騎士の誇り
屋外に置いた粗雑な机に陶器製の酒器が並ぶ。
ラベルのない使い古した瓶から濁った色の酒が注がれていくのをリーシャは訝しげな目で眺めていた。
「このお酒って……」
「まぁ、ちょいとね。あまり外では言わないでおくれよ」
(やっぱり)
ラベルのない瓶に入ったいかにも「手作り」っぽい風合いの酒。
はっきりとは明言しなかったが、密造酒だ。
酒器を口に近づけると若干黄色みがかった濁り酒からは甘酸っぱい香りが漂っているのが分かる。
思い切って一口飲むと口の中にシュワッと泡が弾ける感覚と甘酸っぱさが広がった。
「どうだい?」
「結構強いお酒ですね。でも、おいしいです」
「それは良かった」
女性達は嬉しそうに目を見合わせる。
「イオニアは林檎のお酒が有名と伺いましたが、これもその一種なのでしょうか」
「まぁ、そうだね。もちろんちゃんとした酒も作っているよ。都に行けば手にはいるが、結構値が張るんだよ。
だから安酒を買ってきて……こう、ね。分かるだろ?」
「なるほど」
察しろ、という意味である。
「イオニアの林檎は小さいからねぇ。食べるのには向かないんだよ」
女性の一人が言う。
「だから酒にした方がマシなのさ。水の代わりにもなるしね」
(そうか。イオニアでは飲み水は貴重だ。だから水の代わりに酒を……。果実の水分も貴重な飲み水の一端なんだな)
イオニアには古くから林檎での酒造りが行われてきた。
大昔、王族の先祖がまだ遊牧をしていた時代に林檎の生る場所を見つけて喉の渇きを潤した。
乾燥した土地でも育つ野生の林檎は小さな実しかつけなかったが、それでも彼等にとっては水にも等しい貴重な物だった。
イオニアには大きな川や湖がない。水源は地下深く掘った井戸がほとんどだ。
故に、飲み水の代替品としての酒造りが盛んになったのだ。
「さすがに都では堂々とは作れないだろうけど、こういう国の端っこにある集落ではみんな作ってるよ」
女性の発言を聞いたオスカーが変な顔をした。
(一応酒の密造は禁止されているはずだが)
酒造りは国家を代表する産業だ。
故に、許可を得た者しか作ることが出来ないはずだが目の届かない場所では普通に密造酒が出回っているらしい。
(国の端にある集落は国境を警備する兵士達の住まいであるはずだ。
取り締まる立場であはるはずの兵士達が……いや、奥方が率先して作っているようだし、夫に気づかれないようにこっそりやり取りしているのかもしれない)
オスカーは手渡された酒に口を付けた。
(俺が知っている林檎酒よりもずっと強いぞ!)
一口飲んで思わず酒器の中身を凝視した。
都で流通している酒はこんなに強くない。
もっとジュースのような、軽く飲めるもののはずだ。
「これはその……家の主人も知っているのか?」
オスカーが思わず女性に尋ねると、女性は「あはは」と笑った。
「いいや。この村の男は国境監視が仕事でね。滅多に家には帰ってこないんだ」
「そうそう。だからこれはあたしたちのちょっとした楽しみなんだよ。家の下にちょっとした穴を掘ってね。そこでこっそり作るのが毎年の楽しみなんだ」
「……そうか」
「亭主元気で留守がいい」とはこのことだろうか。
夫がいない味気ない時間を埋めるための娯楽。
女達にとって密造酒は夫がいない寂しさを埋めてくれる密かな楽しみとなっているらしい。
(国境を警備する者達にも家族はいる。当たり前のことだが、そこまで頭が回っていなかったな。
……彼女たちも国を支えている者の一人だ。その楽しみを取り上げるのは酷だろう。どこかへ売っているわけでは無さそうだし、ここはひとつ、見なかったことにしよう)
濁り酒を啜りながらオスカーは見聞きした物を胸の内に秘めることにした。
「この国の男は頑固なやつが多くてさ」
酒が進み酔いが回ってきた女性は大きなため息を付きながら愚痴をこぼす。
「男はみんな騎士になって国を護るのが務めなんだ! ってうるさいったらありゃしない」
「そうそう。まぁ、お給金がいいのはありがたいけどね」
「けどこんなに留守ばかりじゃあさ、何のために結婚したのか分からないよ。全く」
「休日が少ないということですか?」
「いや、休みの日も鍛錬だって言って出かけちまうんだよ」
女達はここぞとばかりに亭主の愚痴を言いはじめた。
「騎士の誇りだかなんだか知らないけどやたらと新しい剣や武具を欲しがるし」
「うちなんてこの前こそこそと都に出て行ったと思ったら、服の中に高そうな剣を抱えて帰ってきたんだよ。
いくらしたのか問いただしたら金貨一枚と銀貨少しだって! それだけあればしばらく食べていけるって言うのに」
「何かにつけて騎士の誇り、先祖の誇り。そんなに騎士が好きなら剣や馬と結婚すれば良かったんだよ」
一度始まったら止まらない。
次から次へと出てくる不平不満にオスカーは目を白黒させていた。
(よもや、部下達の奥方にこんな思いをさせていたとは思わなんだ)
彼女たちの言い分に心当たりがない訳ではない。
「騎士の誇り」という言葉はイオニアの男が好んで使う言葉だった。
鍛え上げた肉体と剣のみで国を護ってきたことへの自尊心と、代々「騎士文化」を継承してきたことへの誇り。
幼い頃から「男は騎士になるものだ」と教えられ、一定の年齢になると騎士団の門戸を叩く。
家業の跡継ぎややむを得ない事情を抱えた物を除いて「騎士になる」のは男達の夢であり憧れであった。
「馬にも乗れないくせに、どの口が言うんだか」
女の口から出たのは夫への侮蔑の言葉だ。
騎士――つまり、馬に乗れる身分にはなれず、歩兵として役に就いているものをからかう際によく使われる。
もちろん、騎士団の門戸を叩いても全ての者が騎士になれるわけではない。
草木に乏しいイオニアでは馬のために用意出来る飼料の量が限られており、全ての兵を騎兵に出来るほどの馬を養うことは出来ないからだ。
よって騎士となれるのは限られた家柄、もしくは優秀な成績を上げた者達だけであり、大多数は歩兵として編入される。
「それでも騎士団にいるのだから騎士だ、なんて言い張ってさ!」
「騎士団に属するのだから自分は騎士だ」というのが、「馬に乗れないくせに」という揶揄に対する一般的な返答であった。
(国境警備には多くの騎士が割り当てられているはずだが、思えば彼等の多くは都に居を構えていたな。
ここに住んでいるのは歩兵達の家族なのだろう)
会話を聞きながらオスカーはそう推察した。
イオニアの都は狭い。
遊牧をしていた先祖が最終的に辿り着いた土地、大きな岩山を切り開いて出来た町だと言われている。
周囲が岩山に囲まれた天然の要塞のような立地をしているので新しく家を建てる土地がなく、郊外やこうした国境沿いの開けた土地に集落を作って住むことも多い。
(付き合いのある騎士は皆都に住んでいたのから気づかなかったが、都の外で働く者達はこのような生活をしていたのか)
騎士団を束ねるオスカーとて、全ての兵士と付き合いがあるわけではない。
普段は王宮で職務に当たっているため、王宮を出入り出来る身分の者や警備兵、各地を任せている責任者と面識がある程度で末端で働く兵士たちとの接点はあまり持っていなかった。
(視察には行っていたが普段は下の者から報告を受けるのみだったし、彼等がどのような生活をしているのかこの目で直接見るのは初めてだ。
彼等が騎士を誇りと思ってくれているのは嬉しいが、奥方達にこのように思われているとは……)
なんとも気まずい。
「大丈夫ですか?」
心の内が顔に出ていたのか、心配そうにリーシャが声をかけた。
「あ、ああ。問題ない」
「酒にでも当てられたかい? ……ん? よく見るとあんた、顔がいいね」
オスカーはドキッとした。
(リーシャに貸して貰った魔道具で俺が俺であると認識は出来ないはずだが……)
女性はオスカーに近づいてまじまじと観察をすると
「この兄さん、あんたのこれかい?」
といって手の小指を立てる。
「いえ、彼は私の護衛です」
「護衛!」
女性は大きな声で叫んだあと、オスカーの肩をバシバシと力強く何度も叩いた。
「そりゃあいい! うちの騎士様よりずっと頼りになりそうだ!」
「兄さんも騎士になったらどうだい?」
「あははは!」
大盛り上がりする女性達の横でオスカーはなんとも言えない表情を浮かべている。
完全に気圧されてしまったようだ。
「そういえばあんたたち、集落に泊まりたいって言ってたね」
「はい。出来ればここで一泊させて頂けると嬉しいのですが」
「いいよ。あたしの家で良ければ面倒見てやるよ」
「本当ですか?」
「旦那と子供の部屋も空いてるし構わないよ。荷物はそれだけかい?」
女性はリーシャのトランクに目を落とす。
「はい」
「よし。じゃあ着いてきな」
リーシャとオスカーは女性の後に従って集落の奥にある一軒家へ向かった。
家の前には細い林檎の木が一本立っており、少し離れた場所に山羊が一頭繋がれている。
「夫はほとんど国境から帰ってこないし、三人居た娘はみんな嫁に出ちまった。だから普段は一人暮らしなんだ」
「そうなんですね」
「まぁ、ここら辺の女は皆同じようなものさ。だからああして集まって話すのが唯一の楽しみなのさ。
えーっと、部屋は……あんたは娘の部屋を使いな。兄さんは」
「俺は寝袋で十分だ。娘さん方の部屋を使うのも申し訳ないからな」
「そうかい。じゃあ、空いているところを適当に使っておくれ」
「承知した」
石造りの床と土壁で出来た簡素な家だ。
材質上冷えるのか、床には羊の毛で編んだ分厚い絨毯が敷かれている。
室内にはランプが吊り下げられており、それで明かりをとっているようだった。
大きめの居間と夫婦の寝室、娘の部屋が三つ、その他にもう一つ部屋があり、手洗いと台所がある。
(立派な家だな)
外からは粗雑に見えるが中に入ってみると十分な広さがあり、よく整えられている。
こんな広い家に一人で生活しているなんて寂しかろうとリーシャは思った。
「夕飯は羊のスープでも作ろうかね」
食料庫を漁りながら女性が言う。
「イオニアの郷土料理だと聞きました」
「よく知ってるね。まぁ、ここじゃ新鮮な肉が手に入らないから塩漬け肉を使ったものになるけど」
「塩漬け肉ですか?」
「そうさ。見てみるかい?」
女性に手招きをされ、リーシャは台所の奥にある食料庫へ入る。
食料庫には大きな棚が備え付けられており、瓶詰めされた野菜や果物、干し肉、香辛料など日持ちのする保存食が保管されていた。
虫除けのためか香辛料の独特な匂いが充満している。
女性は大きな瓶を取り出すと蓋を開けた。
リーシャが中を覗くと塩と香辛料を混ぜたものが入っている。
「ここから都まで遠いだろう。そう何度も足を運ぶのは骨が折れるからね。一度の買い物で済むように、村の女達で馬車を出すんだ。
馬車って言ってもそんな大層なものじゃなくて大きな荷馬車を馬に曳かせるだけなんだけどね。
その時に大量に肉や野菜を買ってきて、こうして保存食を作るんだよ」
女性は壷の中から肉の塊を引き上げると台所へ持って行き、洗い場の横に置いてある瓶から水を汲んで容器に移し、その中に肉を浸した。
塩抜きをするためである。
(ああ、そうか。保冷庫が無いんだ)
国の外では当たり前に使われている保冷庫がイオニアにはない。
保冷庫は氷を発生させる魔道具だからだ。
イオニアで氷を手に入れるにはよく冷える日に桶に水を汲んで外に置いておく他はない。
氷を発生させる魔法も、物を冷やす魔道具もないからだ。
そうなると、生鮮食品の保管は難しくなる。
新鮮な物が手に入りやすい都住まいとは違って、都からずっと離れた国境沿いではそう何度も買い物にいく事は出来ない。
故に買ってきた物を長期保存する保存食が重宝されているのだろう。
「この水はどこから汲んできた物なんですか?」
「井戸だよ。ここら辺ではあの井戸以外に水を汲める場所がないからねぇ。一度枯れかけたことがあって、それ以来一日に使える量が決まってるんだ」
「なるほど」
「物珍しいかい?」
「ええ、まぁ」
言葉を濁すリーシャに女性は笑った。
「気を使わなくて良いよ。旦那がああいう仕事をしてるとね、国の外がどうなっているかなんてなんとなく分かるんだ」
「そうなんですか?」
「この集落は商人達の通り道でもあるしね。彼等の会話や持ち物を見れば大体察しはつくよ」
「……」
どこまで聞いて良いものか、リーシャは迷った。
(この女性がどこまで知っているのか分からないから迂闊にしゃべれない)
女性の言う「知っている」がリーシャの考える「知っている」とは同義だとは限らない。
もしも女性が「魔法」を知っているものだと思って魔法について喋ったあとに「実は知らなかった」ことが分かれば取り返しのつかないことになる。
「おばさまは国の外へ出たいと思ったことはないんですか?」
悩んだリーシャの口から出たのはそんな問いかけだった。
「国の外か」
女性は少し考えた後に首を横に振る。
「ないね。なんだかんだ今の生活に不満はないし、ここから離れたって行くところもないしね。長い間戦もないし、平和に生活出来るだけでありがたいよ」
(不満はない、か。もしも魔法が入ってきても彼女は同じ事を言えるだろうか)
便利な物を知らないから不便だと思わない。現在の環境が「普通である」と思っている。
少なくともリーシャにはそう感じられた。
でなければオスカーのような「心変わり」が起きるはずがないからである。
(おそらくオスカーも王宮にいた頃は同じように考えていたはずだ。平和で不足のない生活だと。
けれど、外の世界を見て魔法に触れたオスカーはその便利さに感化されて『魔法を受け入れるべきだ』と心変わりをした。
今のオスカーにイオニアはどう映っているのだろう)
これはこれで平和なのかもしれない。
外からの干渉を受けず、争いもない平穏な生活。
ずっとその中に居れば変化を望まない、変化を恐れる気持ちも分かる。
(けれど、永遠にその停滞が許される訳じゃない。
現にこうして魔法による侵略を許しているのだから。
平穏な生活を護るために変わらなければならないこともある。オスカーはそう感じているはずだ)
居間で二人の会話に聞き耳を立てていたオスカーはぐるりと部屋の中を見回した。
(瓶に汲まれた水、保存食中心の食事。明かりが少なく薄暗い室内。井戸に制限がかかっている。イオニアではごくありふれた光景だ。
けれどそれを不便だと感じてしまう自分がいる)
今まで生きてきた年月に比べるとほんの僅か、少しの合間外で過ごしただけなのに、違和感を覚える。
隣の国では蛇口をひねれば水が出て、毎日顔も洗えて湯浴みも出来る。
服も清潔に保てるしのどが渇けば好きなだけ水を飲むことが出来る。
夜には明るいガス灯が道を照らし、内陸であっても新鮮な魚が食べられる。
ただの市民であっても国を越えた交流があり、物や文化の往来も盛んだ。
(まるで別世界だ。なんて前時代的な生活をしているのだろうと思ってしまう)
ショックだった。
自分が生まれ育った故郷にそんな感想を抱いてしまうなんて思ってもみなかったのである。
魔法を初めて見たときの衝撃よりも、魔法を体験して改めて故郷を眺めた時の衝撃の方が勝る。
目に見えている景色は同じはずなのに、見え方がまるで異なることにオスカーは困惑した。
「作り方を見せていただいても構いませんか?」
「もちろん。一緒に作るかい?」
「はい」
台所から女性とリーシャの声が聞こえる。
「じゃあまずはタマネギをみじん切りにして」
リーシャは指示通りに食料庫に置いてある木箱からタマネギを取り出し桶に汲んである水で軽く洗い細かくみじん切りにした。
竈に火を入れて大きな鉄鍋に油を敷き、香辛料を何種類かそのまま入れて香り立たせ、潰したにんにくを入れてさらに香りを引き立たせる。
リーシャが調理をしている間に女性は塩抜きした羊肉を適当な大きさに切り分けた。
油に香りがついたころ、羊肉を鍋に投入して焼き目がつくまでよく炒める。
こんがりと焼きあがったらそこに水、塩、砕いた乾燥野菜を投入してコトコトと煮込むのだ。
「水を使う料理はごちそうなんだ」
女性は木ベラで鍋をかき回しながら言う。
「客が来たときとか何かを祝う時とか風邪を引いたときとか、そういう特別なときに作るものなんだよ」
(風邪を引いたとき、か。ここら辺では貴重な水と食材を使う料理だからな。患者本人にとっては何よりも良い薬になるだろう)
病で体も心も疲弊しているときに特別な料理を作ってもらえる。
こんなに嬉しいことはないだろう。
(肉や香草、にんにくで滋養もつくし、柔らかく煮込めば消化もいいし。結構理に適っているのかもしれない)
精が付きそうな料理だ。
「鍋の見張りは任せて良いかい?」
「はい」
「じゃああたしはパンを焼こうかね」
そう言って女性は台所の隅に置いてあった器に手を伸ばした。
上にかけられている布を取ると中から白い塊が現れる。
「パン生地ですか?」
「ああ。朝仕込んでおいたんだ」
もう一つの竈に平方の鍋を置き油を馴染ませるとその内側に小さく切り分けたパン生地を薄くのばして張り付けていく。
(種なしパンか)
発酵させずに作るパンのことである。
しばらくすると中が空洞になって膨らむので、それをひっくり返す。良い焼き色だ。
「今日は三人だからいっぱい焼かないと」
女性は楽しそうに呟くと次から次へとパンを焼き上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます