11話 馬車の中で

◇◇◇


 ――いっそ、逃げてしまえば?


 何度も繰り返した自問自答。

 矢が飛び交う戦場で熟睡した経験もある紅琳だったが、さすがに、昨夜は、ほとんど眠れなかった。


(国家の大事だしな……)


 紅琳一人だったら、逃げ切れる自信がある。

 とことん、逃げて、何処か遠い処で、絵を描いて生きていく。

 侍女たちの問題だって、頑張ればどうにかなるような気もする。

 李耶に協力をしてもらえれば……。


(けど……)


 華月は、紅琳にとって大切なだ。


 まさか、男で皇帝だったなんて、未だに驚いているし、本性が変態っぽいところも、困りものだが、彼を見捨てて逃亡するのは、後味が悪過ぎる。


 出来ることなら、手を貸してあげたいが、紅琳の体質だけでは、華月の解呪は不可能だ。


 ………………では、紅琳はどうしたらいいのか?


 一晩考えて、導き出した答えは……。


 呪術専門の人間に、頼るしかない。

 ……だった。

 

「あのしか……ないよな」


 ――心当たりの人物が、一人いた。


 皇帝暗殺を企てた紅琳は、故郷の須弥には出入り禁止になっているので、他に当てがないのだから、仕方ない。


(消去法だ)


 過去、あまり良い別れ方をしていないので、気は進まなかったけど……。

 いずれ、会おうとは思っていたから、良い機会だ。

 手紙や伝言をすることも考えたが、緊急なら、直接会う方が早い。

 正直、今も王都に住んでいるか分からないが、訪ねてみる価値はあるだろう。



 ――翌朝。

 有無をも言わさない勢いで、紅琳は華月に市井の呪術者と連絡を取りたい……と、直訴すると、華月は半日だけという約束で、紅琳の願いを聞き届けた。


 やけにあっさり了承したと思ったら、案の定……。


「……で? どうして、華月あんたまでついて来るんだ?」


 狭い馬車の中、ご機嫌麗しい女神・華月が紅琳の隣にちょこんと座っていた。


「いけませんか?」


「いや、普通に考えて駄目だろう。身体だってまだ本調子じゃないだろうし、自分の立場、分かっているのか?」


「どうせ、こんな身体の私ですから、私がいなくったって、上手く回るように、政は出来上がってしまっていますしね。……それに、分かっていないのは、貴方のほうです。紅琳さまが単独で後宮の外に出たら、罪になるでしょう。私は見張り役です。私のおかげで、後宮からすんなり脱出できたんですからね」


 そうだ。

 確かに、華月は皇帝だった。


 皇帝だけが所有する御璽ぎょじ一つで、解決することは多数ある。


 華月直筆の御璽付きの文を、門番に見せれば、一瞬で外に出ることができた。


 無駄な手間が省けたのは良かったのだが……。

 …………それでも、なんか。


「もしかして、華月。私が逃げると思ったとか?」

「…………それは」

「信用ないんだな。私も」

「信用は……していますよ。貴方がその気なら、きっと、できてしまうという、そういう意味での信用なら」

「そうか」


 しゅんと、華月がうつむくと、紅琳は本当に彼には味方が少ないことを知ってしまうのだ。


(困ったな)


 何だか、益々逃げづらくなってしまったようだ。


「んー。まあ……。逃げてもいいかって思ったけど、ここまで話を聞いて、知らんふりも何か……」


「……申し訳ありません」


「いいって。でも、その……紅琳「様」はやめてくれないか。皇帝に「様」付けで呼ばれるなんて、なんか寒気がするからさ」


「それなら、こ、こ……こ」


「何を照れているんだ?」


「分かりません。でも、なんか、無理そうです。紅琳さま」


「なら、何でもいいけど」


 顔を真っ赤にしている華月が純粋すぎて、紅琳は泣きたくなった。


(この国、心配だな)


 李耶は志願して、御者を務めてくれているので、二人の会話は聞こえていないだろうが、多分耳にしていたら、一生、笑い話にされそうだ。


(ただでさえ、李耶には隠し事が多いのに……)

 

 華月がやんごとない身の上の男性であること、呪いによって女身化してしまった事までは、李耶にも話したが、皇帝であることは、さすがに、蒼国人として話すことが出来なかった。


 ……紅琳だって、まだ信じきれてないのだ。


「一応、訊いておくけどさ、あんたの体をそんなふうにして、今、殺そうとしているのって……?」


「玉榮ですよ。いつも、私が奴の言うとおりに動かないと、死にそうな目に遭わされるんです。……今回も、貴方と近すぎるから離れろと言われたので、やんわり拒否したら、殺されかかりました」


「……許せんな。玉榮の奴」


 華月が正常な身体を取り戻して、積極的に政ができるようになったら、一番困るのは、権力を思うがままに振るっている、玉榮なのだ。


「玉榮が欲しいのは、思ったとおり動く人形なんです。私もどうしても解呪したかったので、玉榮の懐に入ったほうが早いと考えて。従順に振る舞いました。……結果、私は玉榮の傀儡になりさがってしまったのです」


「怖い相手だな。皇帝に成り替わろうとするでもなく、裏から華月を操るなんて」


「父も、そうでしたからね」 


「…………知らなかったよ」


 紅琳は、蒼国がそんなことになっているなんて、まったく知らなかった。


(私が嫁いでいる間に、そんな魔物に、この国が乗っ取られていたなんて……)


 一度だけ玉榮に会った時、嗅いだ妙な香を思い出して、紅琳は吐き気を覚えた。

 あれは、呪術者が纏う香だったのかもしれない。

 そもそも、犯人だと確定しているにも関わらず、華月が何も手を打つことができないのは、玉榮がよほど頭の回る人物だからだろう。


「確か、泰楽帝時代からの宦官だったよな。あんたの父親……私の兄様……が、玉榮を更に出世させた」


「祖父様も、父も、あいつの色香に引っかかったんです」


「色香……ね。まあ、玉榮が子供を授かることはないだろうから、それだけは救いか。手っ取り早く、玉榮を縛りあげて、術式を聞き出せば、解呪も可能だが……」


「それが出来たら、苦労しません。父の代で忠臣も皆死んでしまって、わたしのために動いてくれる者だっていないんです。いっそのこと、暗殺してやろうかと、私だって考えたのですが、しかし、玉榮が死んでも解けない術を仕掛けられていたら、私……おしまいですからね」


 華月が仄暗く呟く。


 本来、何事もなければ、若く美しい一点の曇りもない外見。

 精力的に政務もこなしていただろうに……。

 今までの彼の苦労が、泰楽帝の勝手気ままに振り回されてきた紅琳には、よく分かった。

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