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おはんほおだんご、おいひぃ〜!!!!」


 落ちそうな頬を押さえながら、私は幸せに流されるままにふにゃりと瞳を蕩けさせた。


「凛様、団子をお口に含みすぎでは?」


 ほどよい運動の後に外の空気に触れながら食事をするって、なんて開放的なのかしら。心配、かつ、作法指導の声を挟むスーさんの声は、もはや私には届かない。だってこんなに美味しいお団子を食べるのは初めてなのよ。物理的にほっぺが落ちそうになってしまっているのだから、作法の話どころではないのだ。


 やはり、旅の疲れは茶店に限る。


 水戸黄門のオジ様が茶店にばっかり立ち寄っていた理由も納得ね。これはハマってしまうのも頷けるわ──と、私は見たこともない水戸黄門という活劇の記憶を思い返していた。

 これは私の中にある、いわゆる『前世の記憶』というものだろう。

 私の中には、輻輳ふくそうする二人の女性の記憶が残っている。その中の一つが、この活劇『水戸黄門』の記憶だ。前世の記憶として私の中に残っているものは沢山あるけれど、この記憶はお気に入りの一つだ。


「凛様? お茶はいかがですか?」


 カカさんが緑茶を差し出した。私は「ふうふう」と湯気を吹きながら一口啜る。

 甘いお団子のねっとりとしたお味を、温かくほろ苦く溶かしていく緑茶。一言で例えると、ここって天国?


「ふぁぁぁぁぁぁん。胃が温まる……心が絆されちゃうぅぅぅぅん♡ はぁぁん♡」


 幸せな芳醇なため息が止まらない。


 目の前に広がるのは、無限を思わせるほどに広がる菜の花畑だ。ひとつひとつは小さく可憐な花だけれど、集まることでここまで見事になるなんて。金色の敷物によって、世界が春色に染め上げられる。瞳を閉じれば、小鳥たちが花の詩を囀っている。


 これが旅の醍醐味。

 自らの足で歩き着実に目的地へと歩みを進め、道中の疲れを癒す旅先の美味しい食べ物と素敵な景色。

 なんと五臓六腑ごぞうろっぷに染みることか。


 再びお茶を含む。「はふぅん」と、吐息が漏れだせば、幸せの重みのせいで瞳が勝手に閉じてしまいます。あぁ、旅って素敵なものなのね。


「凛様? お幸せそうなところ恐縮なのですが……。大奥の領地より、報告が届いております」


 スーさんが申し訳なさうな顔をしながら、私に一枚の折り紙を渡す。


 鶴の形に折られた、この折り紙は高速簡易音声伝書鳩デンショバトだ。

 ここ、ニホンノクニには便利なカラクリが沢山ある。前世の記憶がある私でも感心してしまうほどだ。

 この折り紙には音声を記録させることができるのだ。そして鶴に折られたその鳥は、受取人の元へと飛んでいく。こうして、私の元に届いたように。



『姫様。本日の年貢進行状況と、領民からの声をご報告します──』


 

 私、皇凛すめらぎりんは大奥制度の七姫の一人。つまり、このニホンノクニの選ばれしお姫様なのだ。だけど、この国のお姫様はおとぎ話に出てくるような、可愛いだけの存在ではない。

 大奥制度、それはこのニホンノクニ全土から選ばれた七人の姫を

 容姿端麗。

 頭脳明晰。

 名家の娘の中でも、随一とされる娘だけが選抜されて、七姫ななきの称号を与えられる。

 七姫には領地が分け与えられ、姫は各領地の主となり、領地経営をさせられる。

 より土地を豊かに、より民に幸せを。

 私たち七姫はその采配を競わされる──いわゆるこれは、国の民すべてが私たちの才術を見極めるための公開嫁候補試験。それが、この国の大奥制度だ。


『子を産む女は偉い──そして賢い女の遺伝子こそ国を肥えさせるだろう』──これは先先代の将軍様のお言葉とお考えだ。

 より美しく、より賢く、より堅実な女こそ、将軍の嫁に相応しい。

 それが、この国の理念であり、将軍が求める理想の女像。つまり、大奥制度とは、この国の頂点に君臨する将軍の嫁候補を決めるための、国をかけての嫁候補戦争なのだ。


 私は、その嫁候補の七姫のうちの一人、ということになる。


 のだけど……。

 全然、嬉しくない。

 だから、私はこうしてをしているのだから。



 私は新しいデンショバトをカカさんから受け取ると、領地のみんなへ向けた本日の指示を音声で吹き込んでいく。


「────という方向で進めてちょうだい。私の留守の間、お願いね? ありがとう」


 デンショバトを鶴の形に折り上げ、空へと放つ。鳥になった折り紙はズビュンと飛び去り、あっという間に菜の花畑の先へと消えていった。


「さすがは、慧花けいかの姫、凛様。本日も素晴らしい采配で」


 スーさんの言葉に続くように、


「あら? 采配ではなくってよ、鈴華? 指示の内容もさながら。下の者へ頭を下げ、感謝の言葉までかける心優しき姫が……、凛様以外にいらっしゃって?」


 カカさんが、自慢げに私を褒め称えている。


「二人とも、褒めすぎよ。人として当たり前のことをしているだけだわ」


 私は謙遜まじりに言葉を返す。そんな言葉を呟きながらも、私の脳裏を掠めていくのは、悪役令嬢であった頃の前世の私の記憶だ。人を人とも思わず、やりたい放題。結果、私は断罪された。

 思い返すだけでも、身の毛がよだつ──死する瞬間の恐怖と孤独。

 私は、ブルっと身震いをしながらお茶をぐいっと飲み干した。



「ほら、みんな! あと少し、歩きましょう! ネオ大江戸まではもうすぐよ!」



 気を取り直していこう。せっかく、ずっと憧れていた旅生活がはじまったんだもの。幸運にも、私には前世の記憶がある。だからもう、私は同じ過ちは繰り返さないわ!

 私は私であるために。自分らしく生きるために。

 そして、私のスローライフを楽しむために。


 いざ、行かん!

 旅の一番目の目的地、ネオ大江戸へ!



***



 だけど、私はまだ知らない。

 私が私であるがために、私は、あの人と出会ってしまう。


 まさか、そのせいで、俺様将軍から溺愛されてしまうことになるなんて──!




  








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