第2話 現れた少女
視界がレヴリの掌の赤色に染まり掛けた時、ズドと低い音が上方辺りから聞こえた。レヴリ……赤鬼はブルリと震えて動きが止まる。すると更にズド、ズドと鳴り響くたびに震え、遂にはグラリとふらついた。
何かが起きたと
「えっ?」
またも土煙りは上がったが、視界を遮る程ではない。だから、何が起きたか見れば分かった。
レヴリの額のど真ん中に小さな穴が開き、赤い血が溢れ出している。その赤色は地面についた後頭部からも大量に広がっていった。そして心臓辺りには小さな穴が二つあり、定規で計ったかの様に縦に並んでいる。予想通りならば内部の臓器は破損し、原型を留めていないだろう。つまり、間違いなく即死だ。レヴリと言えども生物の一種で、頭部と心臓部を破壊されたら生きてはおれないのだから。
「狙撃? でも他の部隊なんて……」
背後を振り返り見回すが、誰一人として見えないし合図らしき物もない。そもそもカテゴリIIIに該当するであろう赤鬼の硬い皮膚や骨を遠距離から抜くなど考えられない。高威力の銃で近距離から一点に連発すれば可能性もあるが……念動で射出した瓦礫さえ致命傷にならないのだから。
「死んだ、の? あのレヴリが簡単に……」
仲間の仇はあっさりと絶命し、目の前に仰向けに倒れている。何度見ても変化などない。
陽咲は中々立ち上がる事が出来なかった。暫くすると、背後からザッザッと小さく規則的な音がしてくる。
ゆるゆると振り返った時、人影が近づいて来るのが見えた。規則的な其れは人の歩み来る足音で、まだ少し遠いが小柄な女性だと判断する。
「違う……子供、女の子?」
ポニーテールの黒髪、僅かな胸の起伏、小さいながらも丸い腰回り、衣服は迷彩柄のパーカーと深緑色のパンツ。靴は不似合いなゴツい革靴だ。距離も縮まって、少女ながらも可愛らしい顔すら判別出来た。目鼻立ちも整っているし、少しキツめの視線すら大人びさせて綺麗だ。化粧はしてないが、肌は真っ白な新雪の様に日焼けもしていない。
余りいないレベルの美人さんだなと、陽咲はつい
それだけならセンスの少し外れた綺麗な女の子で済む。しかし此処は"カテゴリⅤ"の異界汚染地。脅威度最低のエリアだとしても、危険であることに変わりはない。
その姿は荒廃した街に不釣合いで、小さな両手に銃らしき物体を抱えていれば違和感は高まっていく。今の日本では年齢制限もある上に、試験を突破しなければ銃を所持出来ない。
その女の子は、呆然と座り込んだままの陽咲を軽く一瞥し、そのまま横を通り過ぎてレヴリの側に立った。
綺麗な横顔だが、纏う空気は何処までも怜悧。無表情を極めたと言わんばかりに感情を悟らせない。何故か透明の氷をイメージさせられた。その日本人だろう漆黒の瞳もやはり冷たく、凍える様な視線がレヴリに向けられている。
「キミ……」
陽咲は何とかカラカラの喉を震わせて声を掛けた。だが少女がとった次の行動に二言目は紡げなくなる。
何処か玩具染みた、見た事もない黒い銃を片手で構え、レヴリに向けたのだ。
よく見れば緑色した光の線が血管のように這っている。形状は出来損ないの狙撃銃、或いは色々とパーツを組み合わせたハンドガンだろうか。其れ等が益々子供向けのオモチャを想起させた。
そして間をおかず、躊躇なくレヴリの顔面に連射し始めたのだ。間違いなく即死だっただろうに次々と撃ち込み、そのうちに脳漿が溢れ出して頭部の原型が失われていく。サプレッサーらしき物は見えないのだが、空気銃の様なくぐもった音しかしない。
凄惨なレヴリの姿を見ても、やはり表情に変化は無かった。
「
女の子は、聞き馴染みのない何かを呟くと、特徴的な銃を背中側に収めた様だ。此方に向いて歩いて来たからもう見えなくなった。
「
目の前に立った少女は声を掛けた。声音もやっぱり雪解け水の様に澄み、陽咲の耳に届く。氷の国のお姫様……そんなイメージが浮かぶ。何故自分を知っているのかと言う疑問も忘れ、あたふたと乾いた喉を震わせた。
「え、ええ。そうだけど……キミが助けてくれたの?」
答えは明白でもつい聞いてしまう。お礼を言わないと、それが当たり前なのに……銃を仕舞った姿は一人の女の子でしかなかった。
「飲んで」
男子学生が持つ様な飾り気の無い水筒をポイと放り投げてくる。乾いた喉を潤せ、そういう事だろう。冷たいのか優しいのかよく分からない態度に陽咲は少し混乱する。
何より質問に答えていない。
「あ、ありがとう」
良く冷えた麦茶だった。一口だけと思ったが気付けばゴクゴクと何度も嚥下してしまう。
「怪我は?」
その冷めた声音に反する優しい心遣い。視線は身体の各所を調べている。言葉だけでなく実際に確認しているのだろう。
「私は大丈夫だけど……仲間が」
「陽咲は生きてる」
「……そんな事」
「戦闘で」
「ん?」
「逃げて良かった……いや、逃げるべきだった。勝てもしない戦力だったのは明らか。それは勇敢じゃなく蛮勇。そう判断出来ないなら戦士に不向きと思う」
初対面の相手、ましてや自分より若い小さな女の子にズケズケと言われ、陽咲はムッとしてしまう。これでもかなり厳しい訓練を受けてきたのだ。彼女なりに心配してくれているのかもしれないが、誰にだって戦う理由がある。ましてや陽咲の持つ特異な力"
「……確かに私は未熟かもしれない。キミが助けてくれなければ死んでいた。でも、退けない理由が、戦う意味が私にはあるの」
「理由? 殺し合いに意味?」
まるで分からないと、くだらない理想論だと、視線で陽咲を射抜く。その厳しさに心臓がドキリと鳴った。
「そ、そうよ。それはいけない事? キミだって武器を持って此処にいるでしょう?」
「教えて」
笑われると思ったが、女の子は意外にも質問を返して来る。
「理由の事?」
答える義務も無いし、歳下の女の子に話すことでもない。しかし、何故か陽咲の口は話し始める。それは不思議な、何処か懐かしい感覚だった。忘れる事が出来ない、忘れたくない綺麗な女性の笑顔が浮かぶ。
「私には一人お姉ちゃんがいるの。綺麗で、優しくて、凄く強い人。どんな困難だって絶対に負けたりしない。遠くて、でも憧れで……大好きだった。もしお姉ちゃんならレヴリなんて簡単に倒しちゃう、きっと世界だって救ってしまうくらい」
冷たい印象なのに、戦争には釣り合わない甘えた話の筈なのに、陽咲の目の前でジッと耳を傾けている。
「五年前に行方不明になったの。でもお姉ちゃんの事だから何処かで誰かを救ったり、笑わせたり……絶対に生きてる。私は弱虫じゃない、逃げたりしない、自慢の妹なんだと胸を張りたい。でも……もしかしたら、苦しんでるかもしれないお姉ちゃんを助ける為に、私は戦う。そう決めたから」
陽咲の力強い宣誓。それを聞いた少女は視線を伏せて、振り絞る様に言葉を紡いだ。
「……陽咲の、お姉ちゃんの名前は?」
「名前、名前は……
「千春……
すると、我慢出来ないとばかりに、今まで無表情を貫いていた女の子は……陽咲に隠すでもなくホロリと涙を零したのだ。それは初めて見せた感情であり、同時に強い悲哀を感じさせた。
最初も今も苗字を言い当てられ、陽咲はさっきから浮かんでいた疑問をぶつけるしかない。その涙の意味を。
「なんで……どうして知ってるの⁉︎ お姉ちゃんを知ってるなら教えてよ‼︎ キミは誰⁉︎ 千春お姉ちゃんは生きている、生きているんだよね!」
数歩の距離を詰め寄り、細く小さな肩を掴もうとする。だがスルリと躱されると、距離を取りながら零れた涙を拭い、元の無表情に戻ってしまった。それは明確な拒絶だ。
「……3キロ先、別の部隊が此処を目指している。人数は三十一。装備から見て陽咲の仲間で間違いない。怪我がないならこのまま待機を。周辺の脅威は取り除いたから休んでて」
「急に何を言って……3キロ……?」
少女が見つめる先に身体ごと視線を向けてみる。想像した通り全く見えなかった。崩れかけた建物の陰に隠れているのかと暫く見ていたが、変化などなく空も青いままだ。
陽咲は確かに軍属だが、所属する"国家警備軍"は警察機構も担う場合があるのだ。そうで無くても未成年の女の子を汚染地に置いていけないし、聞きたい事が沢山ある。年齢的に銃器を違法に所持していても、命の恩人なのだから。
仲間が来ているならば女の子をどうするか決めなければ。「そうだ、名前を」と、外した視線を戻す。
「ねぇ、キミ……あれ?」
振り返ると、氷の様な美しい少女の姿が消えている。音もなく忽然と見えなくなった。
「え? え? 何処?」
身体ごとグルリと回転して周囲を探したが、小さな命の恩人はいない。
「何処なの⁉︎ お礼を……お姉ちゃんは……」
ビル群に木霊して声は反響したが、それに応える少女はもういない。
結局、陽咲は絶命した赤いレヴリを茫然と眺める事しか出来なかった。
○ ○ ○ ○ ○
ポニーテールにした黒髪が風に揺れる。
「千春。やっと見つけたよ」
周囲をぐるぐると見渡し、自分を探す陽咲を上方から眺める。ずっと昔に無人となり、僅かに傾く元は商業ビルだった建物の屋上だ。
少女は、無表情を貫いたままに陽咲を視界へ収め、心の中で呟いた。
誰かに語り掛けるように----
千春とは……大人びた、強い姉である彼女と正反対の幼い陽咲。部分的には血の繋がった姉妹らしく似てはいると思う。あの日、千春は陽咲のことを最高に可愛い妹と表現していた。
そう、「千春」は凛とした強い人。もし此処にいるのが自分ではなく彼女ならば、この世界は簡単に救われただろう。いつの間にか変わってしまった日本や世界だけど、あの人には関係ない。
陽咲の言う通り、千春は
陽咲は今の自分より歳上かもしれない。だけど、印象は子供で戦闘も甘い。さっきだって
「今の私に仔犬呼ばわりされたら怒るかな」
どう見ても中高生くらいの女の子、それが今の自分だ。
千春とは比べ物にならない弱兵だけど……たった一人くらいなら……
「……誓うよ。千春の大切な妹、陽咲は私が守る。例え何があっても、穢れた身体と魂くらいしかないけれど……この命くらい安いものだから」
哀しそうに笑う千春の顔が浮かんだ。
長くて真っ直ぐで綺麗な黒髪、大人びた美貌、力強い意志を宿す瞳、全てを思い出す事が出来る。忘れる事などあり得ない。
優しい千春はこんな誓いなんてきっと望まない。馬鹿な子ねってポカリと頭を叩くだろう、あの日の様に。
「それでも……それが私に出来るせめてもの……」
「だからもう一度だけ、名前を呼んでよ。たった一度でいい。抱き締めてくれなくても、笑顔じゃなくてもいいよ……私を……
無事部隊と合流した陽咲を見守ると、黒い銃を手に少女……
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