第15話 実りの陰に芽吹くもの
秋の風が実りの香りを運んでくる季節――王国の各地で、今年最大の収穫期を迎えていた。
アリアが訪れた地では、畑が黄金色に染まり、どこも喜びにあふれていた。
「アリア様のおかげで、村は救われました。どうかこの喜びをお受け取りください」
農民たちは感謝を込めた野菜の籠や、干した果実を捧げ、彼女を「豊穣の象徴」と讃えた。
一方、未訪問の領地では――
「またアリア様の恩恵はなかった……」
「お隣は豊作なのに、うちは例年並みだ」
不満が確実に膨らみつつあった。視察と加護の及ぶ範囲が限定的である以上、それは避けがたい現実だった。
* * *
王都にも、その波は届いていた。
王宮には連日、使者や嘆願書が舞い込んだ。
王太子ユリウスは政務室の机に広がった地図を見つめ、額に手を当てた。
「これは……想像以上だな」
「……訪れた土地と、そうでない土地。差がはっきり出ています」
ラトバル宰相の声には重さが滲んでいた。
アリアだけでは当然人手は限られ、魔道具や魔力による支援にも限界がある。すでに無理を重ねていた。
「“選ばれし婚約者”への期待が、反転する前に手を打たなければ」
「ええ……そうでなければ、王太子妃の立場そのものに傷がつきかねません」
ラトバルの静かな言葉を受け、ユリウスは頷いた。
それから数日のうちに、王宮ではラトバルを中心に、カルヴィウス陛下とユリウスを交えた緊急の協議が行われた。議題は、王太子妃による領地訪問に対する“公平性”の担保――すなわち、支援の順番をめぐる王国民への説明責任であった。
協議の結果、アリアがこれまで訪れてきた順序には明確な基準があったこと、それが「一昨年と昨年の収穫量の比較データ」と「王宮への嘆願書の提出件数」に基づくものであると、王国全土に向けて公開することが決定された。
王国には現在、直轄地を除いて48の領地がある。そのすべてを表形式にまとめた文書が作成され、上記の2つの軸と、アリアの訪問履歴、さらに残り15領地への今後の訪問予定までも記載された。すべては、透明性の確保のためである。
また、発表には補足事項として、「来年に控える王太子と王太子妃の婚礼準備」「これから迎える厳冬期」を理由に、今後の訪問はある程度の期間にわたって計画的に進めることも明記された。
この一連の公文書には、王の名のもとに印璽が押され、王からアリアへの謝意を記した直筆の一文も添えられていた。
「豊穣と癒しの加護を携え、王国の地を歩むこの先我が息女となるアリアに、王として、そして父として、深甚なる感謝を表する」
最後に、今年の収穫量がすでに報告されている一部領地の実績も数値付きで併記され、それがアリア訪問後の飛躍的な増加であることがはっきりと示されていた。
これらすべての文書は、各領地の役所や掲示所に速やかに届けられ、民にも閲覧可能な形で公開された。
王家が正式に動いたこの一手は、王都や未訪問の地で高まりかけていた不満の声を、大きく鎮めることになった。
しかしその頃――
* * *
王都・ダラル侯爵家の私邸。
ミレーネ・ヴァレリアは緋の絨毯の上を、静かに歩いていた。
広々とした客間に集まっていたのは、社交界でも影響力を持つ貴族やその夫人たちが15名ほど。
ミレーネを笑顔で迎え入れてはいるものの、家柄を認めているわけではない。ただ、彼女が“使える女”であると判断したにすぎない。
「“機は熟した”ということでしょうか」
「ええ。王宮の中枢にいる者たちの多くも、すでに“アリア依存”に危惧を抱いています。今なら、扉は開かれる」
「アリア嬢は、慈善の女神のように振る舞っているけれど……所詮、加護の力で得た名声でしょう?」
「そうよ。私たちのような育ちを知らない子に、王妃の役が務まるとは思えないわ」
ミレーネは紅茶を口に含みながら、静かに微笑んだ。
「……わたくしは、“民に愛されるだけの人”ではなく、“王や王太子にふさわしい妃”を目指します」
その言葉に、場の空気がわずかに冷たさを帯びる。
「正義の名のもとに、王家は真にふさわしい者が導くべきですわ」
誰もが言葉を呑んだ。その場にいた貴婦人のひとりが、そっと囁いた。
「……そうね……いずれ、“変革”の風が吹きますわね」
その瞬間、ミレーネの胸に確信が芽生えた。
(――わたしこそがふさわしい。
いずれ王太子妃になるのは、アリアじゃない。わたしよ)
その場にはぎこちない空気が漂ったままではあったが、ミレーネの瞳に、叛逆の炎が静かに灯った。
* * *
その三日後。
王宮の政務局に、一通の公開嘆願書が届けられた。
差出人の筆頭は、かつて王家の相談役を務めた経歴を持つ老伯爵。そして連名には、五名の元上級官吏、六名の侯爵家夫人、さらに三名の現職地方領主の名が連ねられていた。
内容は、丁寧な文体で始まる。
「我らは、王国の未来を案じ、深い忠誠心と責任感をもって、この嘆願を差し上げます」
その冒頭には、王政と王太子への忠誠が何度も強調されていた。そして、その上で――
「現在、王太子妃候補であるアリア・フェルネスト様が各地を訪問され、加護の恩恵をもたらしてくださっていることに、心からの感謝を申し上げます。
されど、王国内の一部において、支援の順序および訪問の選定に対し、不公平感が生じているのも事実にございます」
アリア個人への批判ではない――そう繰り返しながら、しかし内容は明らかにアリアの訪問判断そのものが偏っているのではないかという印象を与えるものだった。
「人々の感情は、数値や順番の論理では割り切れないものでございます。加護の届く土地と、そうでない土地の格差が広がることで、王家への信頼を損なうことがないよう、今一度、ご再考いただきたく存じます」
――要するに、“正論”に見せかけた政治的攻撃である。
嘆願書は、わざと王宮の掲示所にも提出された。公開を前提とした文体で書かれた文書は、瞬く間に街の話題となった。
「……これ、アリア様に対する批判では?」
「いや、個人攻撃をしてはいない。ただ“公平”を求めてるだけだろう?」
政務局の若い文官が、王太子ユリウスの執務室に報告に来たときには、その目に緊張が浮かんでいた。
「……ミレーネ・ヴァレリアの名は、表には出ていません。ただ、文体の調子と構成、署名した侯爵家夫人たちの繋がりから見て、彼女を盾にした影の力が濃厚かと」
報告を聞いたユリウスは、深く椅子にもたれたまま、静かに目を閉じた。
「……ついに動いたか」
「はい。公には反逆ではありません。あくまで民の声を“代弁”する形です。下手に抑えれば、かえって“言論弾圧”と見なされかねません」
ミレーネは、その手を使ってきたのだ。
民の“不公平感”という火種に、王政批判という油をそっと注ぎ、あたかも自分は民の代弁者であるかのように振る舞っている。
「やり方が姑息だ」
低く呟いたユリウスの声に、怒りが滲んだ。
アリアは、身を削るようにして歩いてきた。
その結果を“数字”にして示したというのに、“感情”を盾にされれば何も言い返せないというのか。
「……ですが、王太子妃候補の立場としては、反論を避けるべきかと。感情的になれば、敵の思うつぼです」
ユリウスはゆっくりと頷いた。
たしかに、ここでアリアが前に出てしまえば、「やはり王太子妃は傲慢だ」と受け取られかねない。
だが――彼女を、このまま矢面に立たせておくわけにはいかない。
「……ラトバルを呼んでくれ。陛下とともに、“次の一手”を考えよう」
ユリウスの瞳の奥に、王太子としての冷静な炎が灯った。
(アリアを守る。それが俺の役目だ)
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