果てしなきレビュー道

淀サンハロン

第1回 『文学部唯野教授』 筒井康隆

幼い頃より、アニメ、漫画、小説、邦画、洋画、あらゆるジャンルをほどほどに楽しみながら22歳になってしまった。それなのに、私の作品の感想ときたら小学校のクソガキ時代から何ら変わっていない!


やれ、面白かっただの、つまらなかっただの、グロかっただの。感情も大切だろうがそこでずっと立ち止まっていると恥ずかしさを感じてくる。

様々な事柄において、その恥ずかしさは成長期とともに来てまた解決するものだろうが、何故か!これもヲタクの悪い特性かもしれないが、ことレビュー力に関しては今の今まで置き去りにされてきた。さらにはブクブクと無駄につけた知識から来るクソガキをも超越する面倒臭さを兼ね備え、手のつけようがなくなってしまった。これ、恥ずかしながら自分の話。


そのような自分の醜態にハッと気付かされ、矯正しようと思い立つきっかけとなった作品が、『文学部唯野教授』である。


【作品情報】

筒井康隆『文学部唯野教授』

      岩波現代文庫(2000)¥1,300+税


【あらすじ】

大学に内緒で小説を発表していた早治大学文学部の唯野教授は、大学と文学の2つの権力に揉まれながら日々を熟していた。そのグロテスクな日常の一方で、唯野は文芸批評論の講義として印象批評からポスト構造主義に至る壮観な文学理論を展開していくのだった―


【レビュー】

面白かった!なんて安易に発そうものなら、瞬間でこの本をマトモに読んでいないことがバレてしまう。


この本は2パートに分かれており、1つは唯野教授の日常、もう1つは唯野教授の文芸批評論の講義である。特に後者は圧巻で下手な大学の講義を受けるより有意義なものとなっている。


文芸理論はなぜ必要か、あらゆる作家を根拠のない曖昧な批評から守り文芸理論にたつ批評によって新しい作家の芽を育成する。


自分のやってきたことが、例え雑談であってもどれほどデタラメで傲慢なものかを知る良い機会になった。評価されるべき作品が正しく評価されるようになることは、巡り巡って自分のヲタク生活を豊かにするのではないだろうか。       

この本で取り上げられている理論は長い歴史の一部、だからこそ入り口としては丁度よいと思う。


唯野教授の日常は、まぁ、はい...不謹慎オブザ不謹慎、紛うことなき有害図書の類いです。

特にエイズのくだりはマズい。どの時代でも許されないし、あれをブラックジョークとして捉えるためには相応の教養の高さとモラルが必要になる。まぁ、ブラックジョークは大抵そうだけど。しかし、これがあるからこそ大学のグロテスクな学内政治を表現できている。そう考えると康隆先生にピッタリの題材なんやろうね。


私は最近、この本をずっとカバンに入れて持ち歩いている。いつでも読めるように、そしてふとした時に自制できるように。いつかは文芸理論を自在に操れるようにならねば。



よし、初回なのでこんなもんで。伸びしろしかないのでコツコツ積み上げていきます。

次回もよろしくお願いします。


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