第二十七話 三人の誓い、新たな旅立ち

 病室に差し込む夕陽が、祖父の穏やかな寝顔を照らしていた。祖父は、航にすべての真実を話し終え、安堵したかのように静かに眠りについている。祖父の顔には、長年抱え込んできた重荷を下ろしたような、穏やかな表情が浮かんでいた。航は、その手をもう一度優しく握り、病室を後にした。


 病院の廊下を、航、大地、玲奈の三人が並んで歩く。会話はない。祖父から語られた楓という名の生贄の娘のこと、一族に刻まれた血塗られた呪いのこと、そして母親の悲劇的な死の真実。そのすべてが、彼らの心に重くのしかかっていた。


 病院の玄関を出ると、冷たい風が三人の頬を撫でた。夕焼けに染まる空は、どこか悲しく、そして美しい。航の心は、激しい感情の波に揺さぶられていた。悲しみ、怒り、そして、母親と祖父母の願いを叶えたいという、燃えるような決意。


「航……」


 先に口を開いたのは、大地だった。彼の声は、いつもよりずっと真剣で、航を案じる気持ちがにじみ出ていた。


「本当に、そんなことが……」


 大地は、未だ信じきれないといった表情で、頭を抱えるように俯いた。大地にとって、幽霊が見えるというだけでも十分驚きだったのに、それが航の一族に伝わる「呪い」であり、航の母親の死の原因だったと聞かされては、脳の処理能力を超えていたのだろう。


「うん。じいちゃんが話してくれたことは全部本当なんだと思う……」


 航は、静かに答えた。彼の心は、もう迷いでは揺らがなかった。祖父の最後の願い、そして母親の自己犠牲。これらを無駄にはできない。


「航、大丈夫?」


 玲奈が、心配そうに航の顔を覗き込んだ。彼女の瞳は、航の深い悲しみを理解し、そして彼を支えようとする決意に満ちていた。


「大丈夫じゃないけど……大丈夫にしなきゃいけないんだ」


 航の声には、悲しみと、そして揺るぎない覚悟が混じり合っていた。その言葉は、彼の内面に芽生えた、新たな使命感を明確に示していた。


 三人は、病院の前のベンチに腰を下ろした。沈黙が続く。しかし、その沈黙は、もはや重苦しいものではなかった。互いの存在を感じ、支え合おうとする、温かい絆がそこにはあった。

 やがて、航は顔を上げた。その瞳は、夕焼けの光を映して、強く輝いていた。


「玲奈……君が言ってくれた通りだったな」


 航は、玲奈の目を見つめた。


「じいちゃんもばあちゃんも、俺が持つ『追体験』の力は持ってなかったんだ。だから、どれだけ調べても、幽霊の本当の気持ち、成仏させる方法にはたどり着けなかった」


 玲奈は、航の言葉に、小さく頷いた。彼女の表情には、自分の推理が正しかったことへの満足感と、そして航が持つ力の重大性を改めて認識したことへの、責任感が浮かんでいた。


「俺のこの力は、もしかしたら、この呪いを解くための唯一の希望なのかもしれない」


 航の声には、迷いはない。航自身が、この一族の最後の希望なのだ。母親の悲劇を繰り返さないためにも、この呪いを断ち切らなければならない。そして、何百年も土地に縛られ続けている楓という名の娘の魂を解放しなければならない。


「家に帰ったら、じいちゃんが言ってた書斎を探す。そこに、じいちゃんたちが集めてた古文書や文献があるはずだ。それを調べて、楓の過去、儀式の詳細、そして、どうすれば成仏できるのか、その手がかりを見つける」


 航の言葉は、すでに具体的な行動計画を伴っていた。彼は、もう立ち止まるつもりはなかった。


「待って、航」


 玲奈が、冷静な声で航を制した。


「それ、私たちにも手伝わせてくれない?」


 航は、玲奈の言葉に驚いて彼女を見た。


「手伝ってくれるのか?」


 玲奈は、航の質問に、当然でしょという顔で答えを返した。


「おじいさんが言っていたように、その文献は膨大な量でしょう? それに、内容も専門的で、解読には時間と知識が必要だと思うの。航だけだと、どれだけ時間があっても足りないわよ。こういう時は人海戦術が一番よ!」


 玲奈の言葉は、論理的で、そして航の状況を正確に把握していた。


「私なら、そういう情報の整理や分析は得意よ。私と大地で、文献を読み解いて、航に役立つ情報を洗い出す。どう? 私と大地には、航のような特別な力はないけど、こういうことなら力になれるはずよ」


 玲奈は、大地に視線を向けた。大地は、玲奈の言葉に、力強く頷いた。


「ああ、玲奈の言う通りだ! 俺は細かい作業は苦手だけど、体力勝負なら任せとけ! 書斎を探すのも、文献を運ぶのも、手伝うぞ! あと、航が追体験でぶっ倒れたら、俺がしっかり支えてやるからな!」


 大地は、いつもの明るさを取り戻し、力こぶを作って、「にへへ」と笑ってみせた。その言葉には、航への心からの友情と、彼を支えようとする強い意志が込められていた。

 航は、二人の言葉に、胸が熱くなった。一人で抱え込もうとしていた重い使命が、彼らと分かち合うことで、少しだけ軽くなったように感じられた。


「……ありがとう。二人とも」


 航の声は、震えていた。感謝の気持ちが、言葉にならない。


「何を水臭いこと言ってんのよ、航」


 玲奈は、小さく微笑んだ。その表情には、友を支えることへの喜びと、そしてこの困難な課題に共に立ち向かおうとする覚悟が宿っていた。


「そういうことだぜ、相棒! 俺たちは、お前が幽霊を救うのを見たんだ。今度はお前のこと、全力でサポートしてやるからな!」


 大地は、航の肩を力強く叩いた。その温かい手のひらが、航の心をじんわりと温める。

 航は、改めて大地と玲奈の顔を交互に見つめた。彼らは、航が背負うものの重さを理解し、そして彼を支えようとする、確かな決意に満ちていた。


「わかった。頼む。力を貸してくれ」


 航は、頭を下げて言った。これまでの人生で、誰かにここまで深く頼ったことはなかったかもしれない。しかし、この途方もない使命を成し遂げるためには、彼らの力が必要不可欠だと、航は悟っていた。

 三人の間に、新たな絆が生まれた瞬間だった。それは、単なる友情を越え、共通の目的と、互いへの深い信頼で結びついた、強固なチームの始まりだった。


 その日の夕食をファミレスで済ませ、三人は航の家へと向かった。玄関の扉を開け、航は二人に言った。


「じいちゃんが言ってた書斎は、母屋の奥にあるらしい。小さい頃から、ばあちゃんに立ち入り禁止って言われてた部屋なんだ」


 航の案内で、三人は母屋の奥へと進んだ。薄暗い廊下の突き当たりに、古びた木製の扉があった。祖母が亡くなってから、祖父もあまり出入りをしていなかったのか、少し埃が積もっている。


 航がゆっくりと扉に手をかけた。軋むような音を立てて扉が開くと、中からカビと古い紙の匂いが立ち込めてきた。部屋の奥には、壁一面に古い本棚が並び、埃を被った分厚い書物や、巻物がぎっしりと収められていた。まさに、祖父が言っていた「隠された書斎」だった。


「これか……」


 大地が、驚いたように声を上げた。想像以上の資料の量に、彼は圧倒されているようだった。

 玲奈の目は、書斎の奥に並ぶ膨大な文献に、すでに強い興味と探求心を宿していた。彼女の知的好奇心は、この一族の秘密の全貌を解き明かすことへの、新たな挑戦へと燃え上がっていた。


「すごい……こんなものが、ずっとここに……」


 玲奈は、そう呟きながら、早速一番近くにあった古い巻物に手を伸ばした。彼女の指が、慎重に埃を払う。

 航は、書斎の真ん中に立ち、周囲を見回した。この場所こそが、祖父母が長年、一族の呪いと、カエデの魂を解放するために、血の滲むような努力を重ねてきた場所なのだ。そして、今度は自分たちが、その意志を継ぎ、新たな一歩を踏み出す番なのだと、航は強く感じた。


「よし……。これから、ここが俺たちの拠点だ」


 航の声には、決意と、そして微かな高揚感が混じり合っていた。三人の戦いが、今、この隠された書斎から、静かに始まろうとしていた。

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