第13話
ここで何も言わなければ、ふたりの関係が疑われてしまう。
「ぼくが彼女の保護者です」
必死に言い訳を探したが、見つからなくてたどたどしい受け答えしかできな
かった。
ぼくの後ろに隠れるように立って、華純は警察官たちを不思議そうに見つめていた。
警察官が眉をひそめた。
言い訳は通用しなかったようだ。
「あなたは学生ですよね? それに、あなたの親はどちらですか?」
動揺して言葉が出ない。焦った気持ちが、口の中で言葉を渇かせた。
――どうしよう。この場を乗り切らなければならない。
「いえ、ぼくは一人暮らしをしてまして、この子はちょっと」
ぼくは言葉を濁したが、うまい言い訳が思いつかずに言葉に詰まってしまった。
冷や汗が背中から流れ出している。
数秒間がとても長く感じられて、一刻も早く終わってほしいと心から願った。
ふと、華純は顔面蒼白になっていた。
目の前に立つ警察官に、自分の立場を隠そうと華純は必死に顔を背ける。
「彼女、ちょっと体調が悪くて、記憶を失っているんです。少しの間、ぼくが一
時的に面倒を見ているだけで……」
無理に説明を続けた。
警察官は、それでも疑いの目を向けてきた。
「記憶喪失、なるほど。それは本当ですか? 身元の確認は?」
その言葉に、華純は一瞬で凍りついたように動きを止めた。
彼女の瞳孔が左右に揺れ、そして彼女の手がわずかに震えた。
胸の奥がぎゅっと痛む。彼女が嘘をついていることを、警察が感じ取ってしまう前に、どうにかしなければならない。
「えっと、それは……」
華純が掠れた声で言葉を濁した。
ぼくは慌てて華純の手を取った。
「無理に話さなくていいんだ、華純。いまは大丈夫だから」
優しく声をかけたものの、心の中では動揺が広がっていた。何もかもがうまくいかないような気がしてならなかった。
警察官はしばらく黙ってふたりを見つめていた。そして、ついに口を開いた。
「彼女は一時的に保護が必要だと思います。今すぐ児童養護施設に連れて行く手続きを進めます」
ぼくの胸に冷たい水を浴びせたように感じた。華純を守るために必死に動いてきたが、いま、彼女が施設に収容されるのは避けられないのかもしれない。
華純は震える手を伸ばして、葵の腕を掴んだ。彼女の目には恐怖が浮かび、声にならない悲鳴がこだまする。ぼくは華純の目を見つめ、心の中で叫んだ。
――お願いだ、華純。君を守りたい
ぼくは心の中で何度も呟いたが、彼女はぼくの気持ちに気づいているのだろうか。
警察官が携帯を取り出して施設への連絡を始めた
その瞬間、ぼくは頭の中で真実を見つけた
ただの記憶喪失の少女ではない
彼女には、もっと深い理由があるはずだ
あの子が抱える秘密を解き明かさなければいけない
必死に守っても、いつか必ず離れ離れになってしまうだろう
華純が消えかけているとぼくは誰よりも痛感していた
5
華純のいない生活が続いていた。
「また会いに行くから」
彼女の言葉が脳裏に焼きつけいている。こっそり、連絡先をポケットに入れておいたけれど、気が付いてくれたのだろうか。いや、いつまで経っても連絡がこないから、ぼくを嫌いになったのだろう。
日常が戻った。あの温かさを知る前の、あたり前の世界に。何かが抜け落ちたような感覚が、ぽっかりと胸に広がっていた。誰も家にいない静けさは、想像以上に寂しかった。息が詰まりそうなくらいの静寂に包まれ、無理にでも大学に向かう自分を感じるたび、どうしてこんなにも心が重いのか、わからなくなっていた。
大学の景色は、いつもと変わらないはずなのに、色褪せて見えた。
青空も、学生たちの笑い声も、どこか遠くから聞こえてくるような気がしていた。自分がその中にいるのに、まるで浮いているような気分になる。
自分の部屋に戻ると、そこには散らかった部屋が広がっていた。
机の上には、無造作に放り出されたレポートの山。提出期限を過ぎたものがいくつもあったが、それらに目を通す気力は全く湧かなかった。
ペンを持っても、文字はなかなか進まない。結局は何も書けずに丸めて捨てたレポート用紙がいくつも転がっている。どうしても頭が回らず、何かに追われているような感覚に陥る。
何もかもが手に取るようにわかるのに、どうしてこうも進まないのか。
そのもどかしさに、ふと手を止めた。
スマホを手に取ってみる。
華純からの連絡は一向に届かなかった。
最初から、彼女と離れ離れになることはわかっていた。
しかし、どうしても心のどこかで連絡が来ることを期待していた。
あのときは、華純が記憶喪失なら連絡できないと自分に言い聞かせていた。実際に華純と暮らしていた記憶が消えてほしくなかった。
冬休みが終わり、外では気温が上がり始めた。凍てついていた空気が、日に日に緩んでいくのが感じられる。あんなに降り積もった雪が、嘘のようにすぐに消えてしまった。足元には、どこか寂しげに溶けた雪の痕跡が残るばかりで、街の景色もすっかり変わってしまっていた。道端の木々は、枝を一つ一つ揺らしている。桜の蕾が膨らみ、薄いピンク色をのぞかせる。
陽の光が窓を照らし、風が柔らかく肌を撫でる。そんな春の兆しが、華純がいなくなったことを知らないかのように、無情に感じられた。
華純と一緒にいた温かさが、まるで泡のように消えてしまった。雪が溶けて、彼女の存在も、いまはあたり前のように遠くなってしまったのだと、改めて実感させられる。
目に映るこの温もりが、どこか空虚に感じるのはなぜだろう。どんなに春が訪れても、華純がいなければ、何もかもが色褪せて見える。彼女の笑顔の温もりを思い出すことなく、ただ通り過ぎていくだけだ。心の中はどうしても満たされなかった。
元々、一時的に預かると決めていたのだから、華純がぼくのもとに帰ってこなくても気にしてはいけない。
それでも、もっと華純と一緒にいたかった。
あのとき、華純の大切さに気づくべきだった
好きだったんだ
守りたかったんだ
彼女が忘れたこと、そして何もかもを――
気づいたときには、もう手遅れだったのだろうか
言葉にならずに胸に押し寄せてくるが、今さらどうすることもできない
記憶が戻って家族のもとへ帰り、幸せに過ごしているのかもしれない
ぼくよりも、ずっと大切にしていた人たちと長い時間を共にしたのだから、華純は戻ってこないに決まっている
寂しかったけれど、華純が幸せになるならそれでいいと自分に言い聞かせて勉強に邁進するしかなかった。
それからも空虚な気持ちのまま大学に通う日々が続いていた。
華純がいなくなってから、ぼくの日常は次第に色を失う。最初は慣れないだけだと思っていた。
彼女の存在がぼくの生活にどう影響を与えていたのか、正直よくわかっていなかったから。しかし、時間が経つにつれ、ぽっかりと開いたその穴がどんどん大きく感じられるようになった。
春の気配が近づく中、雪が溶けて桜の蕾が膨らんでいくのを見て、ぼくは自分の気持ちを無理に押し込めていた。講義の合間に何度もスマホをチェックしたけれど、華純からの連絡はなかった。
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