転生獣医、異世界で精霊と牧場はじめました。

eccen.

第1章 「牧場はじめました」

第1話「目覚めと導き」

まぶたの裏が、ゆっくりと明るくなっていく。


──ここは……?


重たいまぶたを開くと、そこには青空が広がっていた。

雲一つない晴天。春の風のようにやさしい匂いが鼻先をかすめ、どこか懐かしい鳥の鳴き声が聞こえる。


「……死んだんだな、俺」


青年はぼそりとつぶやいた。

病院の白い天井。疲れ切った看護師たちの背中。

そして、最期に見たのは、彼がずっと心を砕いてきた、小さな柴犬の目だった。


──間に合わなかった。


助けたかった。もっと、生かしてあげたかった。

でも、救えなかった。彼の腕の中で、あの子は静かに息を引き取った。


「……獣医として、何してたんだろな」


誰に問うでもなくつぶやいたそのときだった。


「目が覚めた? よかった!」


甲高い声が頭上から降ってきた。青年が慌てて上を見上げると、そこには空中に浮かぶ、小さな少女の姿があった。

人形のように整った顔立ち。透き通る羽根が背中に生え、スカートの裾がひらひらと揺れている。


「……妖精?」


「うん、精霊だよ。あんた、今日からここで生きるんでしょ?」


「ここ?」


「そう、ここは“アルメリア”っていう世界。ま、人間が言うところの──異世界?」


青年はゆっくりと上体を起こし、周囲を見渡した。

見知らぬ草原。背後には小さな森。そして、はるか遠くには丸い屋根の建物が点在している村らしき風景。


異世界転生──。


漫画やゲームの中だけの話だと思っていた。


「転生、って……俺が?」


「うん。ちゃんと選ばれてるんだよ。あんた、命の扱いにすごく真剣だったでしょ? だから、私が一緒に来てあげたの」


精霊の少女はにっこりと笑ったが、その口元にはどこか毒気もある。


「正直、身体は丈夫だけどスキルはゼロ。でも、私がいるから安心して。牧場経営に関しては、プロ中のプロだから」


「牧場……?」


「うん。この辺り、もともと王都の実験農場だったんだけどね、今は放棄されてる。そこを、あんたが使っていいってことになってるの」


青年は言葉を失った。

それはあまりにも急で、そして、どこか──嬉しい響きだった。


「動物たちと……もう一度、ちゃんと向き合えるってことか」


「そ。こっちの世界はね、人間も魔物も、魔道具もごちゃ混ぜ。でも、のんびり生きてる人も多いんだよ。あんたみたいなのがいても、案外うまくやれるってわけ」


青年はゆっくりと立ち上がる。身体が軽い。どこも痛くない。

まるで20代の頃のように、筋肉も関節もなめらかに動く。


「そうそう、自己紹介がまだだった。私は“シエル”。牧場精霊にして、あなたの専属サポーター!」


シエルと名乗った精霊は、得意げに胸を張った。


青年は、小さく笑った。どこか心の奥が、ふっと軽くなる。


「じゃあ……俺の名前は、“ハルト”。前の世界でもそう呼ばれてた。こっちでも、変えるつもりはないよ」


シエルがふわっと舞い降りて、ハルトの肩にちょこんと座る。


「よし、それじゃあハルト。牧場、見に行ってみよっか!」


新たな世界での、新たな一歩が、いま静かに始まろうとしていた。

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