6−5
「誰でもいい! その女の首を切り落とせ!」
煉弥様の怒号が上がる。いくつもの刀が私に向かってくる。それでも、私は動じることなく、一歩一歩、確実に煉弥様の元へと歩みを進める。
大丈夫。だって、きっと──「姫様!」──ほらね、私の三人の従者が命を顧みず私を守ってくれる。だから、私は、私の仕事を遂行しなければ。
「煉弥様。あなた様の悪行は全て調べさせてもらいました。不要に年貢を納めさせ、特定の領主との不法な取引、裏の社会を通じで違法な薬を調合させ幾人もの女性の意識を混濁させて蔑んで、挙げ句の果てに、あなた様はかの方、現将軍である、徳川瑳和希様を貶めようとした。これは、先代将軍といえど、許されることではございません!」
「だから、なんだ! 小娘風情に何が出来る!」
「えぇ。私一人では、何もできません。年貢を納めるために働くのは民です──、領主はそれを導くことしかできない。薬を調合するのは薬師──私はそれを正しい道へと示すことしかできません。私は確かにただの小娘です──ですから、あなたが貶めてきた娘たちの気持ち、少しだけならわかるはず。あなた様は、幾人もの民の血税を不用意に応酬し、人々の心を傷つけた。それを、ただの小娘一人が知っているところで、何もできません!」
「は! わかっているではないか! お前は無力だ!」
「そうです。ですから、私は、一歩先へ」
私は一枚の紙を煉弥様へ差し出した。
「あなたの悪行の数々を、新聞社へ情報提供させていただきました」
「しんぶんしゃ……?」
「あら、あなた様はご存知でないですか? そうですよね、ご自身の快楽の中に溺れていらっしゃれば、移り変わる民の生活を知る良しもないでしょう?」
新聞社、それはこの世界のデンショバトの技術を使い、私の領地で始めた情報を発信するための書面のこと。はじめは、民への感謝を伝えるために私が始めた公開文のようなものだった。しかしその便利さから、私の領地ではさまざまの情報を発信するための技術へと発展していったのだ。
それが今、このニホンノクニ全土にじわじわと広がりを見せている。
今や、新聞社の情報を見聞きしない民はいない。
それは、私、皇凛という枠を超えて、ニホンノクニの民へと事柄を知らせることができるだろう。
明日の朝、一番に配られる新聞の見出しはこうだった。
『先代将軍、徳川煉弥。現将軍に叛逆の狼煙をあげるのか!?』
そして、そこに書かれているのは煉弥様が秘密裏に仕立て上げた祝言。それに使われた裏金話の数々。もちろん、ここに書かれているのは嘘偽りのない話。民の中でも今まで密やかに囁かれていた噂話が、ついに表に炙り出される内容だ。
「こ! こんなものは出鱈目だぁぁぁぁぁ!」
「それを決めるのは、我らが民です!」
その時だった。煉弥様は懐から刀を手にして、私に振りかぶった。意表をつかれた私の目の前に銀色の剣先が降りてくる。
ダメだ──と、私は瞳を瞑る。
「凛──!」
誰かが私の着物の袖を引いた。瞬時、一人の男の人が私を庇うために目の前に現れた。
「親父──、そこまでだ! オレにだけ及ぶ被害であれば、黙っていようと思って生きてきた。だけど、こいつにだけは指一本触れさせない──!」
威厳ある瑳希の声が、私と煉弥様の間に割って入る。
「親父、いや、徳川煉弥。七姫の一人に手を挙げたその暴行、今までの悪行とともに世界に知らせましょう。今、この場で言い渡す。あなたから、徳川の名を取り上げる! おい! この男を牢獄へ連れて行け!」
煉弥様は拘束され、そして、駿河の一行とともに牢獄へと連れて行かれた。
そして、城の広間に静寂が取り戻された。
目の前に、瑳希がいた。私を庇うように彼の大きな背中が私を守ってくれる。
だけど、瑳希の左腕の真っ白な祝言着が赤く染まっているのは、なんで?
ドクンと嫌な予感がして、私は急いで瑳希の目の前へと回り込む。
すると、瑳希の左腕には煉弥様が振りかぶった刀が刺さっていた。
「さ! 瑳希──! その怪我! 私を庇ったから──!」
「こんなの舐めときゃ治る……」
純白の着物が瑳希の血の色で赤く染まる。スーさんとカカさんが急いで瑳希のものへと駆け寄ると、手早く彼の左腕に止血の治療を行っていく。
私はそれを見守るしかできなくて、力が抜けてしまって、私はその場に座り込んだ。
「姫様、大丈夫です。出血の見た目ほど、傷は深くありませんよ」と、スーさんとカカさんが優しく声をかけてくれるけれど、それでも私の涙が止まらない。
「だってよ。だから、泣くなよ、凛」
瑳希が私の頭をポンと撫でている。
「ごめんなさい。私のせいで瑳希に怪我をさせちゃった!」
「何言っての? お前がオレを助けにきてくれたんだろ?」
涙が喉を塞ぐせいで、私がなかなか返事をできないでいると「それはそう」と私の従者の三人が先へと返事を返している。
「ったく、お前らは、オレが将軍だってわかっても、頭を下げねぇのな」
「ぼくたちがお仕えするのは、姫様であり」
「姫様を泣かせるような方を主人だと認識しておりませんので」
「だってよ。将軍殿、俺達は姫さんのお付きなんでさぁ」
「へいへい」
先が三人の言葉をあしらってから、私の顎に手をかけた。
「なぁ、顔、あげろよ?」
瑳希に顔を持ち上げられる。視界が溺れてしまう。それでも、私の涙をかき分けるように瑳希が私の目元を拭ってくれる。
「ひでぇ〜顔」
くしゃっとした顔で瑳希が笑っている。私を揶揄うときの彼の顔。
先ほど煉弥様に立ち向かっていった時の将軍としての瑳希の横顔も素敵だったけれど、やっぱり彼はこうやって強引でオレ様で、だけど、少年みたいに笑うのが一番素敵。
瑳希の瞳の焦点が先ほどよりも定まっている。私が持ってきた薬が効いたんだ。
よかった、薬が効いて。
よかった、瑳希の左腕の怪我が大怪我じゃなくて。
よかった、瑳希の祝言を止められて。
よかった、瑳希が無事で。本当によかった。
瑳希が私の瞳をこする。そんな風に、優しく瞳を細めないで。
「だめ……見ないで。泣いているところなんて……」
「なんで? いいじゃん」
「私……こんな風に優しくされたら、弱くなっちゃうから……!」
「オレの前でくらい、いいだろ?」
そんなこと言わないで。勘違いしちゃうから。
私があなたの特別だって。
「よくない! 私、一回弱くなっちゃったら……もう元に戻れなくなっちゃうもん」
「じゃ〜さ。ずっと、オレに守られればいいじゃん」
落ちそうになる視線は、瑳希が許してくれない。瑳希は私が俯こうとする度に、私の顎に手を当てて、無理矢理にでも私の瞳に彼を捉えさせる。
まっすぐな瑳希の海色の瞳が、私の涙のせいで、本当に水の中にいるみたいで。溺れてしまいそうなのは、視覚のせいかな? それとも、あなたへの気持ちが胸から込み上げて止まらないから?
「なぁ? そんなに強くなろうとするなよ。オレ、ずっと守られてばっかりだから、少しはお前のこと守りたいんだけど?」
瑳希は少しバツが悪そうに声にする。甘えるように低く耳元で囁かれて、私の恋はなし崩しになってしまった。
ダメ、だ。
もう、私、瑳希の前ではただの女の子になっちゃうもん。
「本当はずっとずっと怖かったの。だって、私は七姫よ! 清く、強く、賢く、いなければいけないの! だから、私に優しくしないで! だって、あなたのことを知るほどに、私は弱くなっちゃうの。胸がドキドキするほどに、あなたに頼ってしまうんだもん! こんな感情知ったら、私、もう、元に戻れないよ……!」
「スッゲー殺し文句。いいよ。オレに溺れちゃえよ。溺れるほどに愛してやるから」
そして、瑳希は私の腰に片手を腕を回して、私を引き寄せる。顎に添えられていた手は、今は、ゆったりとした手つきで私の頬を撫でていた。
「凛、オレのものになれ」
瑳希の瞳が私を捉える。
そうだった。この人は最初っからずっとこう。私の心をかき乱しては、蕩けさせる。深く青い瞳と強い眼差し。強引なのに、拒めないカリスマ性と、たまに見せる子供みたいな笑顔。
俺様なのに、優しくて。
私はすぐに絆されてしまう。
「──はい」
私が瞳を閉じると間もなく、彼の唇が押しつけられた。
唇から注がれる愛のせいで、体の支配権すら握られてしまいそうで。胸が壊れちゃいそうになったから、私はもたれかかるように彼の胸板に手を添えた。
すると、張り切れそうに鼓動を高めているのは、私だけではなかったようで。
口づけの息継ぎの合間に、「瑳希も、ドキドキしてる」と言うと、
「うるせぇ〜な。当たり前だろ。好きな女を触って死にそうにならない男なんていねぇよ」と、彼はぶっきらぼうに答えた。
何か言い返そうと思っていたのに、私の唇は再び彼の支配下に置かれてるのだった。
私は、皇凛。恋なんていらないって思いながら、必死に大奥姫として生きてきた。
だけど、今は、少しだけ恋が楽しみになっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます