代筆屋は記せぬ文を日々綴る
小鈴みなも
第1話
でこぼこな石畳を歩き、風が運ぶ草の匂いを感じる度に、遠い田舎町に来たのだと実感する。
田舎町の通りを抜け、レオは目的地である小さな店の扉を静かに押し開けた。
軋む音が耳に響き、外からの風で一瞬埃が舞い上がる。カウンターの向こうに座っている四十代ぐらいの大柄な男が見えた。役場の者が教えてくれた、この店の主だろう。
「失礼いたします。ここはトマス様の店でよろしいでしょうか?」
レオが尋ねると男がこちらを振り返る。レオの姿を一瞥するその目が一瞬鋭くなった。だがそれはすぐに元に戻り、柔和な笑みへと変わる。
「おう、そうだが……なんだ、見ねぇ顔だな? 旅人か?」
気軽に返してきた声に警戒はなく、むしろ好奇心が滲んでいる。レオは一瞬目を伏せ、言葉を選んだ。
「いえ。本日からこの町に住まわせていただきます……レオ、と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「は? 新しい住民か?!」
静かに丁寧に頭を下げるレオとは対象的に、トマスは驚いた声を上げて目を見開いた。
そんな重要な話なんて役場の奴らから一言も聞いてねぇぞ、と呟く様子から、この町の緩さと新住民の珍しさが窺える。
「役場にて手続きをし、家を借りたのはつい先程なので当然の事かと……」
レオが説明すると、彼は首を振って納得したようだった。
田舎町らしい素朴さが、レオには少し眩しく映る。だが、それに浸る余裕はない。
「それで、役場の方から日用雑貨を扱う店としてトマス様の店の御紹介をいただきました。本日から生活出来るよう、一通りの日用品の見繕いをトマス様にお願いしたく思います。予算はどうぞお気遣いなく」
トマスの余計な詮索を避けるため、レオは淡々と要件を述べる。
「お、おう……ちょっと待ってな! 量は一人分で良いんだな?」
トマスは訝しげに眉を上げたが、すぐ軽快な笑みに切り替えて奥の棚を漁り始めた。
レオは静かに彼の動きを見守った。干し肉やチーズなどの保存食、皿を始めとした食器類、簡素な掃除道具や調理器具が分別されては複数の布袋に放り込まれる音が響く。
そんな中、時折視線を感じ、トマスがこちらを盗み見ているのに気付いた。服や眼鏡、靴、トランク……レオの身なりを値踏みするような目だ。
この慎ましく牧歌的な田舎町とは質が違う服や服飾品が目立ってしまうのは仕方ない。レオは内心で小さく息をついた。
やがてトマスが袋をカウンターに置きながら、
「レオはどっから来たんだ? こんな田舎町に住んでくれんのは有り難ぇけど、面白いもん何も無いぞ?」
と直接探りを入れてきた。レオは用意していた言葉を静かに返す。
「お答え出来ません」
トマスが「ん?」と聞き返すのも予想通り。
「答える事は出来ません。それだけです」
繰り返し言うと、トマスの眉が寄った。拒否された困惑と少しの不快感が顔に浮かんでいる。レオは目を伏せ、これ以上踏み込ませないと態度で壁を作る。
「ん〜……そんな態度はこの町じゃ厳しいな。ま、初日じゃ仕方ねぇけどな。これからは肩の力を抜いて、もっと砕けた感じで仲良くやろうぜ!」
「……」
トマスは笑ったが、レオは黙したまま応じなかった。馴れ合いを求められても、それが苦手なのである。
「っと、こんなもんで良いだろ。足りねぇもんあったらまた買いに来てくれな」
「有り難うございます。あと、もう一つトマス様にお願いがございます」
カウンターに並べた複数の袋を差し出すトマスに、レオは新たな用件を口にした。
「この町の主要な施設を教えていただきたいのです。なにぶん、まだ全然地理が分からず」
「おいおい、そりゃ役場の奴らの仕事だろうが……」
「トマス様の方がお詳しいと仰っておりました。頼られているのですね」
それまでぶつくさとぼやいていたトマスだが、レオの言葉にどこか誇らしげに笑う。
「よーし分かった、地図を描いてやるよ」
紙とペン、インクを取り出したトマスは、店、役場、酒場、市場、診療所、駐在所、教会を書き出していった。
酒場ではなんの料理が美味いとか、市場の中でも旬の野菜が並びやすいのはどの辺だとか、トマスの一言が追加されつつ、パン屋や薬草店、薪屋や仕立屋、井戸やゴミ集積所や墓地なども細かく足されていく。
主要施設に留まらず、結果的には町のほとんどが地図に描かれた。
「後は実際に自分で歩いてみるか、誰かに聞きゃあいい」
レオはその地図に一度目を落とすが、興味は別の方を向いていた。
「トマス様、先程の棚の中に紙の束が見えましたが、売り物でしょうか?」
「紙? 役場の奴らや俺達商人以外には滅多に売れねぇけど、一応売り物……」
「そちらの紙を全部買わせていただきます」
トマスが言い終わるのを待たずにレオが申し出ると、彼は「は?」と目を剥いた。レオは淡々と続ける。
「紙があるのでしたら、ペンとインクの御用意はどうでしょう? もしあれば、まとめて全て買……」
「待て待て。ペンとインクも少しはあるが、こっちは特になかなか使わねぇもんだ。一体何に使うんだ?」
カウンターから身を乗り出しながら手を広げたトマスが、今度はレオを遮った。
「仕事でございます」
「仕事?」
こればかりは答えなければ。レオは静かに言う。
「……この町で、私は代筆屋を営ませていただく予定です」
「代筆屋?! お前、字が書けるのか!」
レオは黙ってペンを借り、地図の端に聖典の一節を書きつけた。女神セルアリーネの言葉だ。
「お、セルアリーネ様の御言葉か。俺でも知ってるぜ。こんなにスッと書けるなんてすげぇな!」
「……そうです。トマス様もお詳しいですね」
感嘆するトマスに、レオは心の中で小さく安堵した。仕事の技術を見せれば余計な詮索が減るかもしれない。
「褒めても何も出ねぇぞ。いやあ珍しい事があるもんだな! こんな辺鄙な田舎町に代筆屋が来るなんてマジかよ!」
王族や貴族はともかく、この大陸の庶民の識字率は決して良いとはいえない。
ましてや王都から遠く離れた田舎町の住民の識字率はどうかというのは、興奮しているトマスの様子で分かる。
「そうだ! レオ、早速一人、客を紹介してやる」
トマスが地図の教会を二重丸で囲った。
「俺らの町の神父、セレスティン様は目が見えねえんだ……。レオが力になってくれると助かる」
「お目が……。分かりました。その様な方の助けになる事が代筆屋の本分にございます。開業した際には、必ず」
淡々としていた今までの口調とは違い、代筆屋の本分と言うレオの言葉に僅かに熱が含まれたのを感じたトマスは、大きな体を揺らしながら笑う。
「よっしゃあ! セレスティン様が聞いたら大喜びだろうな。紙代を少しまけとくよ。早く開業してくれよな!」
善処します、と短く返すレオ。依頼者の助けになる仕事なら、心が少し軽くなるというものだ。
「ああ、郵便屋も紹介しとくか。マティウスっていうデカい斜めかけ鞄を持った奴が、今の時間は東通りを回っているはずだ。賑やかな奴だが仕事は早いぜ。早めに顔を合わせといた方がいいだろ」
トマスは紹介と提案をしながら、日用品と紙、ペン、インクをまとめた代金を提示してきた。
「まあ紙とか高いからなぁ。今手持ちが無くても、分割で払ってくれたら良……」
「どうぞ。金額をお確かめください」
余計な借りを作らずに済むため、レオは全額を即差し出した。
決して少なくはない金額の即金払いに、トマスが目を丸くする。が、レオは構わずに続けた。
「トマス様の御世話をいただき、本日は非常に助かりました。これからもトマス様の店を利用させていただきます」
「……その身なり、所作、金払いの良さ……。レオ、お前一体何者なんだ?」
「何者……。代筆屋でございますが」
そういう事じゃなくってな、と食い下がるトマスを無視したレオは、
「それでは失礼いたします。有り難うございました」
そう告げて、買った荷物と地図を手に店を出る。
背後で「……気になるだろうが〜!」とトマスの本音がダダ漏れた声が聞こえたが、レオは振り返らず歩き出した。
「まず荷物を家に置いて……東通り、郵便屋……」
手紙を代筆する依頼が多い事を考えると、郵便屋と顔を合わせておいた方が良いというのはトマスの言う通り。
人と縁を繋ぐのは苦手で面倒ではあるが、仕事の事になると話は別だ。最低限の関わり合いで済めば有り難いのだが。
「……」
ここでは静かに暮らせるだろうか。
レオは深い溜め息を吐く。
触れ合う住民の人柄も、造りの違う建物や道も、見慣れない空の高さや自然の彩りも、吸い込む空気も。
何一つ自分に馴染まない田舎町の通りを、レオは足早に歩いた。
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