裸のお姫様②

「今日さ、変質者に会ったんだよ」


 夕食時、自宅のダイニングで今日の昼休みにあったことの一部始終を妹に話した。


「うわー、それホント? 学校で、しかも女子高生がそんなことしてるなんて、春は怖いねぇ」


 テーブルの向こう側からそう言いつつ、栗色のお下げを二つ、緑のリボンと一緒に揺らす妹――優姫ゆうきは自分で作ったハンバーグを美味しそうに頬張った。


「登下校中は変質者に気を付けましょう、なんて言うけどさ、これからは校内でも注意しないといけないのかぁ。これも時代の流れなんだねぇ」

「優姫はどの立場でものを言ってるんだ? まあ、幸いにも何かされたわけじゃないし、なんならちゃんと旧校舎から送ってくれたくらいだから、感謝しなきゃいけないわけだったりするんだけど」

「そこだけ聞くとただのいい人だね。全裸の時点でそんなことあり得ないってなるんだけどさ」


 あの後、俺はちゃんと旧校舎の出口まで早川さんに案内してもらった。やや複雑ではあったものの覚えきれないということはなかったので、早川さんが『そこまで複雑じゃない』と言っていたのはどうやら正しいことのようだった。

 ちなみに、別れ際に『教室では前と同じようにする』ことと『絶対に他人には話さないこと』を改めて約束させられた。なので、他人ではない家族である妹に俺は話しているわけである。


「公共の場で脱いでる時点で犯罪者だしなー。命惜しさに見逃さざるを得なかったのが今でも悔しいよ」

「命より大事なものなんてないから、おにぃは間違ってなんかないよ。変に刺激したら何されるか分かったもんじゃないからね」

「状況だけ見たら、刺激してきてるのは向こうのはずなんだけどな」

「アハっ、それはそうだね。けど、その人も運がよかったね、裸を見られたのがおにぃでさ。普通の男子だったらケダモノになってるところだよ」


 そう言いながら俺とそっくりな垂れ目を細くして笑う。自分のそれを鏡で見たときは眠そうだとか目が据わっているように見えるのに、優姫のものは兄の贔屓目を抜きにしてもとてもかわいらしく見えた。


「それとも本音はそうなることを望んでたりするのかな? おにぃがあまりにも変だったから、興が削がれた的なアレだったりしない?」

「さあ、どうだろな。露出狂の考えなんて知りたくもないから分からないけど、少なくとも見つかったことをヤバいと思ってはいそうだったかな」


 俺が昼飯を食べ始めたせいでうやむやになったものの、最初に早川さんが見せた反応は高揚ではなく恐怖だった。裸にはなりたくても誰かに見せる気はなかったというのは、嘘ではないように感じていた。


「見つかったらヤバいと思ってるならやらないようにすればいい――ってものじゃないだろうけど、何も学校でやらなくてもいいと思うなー。それこそ、家でやればいいのにね」

「俺もそう思うけど、本人になんらかのこだわりがあるかもしれないし。迷惑かけない範囲なら個人の自由だろ」

「個人の自由云々の前に犯罪であるという点を除けばそうだねー。ま、とにかく教えてくれてありがとね」

「気にすんな。……ああ、でも他の人に話すなよ? 途中で言ったけど、誰にも話すなって言われてるからさ」

「分かってるよー。そもそも、そんな話を信じる人のが少なそうだけどね。怪談話の一つとして片づけられそう」


 優姫はハンバーグを再び口に運びながら答える。一口二口噛んで、幸せそうな笑みがこぼれた。さっき食べたときもとても美味しそうにしていたし、今日は会心の出来だと思っているみたいだ。俺もすでに口にしているが、確かに妹が自画自賛するくらいには美味しいハンバーグだった。


「それにしても、おにぃの方から初めて話してくれた学校のことが、まさか変質者が現れたことになるなんてねぇ」

「……あれ、そうだっけ?」


 しみじみと言い出されたので、記憶を軽く掘り返してみる。が、割と優姫に学校のことを話した記憶しか出てこなかった。


「学校のこと自体は話してもらってたけど、全部私が聞いたから答えてくれたってだけだよ。それも勉強のこととか行事ごとの話をしてくれるだけ。こんな風に誰かの話を聞いたのは初めて」


 更にそう言われてしまったので、もう一度記憶を掘り返してみた。……確かに、優姫の言ったとおりの記憶しか出てこない。


「まあ、学校で話さないからな、俺。事務的な会話くらいはするけど、話が基本合わないんだよな」

「言いたいことは分かるけどねぇ。イジメにあってたりしないか、私ゃ心配でしょうがないよ」

「特に何かされてるわけじゃないから安心してくれ。必要なことを伝えられないとかもないし、時々話しかけてくる人はいるから」


 もっとも、それに上手く返せたことはあまりない。特にそこから発展することはなく、下手をすれば気まずい雰囲気になって会話が終わるばかりだ。だからこれは俺自身の問題であり、他人に責任を擦り付けてはいけない話だと自覚している。


「それにバイト先の話なら時々してるだろ? 今の時代、学校だけがコミュニケーションの場ってわけじゃないんだ」

「そっちもほとんど仕事の愚痴じゃん。それも基本的にお客さんの話で、一緒に働いてる人のことは全然教えてくれないし。わたし、時々帰り際に話し込んでくるおばちゃんがいることしか知らないよ?」

「まあ、俺より年上ばっかで結局話が合わないし、そのおばちゃんも大体一方的に話してくるだけだし……それより、優姫の方はどうなんだ? もう2週間経ったけど、友達はできたか?」

「私は大丈夫だよー。ってか、今日も友達と遊んで帰ってきたって言ったし」


 そう言われて、俺より遅く帰ってきた優姫が「遅くなってゴメンねー。友達と遊んでたらこんな時間になっちゃった。今からご飯作るね」と言っていたことを思い出す。


「みんな私たちが二人暮らししてるって聞いたら気を遣ってくれてるし、今のところは上手くやってると思うよ。これからは分からないけど、多分大丈夫」

「そっか。中学からの友達が誰もいないとか言ってたけど、上手くいってるようならよかった」


 こう言ってはいるが、内心は『優姫ならなんとかできるよな』というものだった。揃えられた前髪と前に垂らした肩口までの二つの小さなお下げ、露出の少ない黒と白を基調としたワンピース、アクセサリーの類をほとんどせずにメイクもよく見ないと軽くしているとすら分からないレベルで、いわゆる清楚系に属する見た目をしている優姫。喋り方もやや間延びしておっとりとしており、あまり高くない背丈と垂れ目もあって同年代と比べると子供っぽい顔立ち、そして俺と同じ色をした少し落ち着いた感じの茶色い髪も合わさり、どうしても大人しい子と言う印象を受けやすい。


 だが、実際は俺との会話で分かるようにかなり明るく積極的でノリがよく、自分からどんどんコミュニケーションを取っていくタイプだ。お喋りが趣味とまでは言わないし、人付き合いが嫌になることもあるみたいだが、基本的には老若男女問わずに誰とでも仲良くなれて会話することを苦にせず楽しめている。もちろん、本当に誰とでも仲良くわけではないし、相性の悪い相手というのも存在するようだが、それを表には出さない程度の人当たりの良さもあった。そういう性格をしている上に、クラスで1番かわいいとは言えないが3、4番目程度にはかわいいのもあってか、男子からも割とモテるみたいな話は風の噂で聞いていた。さすがに本人から直接聞いたことはない。


「中学からの友達がいないのは、おにぃがこの学校を受けたからでしょー? 一応ギリギリ電車で行ける範囲だけど、毎日通うのはいくらなんでも辛すぎるみたいなところを絶妙に選びやがって」

「俺は中学から友達いないからな。だったら、できるだけ離れてた方が都合もいい――って、優姫なら事情を知ってるだろ」

「まぁね。ってか、おにぃに友達いないのは中学からじゃなくて小学校からでしょ。ずっとその調子だからおいもうとさんは心配だよ」

「なんだお妹さんって。お芋さんの仲間か?」


 軽い冗談を言うと「アハっ」とかわいらしく笑われた。兄の目から見てもかわいく見えるのだから、この笑顔にやられる男子もそりゃいるだろうなと思った。


 そんな優姫と違って、俺は子供のころから友人と呼べる相手がいない人生を歩んできた。別に自分の主義でそうなっているわけではなく、無理にそんな人間関係を築かなくてもいいかと思って過ごしていたら自然とそんな感じになっていただけである。体育で二人組を作らされたり、修学旅行で班決めをしたりするときなどに気まずい思いをするのは困っているが、逆に言えばそれ以外の不都合はほとんどなかったので、特にこれからも変えるつもりはない。


「でも、おにぃがそう思ってないだけでハブられたりとかあるんじゃないの? クラスのFINE入ってる? 自分だけ知らされてない学校行事とかあったりしない?」

「クラスのFINEには入ってないけど、さっきも言ったように必要なことはちゃんと教えられてるし、声をかけられないほどじゃないから大丈夫だって。そもそもうちのクラスのFINE、一部の女子が自分の好き嫌いで入れるか決めてるっぽいから、俺以外にも入れてない人結構いるっぽいし」

「……おにぃは問題ないかもだけど、おにぃのクラスは結構問題っぽいね、それは」


 苦笑いを通り越して乾いた笑いを浮かべられる。なお、その一部の女子とは早川さんが属しているグループのことである。


「ハブられてる側もそんな人たちと仲良くしたくないかもしれないけどさぁ。そういうのは最低限声をかけたりくらいはするものじゃないの?」

「声かけられる方もどう返すのが正解か分からないから、俺としてはそれでも全然構わないんだけどな。でもまあ、優姫の言ってることのが正しいのはそうだな」


 積極的に参加しようとすると空気を読めと思われ、逆に断ろうとすると誘ったのに空気を読めと思われる。どうあがいても悪者にされるというのなら、最初から何も言われない方が気楽だろうとは思う。ただ同時に、対外的にそれをしてしまうのはよろしくないことを知っている程度には、人付き合いとは何かということを理解しているつもりではあった。


「なんにせよ、おにぃのクラスはあんまり仲がよくないみたいだね。修学旅行って2年の2学期だったよね? 最悪の空気で行くことにならない?」

「その頃にはどうにかなってるんじゃないか? どうせ俺にはあんまり関係ないことだし」

「うはー、おにぃじゃなきゃイタイ人扱いしてたよ、それ。みんなのイベントなのに『でも俺はどうでもいいし』みたいなさー。一人でいても平気な人もいるとは分かってても、口に出す必要なんてないでしょ?」

「大丈夫、優姫にしか言わないから。んで、俺のクラスをそう言うってことは優姫のクラスの雰囲気はいい方なのか?」

「じゃないかな? 今のとこ極端に仲が悪い人もいなさそうだし、クラスのFINEもスマホ持ってる人は全員入ってるし、明るく楽しいクラスだと私は思ってるよ」

「クラスの偉いやつが露骨にハブってくるのも珍しいけど、入れる人全員入ってるのも珍しいな。俺みたいなやつが1人か2人いそうなもんだけど」

「おにぃほどの筋金入りはそうそういないよ。誰だって仲良くなれるなら仲良くした方がいいって分かってるんだから」

「俺だってそう思ってるよ。誰かと仲良くなったのにわざわざ距離を取ろうとは思ってない。誰かと仲良くなる機会がないだけだ」

「その『別に誰とも仲良くしなくても大丈夫ですよ』オーラが出てるのが原因じゃないかなー?」


 言葉は不満そうだが、楽しそうな雰囲気で優姫は言う。

 今の俺のように露骨に雰囲気を悪くすることを言われても、それを上手い具合に和らげるような空気を作り出せる。優姫のクラス内での立場を詳しく知らないが、風の噂で評判が聞こえる程度には目立つ位置にはいるのだろう。クラスの雰囲気がいいと自ら言えるのは、きっと相応の努力をして作り出しているのだと思う。


 なんにせよ、妹が楽しく学生生活を送れているのは、兄としてとても喜ばしいことだ。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」


 そんな風にずっと会話をしながら夕食を摂っていたら、いつの間にかお互いの食器の中に何もなくなっていたので、二人揃って食後の挨拶をする。


「美味しかったよ。ありがとな」

「んふふー、そうでしょそうでしょ? 今日のハンバーグは自信作だったからね。焼き加減もソース作りも上手くいくなんて10年に一度の出来栄えだよ」


 料理を作り始めてから10年も経っていないのにそんなことを言う。しかし、今日のハンバーグはそう自慢されても許せるくらいには美味しかったので、無粋なツッコミは入れずにおいた。


「じゃ、いつも通り俺が洗っとくから」

「はーい。おにぃ、お風呂はどうする?」

「んー……急いで入りたい気分でもないかな。優姫のペースに合わせていいぞ」

「りょーかい。じゃ、テレビ見てからキリのいいところで入れるね」


 そんな日常のやり取りを交わし、テレビのあるリビングへと足を向けていた優姫は「あ、そだ」と不意にこちらを振り向いた。


「大丈夫そうに話してたから聞かなかったけど、やっぱり一応聞いておくね。なんともない?」


 一瞬なんのことを言っているのか分からずに固まる。もしかしてアレのことかと思い、返事を言う前に、


「女の子の裸を見ちゃったからさ。大丈夫かなって」


 俺の思っていたことを言い当てるようにそう言ってきた。


「ああ……まあ、大丈夫だな。なんだかんだ、驚きの方が強かったんだと思う」

「ふーん。実際にそんな状況になったら、案外そんなものだったりするのかな?」

「どうだろ。俺の場合、普通じゃない自覚もあるし……それと、悪いな」

「いえいえー。でも、無理するのはダメだからね?」

「……分かってるよ」


 優姫の優しさに複雑な気持ちを抱く。だが、それを言葉にすることはない。もうお互い分かっていることであり、口にするのも避けたいことだから。


「それじゃ、私はテレビ見てくるね~」


 そんな空気を感じさせない風に、優姫は改めてリビングへと向かう。俺もそれを見届けてから食後の片付けを始めた。別に美味しい夕食の礼というわけではないが、いつもより気合を入れて綺麗にしておこう。

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