第20話 大切な人を守るのならば


 ルークが話してくれた内容を聞き終えて、アレンはルークを抱き締めながら片側の顔を押さえている。

 彼の話は、長かった。

 だが、分かったことがある。



 ルークは、ずっとずっと、母に拒絶されて辛かった。

 そして、それを父であるアレンが癒したのだ、と。



 だから、アレンの前でだけは声が出せるのだ。

 実の母に化け物扱いされた挙句に、気味が悪いと言われたら、誰が声を出せるだろうか。

 それに、恐らくルークも何かしらの能力持ちなのだ。生まれた時から言葉が理解出来たのはそのためだろう。父と弟も、痛ましそうにルークを見つめている。


「……なるほど。もう既に願いは叶っている。こうして、親子で一緒にいるのですからな」


 つまり、既に叶った願いを願ったために、ルークの痣は消えない。

 殺す以外に、術者に手立てはないだろう。アイスナー達も犯人を突き止める以外に他は無いと知る。


「しかし、……その影が降りた時には、誰が護衛を? アレン公爵なら一人になど絶対にさせなかったはずですが」

「……。……今回裏切りを働いた騎士二人です。本当に不甲斐なさ過ぎて死にたくなります」

「死んではいけません、アレン様。ルークが死んじゃいます」

「……ええ。分かっています。ルーク、大丈夫。私はお前を置いては死なないからね」


 アイスナーが必死に駄目出しをすれば、アレンが泣きそうになったルークを抱き締めて否定する。ルークの前で迂闊うかつだったと、アレンは後悔した様な横顔になっていた。それだけ弱っているのかもしれない。


「……ルーク殿が見た人物が代償の力持ちに間違いはないでしょう。しかし、……奥方がルーク殿を消したがっていたとは。とことん腐っていますな。……ああ、失礼」

「構いませんよ。情など持ち合わせてはいませんから。……ルークには酷ですが」

「……」

「ルークは、未練は無さそうですね。そうです。諦めるのは、悪いことではありません。……幸せになるために必要なら、それで良いんです」


 罪悪感を覚える必要は無い。

 その意味を込めてアイスナーが頭を撫でると、ルークは大人しく受け入れてくれた。目を閉じて、何となく気持ち良さそうにしている。

 触れても大丈夫で良かったとアイスナーが胸を撫で下ろして心の中で笑っていると、ぱちっとアレンと目が合う。じっとのぞき込まれる様に青空の瞳に見つめられて、アイスナーはこてんと首を傾げる。


「アレン様?」

「……ありがとうございます。貴方には、ルークを救ってもらってばかりですね」

「そうでしょうか」

「ええ。……貴方が笑ってくれると、ルークも安心出来る様です」

「え」

「私も、貴方の笑顔が見れて嬉しいですよ。それに……ルークも、いつかそんな風に笑える様になれるのだと、信じられます」

「――」


 アレンの言葉に、アイスナーはしっかりびしっと石の様に固まった。父と弟も、へあっと変な声を出してアレンを凝視している。

 アイスナーは、確かに心の中では笑った。ルークがきちんと母親との気持ちに区切りを付けていたこと。そして、苦手なはずの女性であるアイスナーが触れて気持ち良さそうにしてくれたこと。それがとても嬉しくて、笑ったのだ。



 それを、アレンは見抜いたというのか。



 表情筋が死んでいるのに。

 傍目はためからは、全く笑っている様には見えないはずなのに。


〝それに、アレン様。家族に向けた貴方の笑顔がとても可愛らしいと仰っていましたよ〟


 マルクは、アレンはアイスナーが笑った顔が可愛いと言っていたと教えてくれた。

 真実だったことを知り、かっと、アイスナーの心の奥底から熱が沸き立ってくる。

 今まで、家族以外には知られることのなかった心の表情が、彼には知られている。それが嬉しくて、くすぐったくて、どこか恥ずかしい。そんな気持ちにさせられて、激しく混乱した。


「アイスナー? どうしました?」

「いえ。何だか、おかしくなりました」

「おかしい?」

「はい。……アレン様は、どうして私が笑っていると思ったんですか?」

「え? だって、笑っていらしたでしょう?」

「はい。……笑っていました」

「???」


 アレンには何のことだかさっぱり理解出来ていない様だった。アイスナーが笑うことが普通だと、そう信じて疑っていない。

 そうだ。


 ごくごく普通に、笑っていたでしょう、と言ったのだ。彼は。表情が動いていないアイスナーを見て。


 それは、とても貴重で――筆舌に尽くしがたい感情に揺さぶられるに充分だった。



「――っ」

「アイスナー? 本当にどうしました?」

「……いいえ。それよりまずは、ルークのことです」



 無理矢理方向を戻すと、アレンはますます不思議そうな顔になった。

 父と弟が、何故かハンカチをみ締める様にぎりぎりいっと歯ぎしりを立てていたが、それはアイスナーにもよく原因は分からなかった。


「……元奥さんは、願いをその術者に願った結果、命を落としました。けれど、願いは叶えられてはいません。つまり、やはりお父様が仰った通り、分不相応すぎる願いだったから、死んだ、と」

「まあ、そうだね。人一人の命を奪うなんて、この力の持ち主では無理だろう。あまりに大きすぎる願いだと死ぬ可能性があると、術者はわざと伝えなかった。……そして、今度はルーク殿を狙った、というわけだ」


 父の解説に、アレンが奥歯を噛み締める。ルークは、きゅっとアレンにしがみ付いたままだ。

 それをなだめる様にアレンが背中を撫でる姿は、完全に父親だ。彼は、自らを父親としては卑下しているところがあるが、アイスナーの目には立派な父親像に映っている。


「……。伯爵。……願った瞬間に妻は死ななかった、ということですか?」

「そうですな。我らフラフィー家なら自由に期限を設けられた様ですが、力が弱い者だと、まちまちなのです。割とすぐに命を落とすこともあれば、一週間かけて命を落とすこともある、と。そう記録されていました」

「……つまり、その術者は妻の話を聞いて面白そうだと思って、ルークに接してきた可能性がある、と」

「公爵に逆恨みを抱いているとかでなければ、そうなりますな」

「……それを言われますと、心当たりがあり過ぎて反論は出来ませんね」


 自嘲気味に笑うアレンに、父も「みんな同じでしょう」と肩をすくめる。

 誰もが逆恨みをされる可能性はある。そして、貴族なら尚更だ。


「……伯爵。先程、市井しせいに出回っていた変な噂と関連付けていましたね? 何でも、最近失明とまではいかなくとも弱視になったり、指を一本事故で失ったりする者が出てきていたそうですが……、それはやはり……?」


 アレンがちらりと確認する様に見れば、父がふむ、とあごを指で撫でる。

 それは、今の代償の話とつながるものがあった。アイスナーも、街中をこっそりぬいぐるみで巡回していて再確認した情報だ。


「公爵は、尋問をした時にも気にしていましたな」

「ええ。妻のことを調べていくうちに、王都ではそういったことが発生している、と。彼らに共通しているのは、ある占い師の館、とうそぶいたところに通っていたことです」

「アイスナーが怪しい者を追った先で、入って行った館と同じですな」

「やはりそうですか。……しかし、どれだけ調べても、その占いの館の者と妻が接触を持った、という情報は得られなかったのです。妻がそこに入って行ったという目撃情報もなく。……ですが、ルークの話を聞くと、直接この屋敷に来た可能性があるのですね」

「奥方がいつから接触を持っていたかは分かりかねますが、玄関を通らず、侍女頭などが口裏を合わせていればそうなりますな。……いや、奥方は男性と二人きりになりたいなどと仰る方でしたか」

「……お恥ずかしながら。それに、騎士に二人ほど裏切者がいれば、どうしても警備に穴が出来てしまいます。その穴の中で、かつ妻が一人で部屋にいる時に訪ねられたら、……私だけでは追えないかもしれません」


 騎士に二人裏切者がいたその時点で、警備は絶対とは言えなくなる。

 そして、ルークはその警備の穴をくぐって接触された。

 アレンの死んだ妻に接触する時も同じ方法を使ったのならば、口止めさえすればアリバイの出来上がりである。


「……もう一度騎士を尋問します」

「それが良いですな。そちらはお任せしますぞ。……後は、その術者をおびき出す方法ですが」

「お父様。罠を張って私が囮になりましょう」


 あっさりと宣言するアイスナーに、アレンが目を見開く。

 父と弟は「やはりそう来たか」と溜息交じりに苦笑した。もはや説得など諦めている。アイスナーは言い出したら聞かないと、長年の経験で理解しているからだ。


「し、しかしアイスナー。貴方が囮になるなど、いくら何でも」

「アレン様は、私にルークを守って欲しいと願いました。ならば、私もそれに全力で応えるだけです」

「ですが、……」

「この囮は、ルークにも手伝ってもらうことになります。ですから、アレン様の許可が必要です」


 更にあっさりととんでもないことを言い出すアイスナーに、アレンは、あ、と口を開いた。虚を突かれたといった風だが、すぐに把握した様だ。ぐうっと苦虫を百匹ほど噛み潰した表情になる。


「……それは」

「もちろん、ルーク本人の許可も必要です。……でも、多分これが一番確実で安全なんです。狙われると分かった状況で、アレン様がいて、騎士達がいて、そして何より父と弟がいる。私も自分で自分の身は守れますし、……ぬいぐるみという心強い味方もいます」


 ぬいぐるみは可愛らしいだけではない。柔らかいだけではない。もふもふを堪能するだけではない。

 アイスナーにとって、ぬいぐるみは騎士様ナイトだ。

 ただ視界を共有し、話せるだけの存在ではない。集まれば、何よりも頼もしい護衛となる。


「お二人に覚悟を決めてもらう必要があります。そして、私はルークとは片時も離れたりはしません。相手も、私がそんなに強いということは知らないでしょう。私、見た目だけは、か細くて頼りない、ただただ無表情なお嬢様にしか見えませんので」

「……私にとっては、可愛らしくて頼もしい、誰よりも強い女性にしか見えませんが」

「アレン様はお医者様に診てもらった方が良いですね」

「いいえ。私の目はとても良いのですよ。ですから、正しい評価ですね」


 にっこりと笑ってアレンに言い切られ、アイスナーは困ってしまう。何度も可愛いと告げられると、本気にしてしまいそうだ。



 ――本気にするとは、何でしょうか。



 そんな疑問が頭の隅を過ぎったが、アイスナーは今は追いかけるのを止めた。


「なので、アレン様、ルーク。どうか、私に……私達に、賭けては下さいませんか」

「……」

「ルークは、必ず私が守ります。ぬいぐるみというボディーガードも付けます。……また恐い思いをさせるし、恐いことを思い出させるかもしれません。ですが、……決着を付けて、これからの未来を、アレン様と一緒に歩いてみませんか?」


 最後はルークの目を見て話をする。

 ルークの目には、すでに躊躇いは見当たらなかった。

 それを確認し、アレンもしゃがみ込んでルークの頭を撫でる。


「……ルーク」

「……」

「分かった。……アイスナー、そして、伯爵、ハーヴィー殿。ルークの命、貴方達に預けます。どうか、共に元凶を捕まえて下さい」

「……あい、分かりました」

「そして、私も微力ながら力になりましょう。貴方達ほどの強さは無いかもしれませんが、当然騎士達はお貸しします。罠に必要なこともやりましょう」

「それはありがたい! 数が多いほど噂はばら撒けますからな。……では、早速」


 父がアレンと協議に入る。

 アイスナーは、小鳥を抱えてたたずむルークの頭を撫でる。

 そこに弟がやってきて、ルークの顔を覗き込んだ。


「偉いぞ、ルーク殿。お父さんのために決意したんだね」

「……」

「大切な人のために、命を賭ける。大切な人を守るには必要なことだけど。でも、一つだけ約束すること」


 ぴっと人差し指を立て、ハーヴィーが悪戯っぽく笑う。



「何が何でも生き残ることを考えること」

「――」

「大切な人を守るなら、最後まで自分も生き残らなきゃね。……自分が死んで大切な人が悲しんだら、それはもう守った、ということにはならないから」



 ね、と弟がルークに、そしてアイスナーに向けて愛らしく首を傾けた。

 普段は敬語しか使わない弟が、ルークには兄貴風を吹かせて敬語が抜けているところが可愛く、アイスナーはほこほこと微笑ましく見守りながら頷いた。

 ルークも、真剣な顔で頷くのが力強いだけではなく可愛くて、やはりアイスナーはほっこりと和んでしまうのだった。


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