第17話「氷原の蒼、幻獣を求めて」

 蒼が無限に広がる北方氷原。遠くで氷が割れる「キシキシ」という音が風に乗って耳に届く中、リオは馬車をそりに乗り換えた。頬を刺す「ヒューッ」という極寒の風に吐息が凍りつき、地面は「パキッ」と踏むたびに鈍い音を立てる。蒼白い氷塊が、かすかにきらめいている。


 そりを操る狩猟民が凍ったロープを手繰り寄せ、「おい、寒くて足が震えるか?」と声をかける。リオはかぶるフードの下で震える息を整え、凍える手で包丁を握り締めた。視界の向こう、獣骨で組まれた門がそびえ立つ。「ようこそ、北方へ」と刻まれた氷のレリーフが寒光を反射し、「カサッ」という裂けるような書状の小さな音がリオの耳に残った。リオはその冷気を胸で感じ取り、「ここでも料理で人を支える」と決意を新たにした。


 集落の市場は簡素で、棚には氷下魚の乾物、極寒鹿の干し肉、青白く光る氷藻が並ぶ。氷上漁師は小さな氷穴の前で「キュイーン」と釣り糸を巻き上げ、「身がしまって旨味が凝縮されるんだ」と笑った。医師の薬師は氷藻を指先で「サラッ」と擦り、「少量で十分、ビタミンとミネラルが豊富だ」と説明する。触れるとガサガサしてひんやりと冷たく、凛とした空気に清涼感を漂わせた。


 狩猟民の長老がゆっくり近づき、凍った息を白く吐きながらつぶやく。

「冬が長いこの地では、氷下魚と鹿肉が命を支える。幻獣肉はさらに貴重だ」


 老猟師は朽ちかけたオオカミの骨を手に取り、「幻獣肉は幻と呼ばれるほど稀少。見つけるのは至難の業だ」と息を詰めた音で言う。薬師は小さな硝子瓶を掲げ、「極夜が続けば栄養不足で命を落とす者も多い。幻獣肉は免疫を高める」と付け加える。氷上漁師は「干し魚は風で旨味が増す」と独り言のように呟き、村の暮らしぶりを補強する。リオは氷下魚、鹿肉、氷藻、幻獣肉の価値を胸に刻み、「ここでも一皿で命をつなぐ」と覚悟した。


 簡易な石窯を借り、リオは試作に取りかかる。まず、鹿肉を〈素材魔素再構成+75%〉で下茹でし、赤身の旨味が強い鹿肉を鍋に移す。続いて幻獣肉を投入すると、「ジュワッ」という甘みを含む音が立ち上った。氷藻を「サラサラ」と鍋底に敷き、かすかな清涼感を加える。さらに、氷下魚スープを注ぎ込むと、「ジュワッ」と湯気が立ち上り、深い海の記憶を呼び覚ました。


 初回の味見では、医師の薬師が匙を置いて首を振った。

「氷藻が多すぎる。苦みで身体が冷える」


 リオの胸に、幼い頃、暖炉のそばで母が差し出した鍋の温かい記憶がかすかに蘇り、「また利用されるのでは」という恐怖が胸を締めつけた。しかしすぐに視線を鍋に戻し、氷藻の量を半分に減らし、幻獣肉と鹿肉の割合を見直す。氷下魚スープを増量し、石窯の余熱で「ジュワッ」と湯気を立たせながらじっくり煮込むと、肉の甘みと魚の旨味、氷藻のほのかな清涼感が溶け合っていった。リオは最後にひと口味わい、「これだ」と小さくつぶやいた。


 日が傾き、集落外れの古い氷の洞窟で「蒼の祭り」が始まる。洞窟内は青白い氷壁に包まれ、「ポタポタ」という氷滴の音がやがて「ポタ…ポタ…」と鼓動のように高まり、氷のかがり火が青く揺らめいて洞窟全体を蒼で照らす。リオは大鍋を運び入れ、「幻獣と氷藻の濃厚シチュー」を据えた。蓋を取ると、湯気とともに氷藻の清涼感と幻獣肉の甘みが鼻孔をくすぐり、氷下魚スープが「ジュワッ」とコクを放った。集まった村人たちはその香りに息を呑み、静寂が支配した。


 村長が杖をついて近づき、箸を運ぶと目を閉じてつぶやいた。

「まるで極夜の星々が口の中で瞬くようだ」


 狩猟民の若者は声を震わせて言った。

「この一杯で、どんな極夜も越えられる」


 医師の薬師は目尻を下げ、「身体の芯が温まる」と頷く。老猟師は鍋を見つめながら静かに笑い、「次は氷下魚の干物も頼むぞ」とひと言添えた。子供たちは「おかわり、おかわり」と歓声を上げ、青白い氷壁に映る笑顔が凍てつく世界に温かい灯をともした。


 饗応が静かに終わるころ、リオは洞窟の外へと足を踏み出した。暗闇の向こうで「ビュオオオオ」という猛吹雪の足音が迫り、極夜の蒼い闇が視界を覆い尽くす。視界の端に雪片がちらつき、「チリチリ」という痛みが頬を刺し、目の端に「白い帯が裂けるように」迫った。


 狩猟民の長老が杖をつきながら近づき、「この吹雪が過ぎれば、交易路はさらに厳しくなる。余分な水と食料を確保せよ」と低く告げた。その背後で村長が銀箔縁取りの羊皮紙の書状を差し出すと、「カサッ」という乾いた音が響いた。触れると凹凸の紋章がひんやりと手に伝わり、銀箔がかすかに光を反射する。書状には「深氷の海には氷結する魚群が棲み、その油には奇跡の薬効がある」と記され、北極海近くへの正式指令として精緻な署名が添えられていた。羊皮紙が折れ曲がるとき、「クシャッ」とわずかに軋む音が心に響いた。


 リオは包丁を握り直し、猛吹雪の中で胸に冷気を受けながら顎をわずかに上げた。鼓動は早鐘のように鳴り、胸の奥で新たな決意が煮え立っていた。

「極寒の海と凍える空の果てでも、料理で人々をつなぎ、命を紡ぐ旅は続く」


 その言葉を心に刻み、リオはそりへと歩み出した。背中には、砂漠と高嶺と氷原で培った知恵と覚悟が凍れる蒼の中で燦然と揺らめいていた。

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