向かい、二人で人生を歩んでいきたい。

 

 ――けど。


 紅琳さまの意思は、どうなのだろう?

 私のことを、友人だと言ってくれた。

 その善意から、須弥の同胞、朔樹のもとまで導いてくれたが……。


 これから先は、命懸けになる。


 三か月も逡巡していたのに、私はまだ覚悟が出来ていないのだ。


 ……このまま済し崩しに、紅琳さまを私の戦いに巻き込んでしまっていいのだろうか?


(……それに)


 どうしても、彼女の背後に沙藩王がちらつく。

 特に、紅琳さまが口にしたわけではない。

 それでも、彼女が王のことを大切に想っていて、遠慮していることは伝わってくるのだ。


(離縁したのに、なぜ?)


 知りたいけど、知りたくない。


 もしも、私のことを煙たがっているとしたら?


 ――そうしたら、私は?


 一人でも、玉榮に立ち向かうことが出来るのだろうか?

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