第八話 打ち明けた世界
昼休み。午前中の授業の喧騒が過ぎ去り、教室は昼食と談笑の声で満ちている。
航はぼんやりと窓の外の校庭を眺めていた。あの「繰り返す影」――飛び降りる幽霊の姿は、今も航の視界の隅にちらつく。昼間の明るさの中では、その姿は夜ほど鮮明ではないものの、確かにそこに存在していた。
あの幽霊の「遺言」を知るために、もっと近づくべきだとわかっている。だが、先日体験したあの衝撃的な追体験の記憶が、航の足枷となっていた。
「航、どうした? 昼飯、ほとんど食ってねーじゃん」
隣の席から、大地が心配そうな顔で覗き込んできた。航のトレイに乗った、半分以上残された唐揚げ定食。食欲が全く湧かない。コンビニでの出来事以来、特にあの追体験を経験してから、食事が喉を通らなくなっていた。
「別に、なんでもないよ」
曖昧に答える航に、大地は眉をひそめた。
「なんか顔色も悪いし、やけに上の空だぞ。この前の風邪もまだ引きずってんのか? ほら、食えって」
大地は航の唐揚げを一つ、自分の箸でつまんで航の口元に差し出した。その優しさに、航は胸が締め付けられる思いだった。心配してくれているのはわかる。でも、この気持ちを、どう説明すればいいのか。
その日の放課後。昇降口で靴を履き替えていると、大地が航の肩を抱いた。
「おい航。お前、マジで元気ねーぞ。なんかあったなら、俺に言ってみろって。な?」
大地は、いつものお調子者らしい笑顔を浮かべたが、その瞳の奥には、航を気遣う真剣な光があった。
「今日さ、この後ファミレスでも行くか? お前、最近ずっと一人で抱え込んでるみてーだし。玲奈も誘ってさ、三人で。何かあったなら、ちゃんと話せよ」
航は、大地の言葉に、はっとした。ファミレス。三人で。この二人なら、もしかしたら。
航は頷いた。大地が、心底安心したように笑顔を見せた。
午後五時過ぎ。学校から少し離れたファミレスのボックス席に、航、大地、玲奈の三人は座っていた。窓から差し込む夕陽が、テーブルの上に伸びた手やグラスをオレンジ色に染め上げる。頼んだドリンクバーのグラスを弄びながら、航は、どう切り出すべきか言葉を探していた。
「で? 航。何なのよ、その浮かない顔は。あんたがそんな顔してると、大地が心配だ〜心配だ〜ってうるさいのよ。何かあるなら聞いてあげるから言ってみなさいよ」
口火を切ったのは玲奈だった。玲奈はストローでアイスティーを混ぜながら、冷静な声でそう言った。一見、いつも通りのクールで突き放したような態度に見えたが、その目は航の顔色をじっと見つめ、その奥には明確な心配の色が浮かんでいた。航は、この二人になら、もしかしたら話せるかもしれない、という漠然とした希望を抱いた。
「……俺、実は、小さい頃から、たまにヘンなものが見えてたんだ」
航の口から、訥々と言葉が紡がれた。祖母の庭で見た、着物の女性の幽霊のこと。最初は気のせいだと思っていたこと。そして、一ヶ月前、祖母が亡くなった日のこと。
「ばあちゃん、俺の学校に来たんだ。あの校門の前に立って、俺に笑いかけてくれた。その時、俺はわかったんだ。ばあちゃんが、もうこの世にはいないって」
航のことを心配していた二人の張り詰めたいた空気がさらに重くなる。大地はドリンクバーのグラスを置いた手を止め、玲奈もストローを弄ぶのをやめ、真剣な表情で航を見つめていた。
「それからだ。俺の目には、はっきりと、幽霊が見えるようになったんだ」
航は、コンビニの監視カメラの映像で真実が暴かれた、あのひき逃げ事件の青年の幽霊について語った。彼が電柱に立っていたこと。航が何度も彼を目にしたこと。そして、彼が特定の白い車に反応していたこと。
「俺は、その幽霊に近づいた。そしたら、そしたら俺は、その青年がひき逃げされる瞬間を追体験したんだ。本当に、あの瞬間を、自分が経験したみたいに、鮮明に」
航の言葉に、大地はごくりと唾を飲み込んだ。玲奈の表情は、一瞬だけ揺らいだように見えた。
「それが、この前のコンビニで倒れた理由だ。あいつは、自分が死んだ理由をみんなに伝えたかったんだと思う。そして、その犯人は、あのコンビニの店長だった」
そこまで話し終えると、航はテーブルに置いた自分のグラスを、無意識のうちに強く握りしめていた。掌に、冷たい結露の感触が伝わる。
航の視線は、再び目の前の二人へと戻った。沈黙が、ファミレスの喧騒の中で、航の心を締め付けた。大地は、呆然とした表情で航を見つめ、玲奈は、目を伏せて何かを深く考えているようだった。
そして、航は、先ほどの学校での出来事についても話し始めた。昼休み前の四限目中に、窓の外に見た、あの「繰り返す影」のこと。
「屋上から、何度も、何度も、飛び降りるんだ。真っ黒な人影が、ストンって……」
航の声が、震えた。その光景の生々しさが、再び航の脳裏に蘇る。
「俺は、その幽霊も、何かを訴えかけてるんだと思う。何かの『遺言』を、俺に伝えようとしてるんだ……」
航は、二人の反応を、固唾を飲んで待った。
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