第21話足の踏み場もないとはまさにこのこと


 たどり着いた先は……研究室? ドアの前にそう書いてあるプレートがついていた。

 つまり、ギャスパーさんの作業部屋ってところだろうか。


 机の上にはたくさんの紙と植物や鉱石のようなものが乱雑に散らかっていて、なんというか、まぁ。その。汚い……。


 部屋の窓もカーテンまで閉め切っていて暗いし、じめじめしていて空気も悪い気がする。


 足の踏み場もない部屋とはこのこと……! くっ、掃除したい。


「ま、その辺、適当に座ってよ」

「……座る?」


 そんな場所、少しもありませんけどぉ!?


 なんて思っていたら、ギャスパーさんは机に置いてあるものを豪快に手で床に払い落とすと、できたスペースによっと腰かけた。


 いいの!? そんなことして!?

 こう、なんか大切な研究資料とか材料なんじゃないの!?


 私の反応を察したのか、ギャスパーさんが軽く両手を広げて口を開いた。


「ん? ああ、これ? 失敗作ばかりだから気にしないで。後で片づけるから」


 あっ、これは絶対に片づけないやつ。ミルメちゃんに聞かなくても確信できたよ。んもー。


 とはいえ、このままぼんやりしているわけにもいかず。

 私は周囲をきょろきょろ見回してどうにか椅子を見つけると、上に乗っていたものと椅子を置く場所をなんとかあけて座った。

 ふう、これでようやく話をしてもらえる。


 頼みたいことがあるとだけ言われて何が何だかわからないままここまで連れてこられたからね。いい加減、理由を聞かせてほしい。


 そう思った矢先、ギャスパーさんはすぐに本題に入ってくれた。


「君は鑑定眼を持っているそうだね」


 ただ唐突すぎて一瞬ぽかんとしちゃったけど。


「鑑定眼? あ、ミルメちゃんのこと?」

「ミルメ?」

「あっ、えーっと。見る目があるってことです」


 いけない、ミルメちゃんは私が勝手に名付けただけなんだから。ちゃんと説明もせずに名前だけ出したって意味がわからないよね。


「それは鑑定眼と何か違うのか?」

「えーっと、鑑定眼よりもずっと詳しくいろんなことがわかります」

「そりゃいい!」


 幸い、こんな簡単な説明でもギャスパーさんはすぐに納得したようで、嬉しそうに立ち上がったかと思うと部屋の奥にあるもう一つの部屋へと姿を消した。


 あの、もう少し周りのことを気にしたほうが……ガチャン、ゴトンといろんな物が落ちたり壊れたりする音が聞こえてくるんだけど。


 数秒後、ギャスパーさんはなんだかよくわからない黒っぽい石のようなものを二つ持ってきた。

 そして右手に持っているほうをズイッと前に出すと目をキラキラさせながら聞いてくる。


「これが何かわかるか?」

「えっと」


 当然、私にわかるわけもないのですぐさまミルメちゃんにお願いします!


【ヌマガエルの肝です。粉末にして薬に使います】

「ヌマガエルの肝!? く、薬になるみたいですね……?」


 教えてもらった情報をほぼそのまま伝えると、ギャスパーさんの目がさらにきらんと光った気がした。


「……こっちは?」


 それから今度は左手に持っているほうをズイッと前に出してくる。

 うーん。見た感じはさっきと変わらないように思うけど……。


【赤ヌマガエルの肝です。猛毒です】

「ア、アカヌマガエルの肝で、猛毒!? そ、それ素手で触って大丈夫なんですか!?」


 たぶんあんまりよくない気がするんだけど!


 私はひたすら心配しているのに、当の本人はまったく気にしていない、というか話を聞いていない様子。

 大興奮で猛毒の肝を握りしめながら立ち上がった。こわい。


「一目で見破るとは! これは本物だね!」

「いやそんなことより、素手で」

「本当に助かるよ、これで私の研究時間が増える!!」

「あのぅ」


 まぁ、気にしていないってことは大丈夫なのだろうけど、あんまりそれをこっちに近づけないでほしい……!


 それに、ギャスパーさんだけで話が進んでいてついていけない。本当になんなの!


 私の憤りが伝わったのか、偶然か。……まぁ偶然だろうな。なんとなく、この人は自分の世界の中で生きている感じがするし。

 にこやかな笑顔を向けてきたギャスパーさんはようやく本題らしきことを口にしてくれた。


「君に仕事を頼みたい。もちろん報酬も支払うよ」

「えっ」

「ついてきてくれ」


 でもまだまだ説明が足りないっ! ええい、ついていった先で詳しく教えてくれることを祈ろう。


 ギャスパーさんは先ほど二つの肝を持ってきた小部屋へと私を連れて行った。


 なんとなく想像はしていたけど、その小部屋もまたすごい有様だった。

 いや、こっちのほうが悲惨かもぉ……!


「ここにある鉱石や乾燥された薬草、素材を分別してほしいんだ!」

「こ、これを、全部、ですか……?」


 その上、恐ろしいことを耳にした気がする。

 ぶ、分別? 片づけだけではなく分別とおっしゃいました?


 籠や箱に山盛りにされた薬草や素材が机の上だけでなく床にまで散らばっていて、もはやゴミなのか素材なのかの分別から始めなければならなそうな状態だ。

 さっき以上に足の踏み場がない。うっかり大事な素材を踏んじゃいそうだよ!


「ラベルが貼ってあるものはすでに分別済みだよ」

「ほとんどないじゃないですか!」

「大丈夫。ちゃんと君に保護魔法はかけてあげるから、たとえ劇物が混ざっていても心配はいらないよ」

「劇物も混ざってる可能性が!?」


 すごい、話がかみ合わない。こんなにかみ合わない人は初めてかもしれない。

 この世界にきて初めて途方に暮れそう。


 でもそっか。保護魔法がかけてあるから、ギャスパーさんは素手で猛毒の肝を触っていたんだね。便利だなぁ、魔法って。

 それでも私はやっぱり手袋がほしいけど。気持ち的に。


「何日かかってもいいからさ、頼むよ。調合も研究も素材を探すところから始まるからなかなか進まなくてね」

「最初から整頓していればいいのに……」

「業者がぽんぽん置いていくからさぁ」

「届いたらすぐ分別すればいいんですよ」

「研究中は手が離せないじゃないか」


 あ、だめだ。この人は典型的な「片づけられない人」だ! わかってた!


 ただギャスパーさんは本当に困っているみたいで、疲れたような顔をしている。


 うっ、かわいそうに思えてきた……!


「さっき君に見せたように、区別の難しい素材も結構あってね。まぁ、私も見ればわかるはわかるのだけど、劇物なんかは間違いのないよう慎重にならざるを得ない。どうしても時間がかかるんだ。正直、とても面倒くさい」

「それが本音ですね?」


 仕事や研究を続けたいのに、分別から始めなきゃいけないんだもんね。面倒に思う気持ちはわかる。

 というか、これほどの素材があるのに助手のような人がいないのもおかしいよね。一人で管理した上で研究や調剤なんてできないのは無理もないかも。


「他のクランメンバーは鑑定作業なんてできないし、外部に頼んでも君ほど正確に見極められないだろう。どうだい? 半日で大銀貨五枚くらいで」


 報酬もいただけるなら、まぁ……ん? ちょっと待って?

 大銀貨って……日本で考えるとざっくり一万円くらいの価値じゃなかったっけ?


 えっ、半日で五万円!? 貰いすぎでは!?


「お、多いですよ!」

「そんなことはないだろう。危険な物を取り扱うこともあるくらいだ」

「うぅぅ、それじゃあ、分別したもののなかに劇物があった時だけ上乗せしてください」


 鑑定はミルメちゃん頼りで、私がすることと言ったら片づけだけって感覚だし、さすがにそれだけでそんな大金は貰えない。日本人の感覚なのかもしれないけど。


「ルリくんは珍しいな? 普通、貰えるもんは貰っておくだろう。なんならもっとよこせと言うやつが多いくらいだ」

「貰いすぎは逆に怖くなるんですよ。その金額に見合う働きを私はしているのかなって」


 やっぱり、この感覚はこの世界では珍しいみたい。

 だから私は素直に思っていることを打ち明けた。


「この見る目は、与えてもらった能力にすぎなくて、私の実力とは違うんです。だから……」

「はーん、なるほどね。やっぱり君、つまらないやつだ」

「うぅっ」


 この人、思っていることをストレートに言っちゃうタイプだよね、きっと。

 またつまらないって言われちゃった。くすん。


「スキルというのは才能だ。本人にとってはすごいという自覚がなくとも、周囲からしてみると十分すぎるほどすごい。ではルリくん。一つ質問をしよう」


 しょぼんとしている私に、ギャスパーさんは気にしたふうもなく質問を口にした。

 悪気はないのがわかる。それに、言っていることも理解できた。


「世の中には天才がいる。天才は特別な努力をしていない。ではその能力を安売りしてもいいと思うかい?」

「そ、れは……」

「努力に見合う金銭を渡すべきかな? じゃあその努力の量や質はどうやって見極める?」


 努力の量なんてわからないし、決められない。すごく頑張ったと思っていても、他の人からしたらそうでもないこともあるし、その逆もある。


 そっか、そんな曖昧なもので報酬は決められないよね。


「同じ条件下で働き、成果を出した者はそれこそ才能を使ったか、効率よく働いたのだろう。残酷かもしれないがね、能力の差で働く者の価値は変わるんだ。そうでないと、能力を持つ者は仕事の手を抜くだろうよ。割に合わないからね」


 それもわかる。ギャスパーさんが言っているのは人の価値ではなく、雇用主として雇う人の価値の話をしているのだ。

 残酷といえばそうかもしれないけど、雇う側からすれば当たり前の話。


 そして仕事の成果に見合わない報酬だったら、そりゃあ働く側だって不満に思うし、その分の仕事しかしたくなくなるものだ。


「だから給金を出す時には条件を出すんだ。私の場合は拘束時間を基準にし、その上でいい仕事や危険な仕事をした時には追加報酬を渡すようにしている」


 うん。すごく納得した。

 私にとって、ミルメちゃんは神様から与えてもらった能力で、努力で手に入れたものではないけど、もはや私の一部。


 そして持っているものは使わなければ意味がない。これまでだって、私はミルメちゃんに頼ってきたわけだし、今更だよね。


 金銭が発生するから、ちょっと過敏になっていたのかもしれないな。

 そもそも、貰いすぎだと思うのなら、私がそれ以上の働きをすればいいだけだ。


「与えられたもの、それはもう君の能力であり才能だ。なにも後ろめたいことなんてない。胸を張って堂々と使いなさい」

「……はい。ありがとうございます、ギャスパーさん」


 おかげですっきりしたよ。これからも私はミルメちゃんに頼りながら、そして頼りきりにならないように自分で考えながらうまく付き合っていきます!


 よし、それはそれとして!


「今から、仕事始めましょうか?」

「おっ、話がわかるねぇ。頼むよ! 疲れたら勝手に帰っていいよ。研究室を出たら自動的に時間がわかるようになってるから」


 わぁ、タイムカードみたい! 私の部屋のドアに防犯装置をつけてくれただけあるぅ!

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