第6話 求婚したいと思いました
ルークが頷いたのを目の当たりにし、アレンが僅かに目を
アイスナーには全く心当たりが無かったが、驚かせてしまった様だ。こてん、と無表情に首を傾げる。
「公爵。申し訳ありません」
「えっ? いえ。何故、謝罪を?」
「? 公爵を驚かせてしまったようですので」
「……」
とりあえず謝っとけ精神のアイスナーは、特に謝罪をすることに抵抗は無い。
むしろ、66回もお見合いを断られているのと、66回も王家の調査で相手を騙しているという部分があるので、アイスナーは心の中で盛大に「ごめんね」とは謝っている。
その
上記の理由で、アレンについても、アイスナーが何か気分を害する様なことをしたのかと思ったので謝罪したのだが、杞憂だった様だ。
アレンの眼差しには、今までの男性の様な失望だったり毛嫌いする様な色は見当たらない。それどころか、アイスナーの言葉を聞いて申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「違いますよ。今のは……ルークが、貴方の言葉に反応したので」
「反応」
「ええ。若い女性を恐がらないどころか、言葉をきちんと聞いたり反応したりすることが、今の今まで無かったので。……母親に対しても、この半年は何も反応しませんでしたから」
「……」
「実を言うと、使用人も男性に限定しているのです。……変だとお思いになりませんでしたか?」
「あ。はい。思いました」
直球で即答してしまった。
アイスナーは思わず、と右手で口元を押さえる。背後で父親が「素直なアイスナーは可愛いな」と笑顔で頷いており、母親も「素直なアイスナーだからこそ愛されるのよねー」と笑顔で褒め称え、弟が「姉上は誰とお話しても素直で可愛らしいから好きです」と
どう考えても公爵に対して遠慮が無い言動を取るアイスナーの家族に、しかしアレンは寛大だった。それどころか、眩しそうに目を細める。
「本当に仲が良いですね」
「はい。うちの家族は、とても仲が良いんです。私も、彼らの下に生まれてこなければ、きっと酷い扱いを受けていたと思います」
「アイスナー嬢は、なかなか客観的に己のことを仰いますね」
「自分の症状は、自分が一番よく分かっていますから。今の家族でなければ、私はこんなに感情が育つことはなかったでしょう。とても感謝しています」
本来、貴族の中で欠陥品が生まれることは好ましくない。ましてや、魑魅魍魎の貴族の世界を渡って行く上で、表情を全く取り繕うことも出来ないなど不利でしかない。周囲からだって面白おかしく噂され、恥をかいたと罵倒する貴族だって出てくるだろう。
その点で、アイスナーの家族はかなりの変わり者だと思う。
貴族とは思えない本当の意味での腹芸を披露するし、全身全霊で使用人達と共に一晩中踊り狂うし、絵本を読む時も全力だ。
大きく感情を見せれば、アイスナーの感情も動くのではという苦肉の策だったのだろう。おかげで、家族はアイスナーが生まれる前よりも遥かに身振り手振り表現が大きくなったともっぱらの噂だ。
成長し、知識を身に付ければ、アイスナーも己が特殊だということは理解出来る。それでもアイスナーは、己を恥じたことはない。
家族が、何より誇ってくれるから。己を恥じるのは、家族を恥じるのと同義だと理解しているから。だから、アイスナーは何を言われても動じないし、傷付かない。愛してくれる人がいるというのは、強いのだ。
ルークは、今、
アレンという父親からの愛情はきちんとある様に思う。
だが、母親からの愛情は皆無だった。それだけではなく、恐らく虐待を受けていたのだろう。ずっとルークを否定していたに違いない。
否定され続ければ、己を肯定するのは難しい。
彼は、他の家族に生まれた時のアイスナーだ。
重ねるのは侮辱になるだろうか。
それでも、思わずにはいられなかった。
「……アレン公爵は、本当に私に結婚して欲しいのですか?」
こてんと首を
何故息を呑むのかは分からなかったが、笑顔と答えは揺るがなかった。
「はい」
「どうして」
「最初はセシル殿下に太鼓判を押されたから、というのもありましたが」
ルークを抱き上げながら、アレンがソファから降りて
それは、さながら女性に求婚する男性の構図だった。ルークを抱いてさえいなければ。
「今は、この少しの時間でお話し、色んな反応をする貴方を見て、求婚したいと思いました」
「きゃっかあああああああ!」
「正しくは、結婚するフリをして頂くわけですが」
「きゃ、きゃ、きゃ……っ!」
「貴方の不名誉になることは、私が責任を持って排除します。ですから、期限付きで、私の妻として動いてはくれないでしょうか。そして、ルークに……正しく母親としての愛情を注いで頂きたいのです」
「いいですよ」
「――え」
「あ、あいすなあああああああああっ⁉」
一拍も置かず了承するアイスナーに、先程から叫んでいた父の悲鳴が聞こえる。
母や弟も少々驚愕しているらしく、はくっと口を開閉した気配がした。――正しくは、『見えて』いるのだが、それは家族も知っているし、アレンには伝えられないので構わないだろう。
そして、当のプロポーズした本人が一番驚いた様だ。アレンから求婚したのに、とアイスナーは不思議でならない。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ。あまりに簡単に返事をするものですから」
「アレン公爵がプロポーズをしたんですよ? 無事に私をゲットしたのですから、万歳三唱で踊り狂うところでは?」
「確かに踊り明かしたいところではあります。しかし、女性にとってはかなり重要なお話ではありませんか? 完全に私の都合なのですよ?」
「そうですね。でも、アレン公爵ならいいかな、と思いましたので」
「……」
アレンが、一瞬黙り込んだ。
どうしたのだろう、と小首を傾げたが、それにはふっと目元を緩めてアレンは穏やかに微笑むだけ。ぬいぐるみの様に柔らかく。
「……アイスナー嬢は本当に、見た目通りの美しい芯がそのままの方ですね」
「美しい」
「ええ。通り名の通り人形の様にとても綺麗で、ぬいぐるみの様に柔らかな部分を持ち合わせている。とても可愛らしく、魅力的な方です」
「……」
美しい。可愛らしい。先程も言われた。
今までお見合いをしてきた男性も、最初は綺麗だの美しいだの褒めちぎってきたが、ここまで自然にさらっと告げてくる人は初めてだ。お世辞の雰囲気も無い。初めてだ。
何となく黙り込んでしまったが、しゃきっとアイスナーは背筋を伸ばす。
「ありがとうございます」
「はい。私も、私なら良いと仰って下さってありがとうございます」
「ただし、条件はあります」
すぱん、と間髪容れずにアイスナーはぴっと人差し指を立てる。無表情で。
少し無礼だったかなと反省はしたが、アレンはにこにこと笑ったまま。なので、このままの姿勢で押し通すことにした。
「公爵が本当の意味で私に――私達に望んでいることをお教え頂けたら、私は喜んであなたに嫁ぎます」
「――」
アレンは、優しい笑顔のままだった。
しかし、先程よりもはっきりと息を呑んだのは、間近にいたアイスナーには確実に伝わってきた。
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