第9話 魔女の女神と魔女仲間

 なんとなく、ノイズ音が聞こえた気がして目が覚めた。

 時計を見ると、午前5時45分。総員起こし15分前である。海軍生活10年の間に身についた体内時計が、しっかりと仕事をしていた。

 もうやめたのだから二度寝してもいいのだが、なんとなく気持ちが悪い気がして、いつも起きてしまっている。

 私は顔を洗い、軽く拭く。スキンケアはしない。昨日、迷宮でカラスに変身したように、魔女は肉体を自由に操作できる。肌の状態を最高に保つことなど朝飯前だ。

 さて、朝食に昨日の残りのご飯とみそ汁を食べ、食器を洗いながら亜空間収納の中を確認する。昨日獲った刃鰭大鮎を出そうとし、そこで気づく。引っ越しで一番にしなければならなかったことを忘れていたことに。

 背中につっと汗が流れる。


(やばいやばい、忘れてた)


 私は急いで亜空間収納からを引っ張り出す。

 一抱えほどある丸い木のテーブルだ。それを北向きに設置し、銀糸で月が刺繍された黒い布をかける。そして奥にろうそく立てを置き、ろうそくを立てる。手前には左から小皿に乗せた素焼きの器、小さな香立て、そして白い小皿を置く。

 そして、ろうそく立ての中心に、小さな像を置いた。

 三人の女性が背中合わせに立っている像だ。それぞれ、花冠を被った少女、豊穣の角コルヌコピアを抱えた母親、右手にナイフを持ち、左手に蛇を絡ませた老婆である。足元には、大きな狼が悠々と横たわっていた。

 この像の主は、乙女、母、老婆の三つの姿を持つ女神で、その御名をユベリアという。私の守護女神だ。

 魔女は魔女に“成った”と同時に、一柱の守護女神を得る。魔女として、次の段階に至るまでを見守り、力を貸してくれるありがたい存在だ。

 私の守護女神であるユベリア女神は、豊穣、月、魔術、出産、戦などを司る地母神で、慈悲深い母神であると同時に苛烈な破壊者の相も見せる。キレると怖い女神様だが、普通にしている限り優しいお方なので、私はいいお方を守護者に得た。……魔女仲間の守護女神の中には、もっと怖い方もいらっしゃるらしいので。

 さて、私はそうして作った祭壇に、お供え物を乗せる。素焼きの器―スピリット・ボウルにお茶を入れ(本当はお酒なんかの方がいいんだけど)、供物用の白い小皿に生米を供える。

 そして、ここ数日間祈れなかったことを詫び、新たな地に引っ越したこと、これから田畑を耕して暮らしていくのでよろしく頼むということを伝える。すると、神像からぽわっと緑色の光が零れ、私を満たす。どうやら了承してくれたようだ。

 ユベリア女神は豊穣の女神だ。きっと、作物の実りに力を貸してくれるに違いない。

 祈りが終わった後、私は昼用の米を浸水させた後、ご近所さんに刃鰭大鮎を配った。頭を落とし、一家庭当たり半身を渡す。皆喜んでくれた。畑と田んぼをやるといったら、農家のご近所さんたちが「よかったら」と野菜の種と種もみを分けてくれた。ラッキーである。

 さて、畑仕事だ。

 味噌と醤油をたくさん作るためには、大豆と麦が必要。種は祖母からもらったものを使う。

 よし、やろう。私は畑に向かった。

 母屋の東にある田畑はかなり広く、田んぼは一反(990㎡)、畑はその倍ほどあるらしい。

 曾祖母も晩年は田畑で何も育てていなかったらしい。使われていなかったそこは枯れ草がぼうぼうで荒れている。


「よし」


 私は大豆が入った袋をもって畑の中に入り、靴と靴下を脱いだ。

 そっと素足を降ろすと、ひんやりと湿った枯葉の感触が伝わってくる。

 何故こんなことをしているかというと、土を耕し、魔力を混ぜ込むためだ。

 普通、植物は土の中の栄養で育ち、農家は植物の状態や土壌の状態を見て肥料を追加する。けど、今回は私の魔力で作物を育てる。魔力は純粋なエネルギーだ。植物を一気に成長させることぐらい簡単である。

 勿論、普通に肥料を使って育ててもいい。しかし、味噌醤油はなるべく早めに欲しかったし、第一今は肥料不足の時代だ。使わずに済むなら使わずにおきたい。

 そういうわけで、今回は土に魔力を混ぜ込むことにした。直接触れたほうが効率がいいので、今回は裸足になっている。なお、“私はこう”というだけで、魔女ひとによってやり方は異なる。


「よっと……」


 魔力を込めて進むと、つま先からきらりと緑の光の粒が飛び、土に魔力が混ぜ込まれる。それと同時に、土が枯れ草ごともこもこと耕され、程よい畝ができた。

 二反の畑に魔力を流し終ると、袋の中から大豆を一掴みとり、魔力を込めて畑に投げる。投げられた大豆は緑の光を纏って飛び、手で蒔かれたかのように畝に収まる。さらに軽く手を振ると、土がもこりと動いて種を覆う。その直後、ぴょこん、と可愛らしい芽が出、ゆっくり成長し始めた。

 それを続けておおよそ2時間、ちょうど昼になったころに、全ての大豆を蒔き終わった。最初に蒔いたものは、すでに私の足首ぐらいに成長している。

 さらに女神ユベリアに祈り、女神に供物、お茶と米を捧げる。すると、鮮やかな緑の光が畑に迸ったかと思うと、にょきにょきと目に見えてわかるほどの勢いで大豆が成長していく。三日もあれば収穫できるだろう。

 私は一度母屋に戻り、今朝浸水した米で鮎飯を炊き、大根の塩もみを添えて食べた。残った鮎飯はおにぎりにしておいた。夕食に食べよう。

 午後は田んぼを耕す。畑の時と同じようにして耕し、もらったばかりの種もみを蒔く。こちらは収穫まで5日というところだろう。

 冬の気配が残る中、鮮やかな緑が萌える田畑。そこだけが春だった。


(さて、味噌と醤油に必要なのは……)


 私は台所で、必要な材料を改めて取り出した。

 味噌を作るには、大豆、米麹、塩。醤油を作るには、大豆、小麦、麹菌(ショウユコウジカビ)、塩。

 大豆は今育てている。小麦は祖母からもらったものがあるが、量が少ない。米麹は友麹法で増やせるし、醤油用の麹の種菌はある。塩は配給で、調味料として使う分しかない。


「つまり、必要なのは小麦と塩か」


 私はポチポチとスマホのメモ帳に記入した。

 小麦は大豆と同じく育てればいいだろう。塩は工業優先で配給だから、これも作るしかない。


「……海に行ってくるか」


 幸い日本は海に囲まれた国だ。我が家からも、2時間ほど行けば海に辿り着く。原料は簡単に手に入るし、魔法を使えばさほどの手間でもない。

 田畑には魔力を込めてある。手入れもいらず、放っておけば育つからそれでいい。

 問題は小麦だ。

 私は農水省のサイトに接続した。ここで、種や苗の販売をしている企業が紹介されているのだ。

 いくつか回っていると、種もみは手に入りそうだったが、高いし時間がかかる。なるべく早く欲しいんだよなー、と考えていると、ふととある人物の顔が浮かんだ。


「あ、そうだ。朝香あさかさん」


 思い出した。魔女仲間の平井朝香さん。

 ウィッカムというネット上の魔女のコミュニティがある。魔女同士で情報交換したり、近況を報告しあったりするのだが、朝香さんはそこで知り合った日本人魔女だ。確か、北海道に住んでいて、小麦農家をやっていると聞いたことがある。

 私は早速メッセージを送る。


 真夜<<朝香さん、お久しぶりです。ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか?


 間もなく返信が来た。


 朝香<<お~、真夜ちゃん久しぶり。元気してた?今何の訓練してるの?


 久しぶりの連絡だというのに、朝香さんは気軽に返してくれる。


 真夜<<元気です。軍はやめました

 朝香<<え!せっかく士官だったのにもったいない~!


 えー!と驚いている猫のスタンプが送られてくる。


 真夜<<もともと5年務めたら辞めるつもりだったし、いいんですよ。疲れちゃったし

 朝香<<そっかー。まあ軍って大変そうだもんね。大尉になったんだっけ?今はどうしてるの?

 真夜<<一応少佐昇進して退職になりました。今は曾祖母の家に住んでます。畑耕してのんびり暮らそうと思って

(敬礼する猫のスタンプ)

 朝香<<スローライフってこと?いいね~。で、お願いってどうしたの?


 本題に入る。


 真夜<<実は醤油作ろうと思ってるんですけど、小麦がなくて育てようと思ってるんですよ。朝香さん確か小麦農家でしたよね、いくらか買わせてくれませんか?


 すると、朝香さんはOK!とサムズアップした猫のスタンプを送ってくれた


 朝香<<いいよ!キロ1000円になっちゃうけど、いいかな?


 キロ1000円!他の種子を取り扱っている会社だと、キロ3500円はしていたのに!私は急いで返信した。


 真夜<<それは安すぎます!ちゃんと適正価格で買いますから!


 すると、にゃはー、と脱力している猫のスタンプが送られてきた。


 朝香<<いいよいいよ~。他の農家さんならともかく、うちらは魔法栽培だからそこまで手間かかってないんだ。気にしないで~

 真夜<<そういうわけにはいかないです!


 気にしなくていいよ~という朝香さんと、適正価格を主張する私。しばらく話し合いをした後、倍のキロ2000円で売ってもらうことで決着した。それでも安い、本当申し訳ない。私は何かお返ししなければ、と自分にできることをリストアップした。


 朝香<<お返しとかはいいからね~。送るのはどうする?亜空間運送で行く?


 亜空間運送とは、文字通り亜空間を通して物の送付をすることだ。動物は無理だが、植物なら何の問題もなく送ることができる。亜空間を使えるのは魔女だけなので魔女限定の運送方法だが、逆に言えば魔女なら世界中どころか界が違っていても可能というものだ。


 真夜<<お願いします。朝香さんの都合がいい時でいいので

 朝香<<おk。じゃあ明日にでも送るね~。準備よろしく

 真夜<<了解しました(敬礼する柴犬のスタンプ)。本当にありがとうございます!

(いいよ~という猫のスタンプ)


 私はメッセージを閉じる。


「よし、小麦については目途がついた」


 あとは塩を用意するだけだ。容器も必要だな。私は物置に向かい、大き目の容器がないか調べることにする。


(そうだ。納屋の空間開いてたっけ)


 亜空間運送の送付・受け取りには魔法陣が必要だ。2畳ほどのスペースを必要とするので、家の中では無理である。納屋ならちょうどいい。私は亜空間収納の中から以前魔法陣構築に使ったチョークを取り出し、納屋に向かう。

 明日からも忙しくなりそうだ。


 

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