第六章 大奥姫の世直し旅

6−1



 今朝方盗み聞きしてしまった瑳希の話が信じられなくて、私は朝餉も食べずに床に伏せっていた。

「姫様……いったい何があったっていうんですか?」

「ほら、姫様? 少しだけでもいいですから、何か口にしましょ?」

 と、スーさんとカカさんが私の隣で心配そうに話しかける。


 平民だと思っていた瑳希に恋心を抱いてしまったなんて、私史上最大の重罪。その恋心を隠していただけでも、二人への後ろめたさが半端ないというのに、まさかその瑳希が将軍だったなんて事実をいったいどうやって説明したらいいか分からなくて、私は何も伝えることができなかった。


 ううん、違うよね。この後に及んで言い訳なんて、見苦しいだけ。

 何も言えないのは、私の心が砕け散ってしまったから。

 私が、私の気持ちにわからなくなってしまったから。

 好きな彼が平民じゃなくて、将軍だったのだとしたら、私には都合が良い。だってそうでしょ? 七姫として、彼に召し上げてもらえるかもしれないんだもの。

 だけど──私はそれじゃ嫌だった。

 だって、瑳希と触れ合ってきた私は七姫、慧花の姫と謳われる皇凛としてじゃないもの。彼は私を求めていない──それがわかってしまった瞬間の喪失は、言葉にできないもので。

 瑳希の名前を考えるだけで、彼の笑顔を思い出すだけで、心臓がはち切れそうだった。

 出会わなければよかったなんて……思いたくないのに。


 ふと、天井板が外されて、銀之助がクルクルと回転しながら降りてきた。

 彼の忍術着は珍しく乱れていて、肩で息をしている。こんなに焦った銀之助を見たことが、私はなかった。


「──っ! 姫さん──! 泣いてる場合じゃありやせん!」


 言葉を吐き出すのもままならない様子で、銀之助はそれだけを言い切ると、一度、深呼吸で息を整えた。朝餉が置かれたままの机からお茶を見つけると、ゴクゴクとそれを飲み干していく。


「ちょっと、銀狼! それは、姫様の──!」と、スーさんの言葉を遮って、銀之助は一呼吸、息を吐き出すと、私に向かって頭を下げた。


「恐れ多くも、慧花の姫!」と、銀之助が珍しく私をその名で呼ぶ。私はことの重大さを察して、床から上半身を起こした。


「良き。言いなさい」と、私の言葉を待ってのち銀之助が再び視線を上げる。


「ここからの発言、しのびの者としてのあるまじき行為と理解しております。いかなることがあろうとも、私が姫様の生活を口外するなど、言語道断。それはここにいる、鈴華、花梨華へ対しても同じく、口外することは私の命を断つ覚悟を持ってして。姫様のお心は、私の胸のうちでのみ秘めるべきこと──しかしながら……」


 忍者の銀之助は私の全ての生活を陰ながら見守る者だ。スーさんやカカさんではついてくることのできない場所であっても、銀之助は着いてくる。つまり、彼は私の全てを知ることになるということで、それは、私が銀之助に命を預けるということだ。

 そして、銀之助が私たちの主従関係の誓いを破るとき、それは、私が彼の首を打つときだ。

 そう、銀之助は……私が瑳希へ抱いてしまった感情に、とっくに気がついている。


「いいわ。言いなさい」


「恐れながら、こちらで涙を流す時間はないかと! かの方は、今宵、祝言を挙げさせられる──!」


「ッ!」


 私の心臓が一度、大きく胸を打って、そして思考がピタリ止まる。世界が崩落してしまったような絶望が、押し寄せた。

 瑳希が……、他の女の子と結婚……しちゃう。

 それは、彼が私以外の他の七姫を選んだということだ。

 やっぱり、私、弄ばれちゃったんだ……。


 つう──と、頬を一筋の涙が溢れていった。

 

 それでも私は、七姫の一人だ。姫としての責務を全うしなければ。

 将軍様が祝言を挙げるというのであれば、祝いの文を贈らねばならない。


「そ……それでは、ふ、ふふふ、文を……贈らねば……」


 私はよろめきながら硯と筆を取るために、立ち上がる。すると、視界が暗転して足元がふらついた。


「姫さん! しっかりしてくだせぇ!」


 銀之助に支えられて、私は彼を見上げる。だけど、彼の顔が分からなくなるほどに、視界は水分で覆われてしまった。まばたきをするほどに、涙が溢れて止まらない。


「姫さん! まだ、間に合います! かの方は、徳川瑳和希様は……いや、瑳希は己の意思で七姫を選んだんじゃねぇ! 瑳希は、ネオ大江戸城の最上部で幽閉されてるんでさぁ!」


「ど……どういうことなの!?」


「ネオ大江戸がきな臭いんで調べてきた。どうやら、先代が裏で何か良からぬことを企んでいる……。瑳希は、それに嵌められたんでさぁ!」


「だ、だけど……私なんかが……」


 七姫として私が出しゃばれば、先代の不興を買うだろう。そんなことになれば、私が領主を務める東の領土は、私がお手伝いを任されている花京町の民は、どうなってしまうだろうか。

 私の一存で、私のわがままで、私が彼を好きだからってだけの理由で、姫としての私は動くことはできない。


 すると、銀之助がぎゅっと私の両肩に手を乗せた。


「しっかりしろ──凛! お前、あの男が、好きなんだろ!!!!」


 それは、まるで銀之助が野良忍者だった時のような口調で、彼はしっかりと私に言った。


「俺は見ていた。お前が姫としての自分ではなくて、やっと心から笑うことができただって! それは、俺たちではできなかったことだ。瑳希だから、お前は自分らしくなれたんだろ! 自分を信じろ、凛! お前は、お前の道を生きていいんだ! 俺たちだって、民だって、お前にそれを願っている!」


 みっともなく膝から崩れていった。嗚咽は止まらずに、情けない声が上がってしまう。


「いいの? 私……瑳希を好きなままで……本当に、いいの!?」


 すると、スーさんとカカさんが私をふんわりを抱き包んだ。


「姫様は、嘘が下手ですよね?」と、スーさんが言葉を紡ぎ、

「わたくしたち、とっくに気がついておりましたわ。姫様の恋心」と、カカさんが言葉を繋げていく。


「ぼくらは、何があろうとも姫様のお付きです」

「そして、わたくしたちは姫様の幸せを願っております」

「それによう、姫さん! 今、カッコつけねぇで──どうすんだよ? こんなにでっけぇ悪代官成敗は、二度とねぇかもしれないぜ!?」


 私は涙を拭いて、三人に視線を送る。


「私は幸せ者ね。こんなにみんなに愛されているんだもの……!」


 そして、私は立ち上がる。


「スーさん、馬を用意して! とびきり早いものを!

 カカさん、私に衣の準備を! 七姫として最も美しく、そして、動きやすいものをお願いね!

 銀之助、あなたは先に向かってちょうだい! 道を切り開くのよ!」


「「「御意──!」」」


 「みんな! ついていらっしゃい! 瑳希を──、いいえ、囚われの将軍様を、私たちで救い出すわよ──!」



 こうして、私たちはネオ大江戸へと踵を返す。



 立ち向かう相手は、先代、徳川煉弥様。

 徳川家の歴史で、最も冷徹な策士だと言われた悪代官だ──!!






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