4−3




 なんとか仕事を片付けた私は、ようやく、高山の街へと繰り出した。やる気に満ち満ちていた仕事の後は、その反動のせいか疲労度が高く、いつもよりも気が抜けてしまう。

 スーさん、カカさん、銀之助を連れて、高山の街の中をヘロヘロと力なく街を歩いていると、聞き覚えのある声が私を呼んだ。


「よっ! また会ったな!」


 私の目の前に現れたのは、瑳希だった。ドクンッと、心臓が跳ねている。それまでの疲労が一気に吹き飛んでしまったのは、記憶の一ページが脳裏を駆け巡ったから。

 思い出した彼の唇の温度と舌先の感触が、秒速で私の体を火照らせた。

 咄嗟に、唇を隠したのはほとんど反射的だ。


「──瑳希ッ!?」


 驚く私の顔を見て、瑳希は楽しそうに口角を持ち上げた。足取り軽く私の元まで駆け寄ってくる。その顔は、それはもう心底私を見て面白がっているような勝ち気の顔で。

 ほんと、なんで瑳希っていっつもこんなに偉そうなのよ!


「なぁーに、意識しちゃってんの?」


 瑳希が私の耳元に小さく呟いた。その声が思っているよりも低かったから私の背中が「ぴやっ」と跳ねる。


「い! 意識なんてしてないわ! ただの自己防衛よ!」


「ふーん。オレはてっきり、期待しちゃってるのかと思ったけど?」


 そう言いつつ、瑳希は唇をトントンと指差した。

 もうその頃には私の羞恥は限界で、「ぷしゅう」と頭から湯気が出てしまいそう。


「そんなに意識されると、全部掻っ攫いたくなるんだけど?」


「っ──! さ、瑳希ってば!」


 と、私が瑳希に言い返す間もなく、私の両肩はスーさんとカカさんに捕また。瑳希との距離が一歩分ほど後退させられる。


「凛様をあまり揶揄わないでもらおうか?」

「さ、凛様。わたくしの腕の中にお隠れください?」


「おぉ、怖い怖い! お前の付き人は、相変わらず過保護だなぁ〜」



 瑳希はスーさんとカカさんの牽制を気にするでもなく、私たちと一緒に歩き出した。

 そういえば、銀之助の性格を考えたら、瑳希みたいに強気な男の人とは相性が悪そうなのに、先ほどから銀之助は静かに私たちを眺めるだけだ。

 そのことに、違和感を覚えないこともないけれど。銀之助は飄々としているところがあるから、瑳希の言動をしていていないだけかもしれない──と、私はあまり気にすることなく、高山の街を進んでいった。



***



 数ある宝石商の中でも老舗なかの老舗、宝石屋『緑青宮ろくしょうきゅう』へとやってきた。

 一般の民では到底手に入ることのできない宝石たちが、惜しげもなくずらりと並ぶ。


 生まれや育ちの関係もあり、貴金属や宝石は見慣れている方だと思ったけれど。


「こ──、これは圧巻ね!」


 思わず私の声も漏れ出してしまう。


 硝子で作られた飾り棚の中は無数に並ぶ。こちらには水晶の飾りが、あちらには真紅の深い色が趣深い柘榴石ガーネット。目を見張るほどの大きさの紫水晶アメジストも、こんなに大きな石が簪に使われているのを、私でも見たことがない。他にも、翠玉エメラルド金剛石ダイアモンドと、飾り棚ごとに品分された色とりどりの宝石たちが並ぶここは、まるで博物館のようだ。


 宝石へと執着というのはあまりないけれど、それでも、この一つ一つの美しい飾りに込められた想いを感じると、見惚れることは止められない。採掘は危険な作業だと聞いたことがある。山を切り開く行為は、命を落とすこともあるのだとか。そこまでして掘られた宝石たちを、ここまで煌びやかなものに仕立てる職人たちの粋な仕事。


「値が張るのも、頷けるわね……」と、私がひとりごちっていると、飾り棚を眺めていた私の隣で瑳希が、にゅっと顔を覗かせてきた。


「ふーん。お前も、こういう宝石とかって興味あるのか? やっぱり、女だな」


 瑳希の口調は少しつまらなそうだ。やはり、男の人は宝石には興味がないものなのだろうか。


「興味というか……着飾りたいなとは思わないわ。でも、この一つ一つを作り上げるために、たくさんの人の血と努力が注がれているのね……と思うと、込み上げてくるものはあるわ。そうは、思わない?」


 私は飾り棚から視線を離して、瑳希の瞳を見つめた。すると、「ふーん」と瑳希は鼻を鳴らして、


「やっぱり、お前のそういうところ、おもしれぇーわ。普通、女は男を宝石商に連れてきたら、『買ってぇ〜』って、ねだるもんだろ?」


「あら、失礼ね。私はそんなことは言わないわよ。欲しいものは自分で買うもの。それに、宝石をつけて着飾ったところで見せたい相手もいないし」


 そんなことを呟いた時の声が、思っていたよりも切なくなってしまって、私は少しだけ居心地が悪くなった。だって、これでは、私が着飾っているところを誰かに見てほしいみたいになってしまうじゃない。

 

 恋愛は、私の人生からは排除されたものだ。

 そのことを納得していたと思っていたし、『恋した誰かと添い遂げることの喜び』を知ることすら許されない立場にいると、理解しているつもりだった。

 そう……思っていたはずなのに。


 瑳希と話していると七姫としての私ではない、本当の私が曝け出されてしまうみたいで、私は少しだけ恥ずかしくなった。


「……いらねぇって言われるとさ、買ってやりたくなるんだけど?」


「え!? え、い! いい! いらない!」


「いらないって、お前なぁ……」


「だ──だって! 『情報料』の時みたいに、お返しだからって、唇を奪われたらたまらないもの! だから、いらない!」


 私は再び唇を隠して、恥ずかしさから眉根を潜めた。耳まで熱くなるのを感じながら、瑳希へ視線を向ける。すると、瑳希は私からふと視線を泳がせた。


「ほんと……そんなことオレに言うのは、凛くらいだよ……」


 小さな声で言った彼の声は、私の元までは届かなくて、

「え? いま、何か言った?」


「べーつに。なんでもねぇ……」


 瑳希は頬を綻ばせて、ほろっと笑みを浮かべた。

 口調と似合わないその微笑みは、どことなく嬉しそうで、そんな彼の笑顔に私の胸がトクンと温かくなる。


 その時、一つの石が視界の真ん中に留まった。

 深い海のような青は、見る角度を変える度に蒼の種類をコロコロと変える。その色は、どこか既視感のある青だった。


「ん? なに? 好きなのあった?」


 釘付けになったその視線の先を探すように、瑳希が私の顔を覗き込んだ。

 そこに飾られているのは、蒼玉サファイアの簪だ。


「欲しいとかじゃなくてね、素敵な色だなって思っただけ」


 私の視線の先に捉えられた簪を視界にとらえると、瑳希が「ふーん」といろんな意味深なため息を吐き出した。

 すると、瑳希がおもむろに緑青宮の主人を呼んだ。

 ……なんだろう? と思って瑳希の隣に立ったまま彼に視線を向けていると、

「これ、貰ってく。すぐにつけるから、箱はいい」

 そう、主人に手短に伝えた。


「え? 瑳希、これを買うの? 多分、これ女の人向けだと思うけど?」


 お土産にでもするのだろうか、と思っていると。

 ふと。

 瑳希がおもむろに私に手を伸ばした。

 そして、飾り棚から取り出されたばかりの簪を、私の髪へとさした。


「へ? え? な、なんで?」


 突然のことに私が驚いていると、瑳希は「ふっ」と笑みを浮かべて、私の頭をぽんっと撫でた。


「オレが、凛に、贈りたかっただけ。だから、もらっとけ!」


「あ──ありがとう! 瑳希!」


 鏡の中を覗くと、私の桃色の髪の中に夏の青空のような蒼玉の簪がキラリと輝いている。

 すると、「それ、外すなよ?」と瑳希が私の耳元で囁いた。


「外さないよ! せっかく瑳希が贈ってくれたんだもの!」


 瑳希は「そ?」とだけ、言葉を残して、

「じゃ、オレは用事があるからもう帰るわ!」と、店を後にしてしまった。




***




 少し離れた場所で私の買い物を見守っていた、スーさんとカカさんが戻ってくる。


「あら! 凛様ったら!」


 私の簪を見つけると、カカさんがニマニマと瞳を細めた。


「これ? いいでしょ? 瑳希がね、なんか……買ってくれて。えへへ」


 男性から贈り物をもらってしまったのを、七姫として罪悪感を感じつつ。それでも、この高山の地の特産である宝石の簪は、素直に嬉しくて。ハニカミ笑顔は、勝手に浮かんでしまった。


 すると、カカさんが小さく笑いながら口を開いた。


「あの方も、随分と嫉妬深いみたいね?」


「え? どういうこと、カカさん?」


 私は小首をかしげて、彼女に尋ねる。すると、カカさんの隣にいたスーさんが私に応えた。


「だって、凛様? その簪の宝石、瑳希って男の瞳の色ですよ」


 それを聞いて、私の体が一気に熱くなった。

 この宝石を見つけた時に感じた既視感は、それが瑳希の瞳の色だったからだ。深い青はどこまでも潜り込んでしまいそうになる色で、見るたびにコロコロと表情を変える彼にそっくりで……。私の髪の色の中に埋もれるのは、瑳希の瞳の色で。


 そして、自分の瞳の色の宝石を女性に贈ることの意味も、もちろん私は知っているから。


 胸の鼓動が早くなるせいで、喉の奥が焼けつくほどのトキメキの意味を意識させられそうになってしまう。



***



 宝石商から足早に去ろうとした時のことだった。

 瑳希の行手を阻む男が、目の前に立ちはだかった。


「オレの行く道を、憚るか? 忍者の付き人よ」


 そういう瑳希の口調と気配は、いつものオレ様の態度とは一変し、息を呑むほどの迫力があった。しかし、銀之助は怯むことはない。


「あなた様の行く道を? お戯れを……。俺はただの付き人の忍者です……姫さんの、ね」


 二人の間に、一秒の沈黙が流れる。

 一歩も引く気のない銀之助のまっすぐな眼に、瑳希は「はぁ」と面倒くさそうに息を漏らした。


「なんだ? 話があるなら、聞いてやる。手短に済ませろ」


「姫さんに簪なんて送って。あなた様は一体何を考えているんでさぁ! 姫さんは頭は切れるがな、には疎いんでさぁ。あまり、彼女をかき乱さないでくだせぇ!」


「オレが誰かを口説くのに、お前の許可がいるのか?」


「あなた様が正体を隠している間は、見極めさせてもらいやす──!」


「そうか……」と、瑳希が呟きながら視線を流す。


 と、見せかけて、瑳希はゆらりと体勢を崩す。意表をついたついた瞬間、目にも止まらぬ速さで瑳希は着物の袂から隠し持っていた小刀を取り出した。瞬きも許さぬ速さと正確さで、それは銀之助の顔面目掛けて投げられる。


 瞬時。銀之助は二本の指を使い、それを白刃取りで受け止めた。


「なぁんだ。これくらいじゃ、やはり、ヤられないか。まぁいい。オレはこれからも正体を隠し続ける。しかし、邪魔立てはするな」


 銀之助は小刀を投げ捨てながら返事を返す。


「あなた様が相手だとしても──、姫さんを傷つける輩は俺が許しはしないので」


「それで、オレに牽制かけてるつもりか?」


「あなた様が……いや、あんたがただの平民『瑳希』でいる以上は俺はあんたを認めない! 俺は、姫さんに命をかける恩がある! 彼女を守るためならば、国を敵にするのも厭わない覚悟でさぁ!」


「それは……。あいつは良い付き人を持ったようだな……」



 瑳希はふっと笑顔を残すと、何も言わずに去っていった。




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