第8話 癒しの手、豊穣の祈り
王都の朝は清らかな陽光に満ちていた。
アリア・フェルネストは、王宮の専属馬車に揺られていた。隣には王太子――ユリウス・グランディール。
彼との公式な外出は、これが初めてだった。
それは、王家としての意図も込められた一歩だった。
ユリウスの提案により、アリアとの婚約を公にした今、彼女の人となりを多くの国民に知ってもらうため、いくつかの領地や施設をめぐる計画が立てられていた。
貴族だけでなく庶民に対しても、次代の王妃としての姿を誠実に示していく――。
そんな思いから、今後は積極的に訪問の機会を増やしていこうという動きが始まっていたのだ。
「緊張しているかい?」
柔らかな声に、アリアは小さく頷く。
「ええ、少しだけ。でも……殿下が隣にいてくださるので、大丈夫です」
ユリウスの口元に微笑が浮かぶ。
アリアが訪問に同行することになったのは、王宮からの提案であると同時に、ユリウス自身の希望でもあった。
「君の加護の力を……できれば、あの場所で使ってほしい。見世物にはしたいわけではないが、君の力を必要としている人が確かにいる。
そういった民に、君という人物の存在を知ってもらって生きる希望に繋げたいんだ」
「わかりました。できる範囲で、誠実に努めます」
* * *
今回訪れたのは、王都から南に位置する穏やかな農村地帯。
ザイーラ伯爵家が治めるこの地は、昨年、雨がなかなか降らず深刻な干ばつに見舞われていた。
作物の収穫量は例年よりも大幅に落ち込み、領民の暮らしは困窮し、王宮にも支援の要請が届いていた。
「せめて、癒しと豊穣の加護で、土地の霊脈を整え、祈りを捧げることができれば……」
そう願ったアリアは、領主や神官たちの導きのもと、古くから守られてきた土地神の祭壇を訪れた。
静かに手を合わせ、ひざをつき、心からの祈りを大地へと届ける。
その姿は厳粛で、まるで春の訪れを告げる精霊のようだった。
加護を持つ者にしか感じられない脈動が、アリアの掌に温かく伝わり――
乾いた土に、ほんのわずかな湿り気と、再び息吹く気配が芽生えはじめていた。
作物のことなのですぐに実るということではないが、長く農業に従事してきた領民たちは「この土なら実るのではないか」と、豊作を期待し明日に希望を繋げられるように感じ、感謝を伝えた。
* * *
次の訪問先は、同じ領地内ではあるものの、郊外にある療養院だった。
傷病兵や体調を崩した貴族夫人、孤児院から移された子どもたちまで、さまざまな事情を抱える人々が集まる場所。王宮が定期的に支援している施設の一つだ。
療養院の庭に立ったアリアは、ふと立ち止まった。
風が優しく吹き抜け、干しかけの洗濯物が揺れる。その隣で、年老いた女性が椅子に腰かけて咳き込んでいた。少年が彼女の背をさすっている。
アリアは歩み寄り、膝をつく。
「こんにちは。日差しが強いですね……日陰にご案内しても?」
「……あら、まあ。おやさしいことを」
女性の手をそっと取ったそのとき、アリアの掌に微かな光が灯った――それは目に見えぬ加護――《癒しの加護》によるものだった。
女性の呼吸が楽になり、深く眠るように目を閉じる。
「……いま、すっと……胸の苦しさが消えました。……咳もひいたような……」
少年が驚いたように目を丸くする。
「ありがとう、お姉さん!」
アリアは微笑み、そっと彼の頭を撫でた。
療養院での視察を終えようとしたそのとき、小さな笑い声が風に乗って届いた。
「おねえちゃん、こっちで遊ぼうよ!」
アリアが振り返ると、数人の子どもたちが花壇の近くで手を振っていた。孤児院から療養のために移ってきたという、まだ幼い子たちだった。
「よろしければ、少しだけお付き合いを」
施設長の微笑に背中を押され、アリアは彼らのもとへ歩み寄る。
「これ、わたしたちの“花だん”なの。水がぜんぜんなくて枯れちゃったの……」
小さな手で示された苗は、しおれて首を垂れていた。
「そうね。じゃあ、みんなでお願いしてみましょうか。お花が元気になりますようにって」
子どもたちが両手を合わせ、アリアもそっと手を添える。
その瞬間――土がしっとりと潤い、花の苗がゆっくりと色を取り戻していく。
「わあ……咲いた!」
「アリアお姉ちゃん、すごい!」
子どもたちの歓声が庭に響いた。
アリアは微笑みながら、彼らの小さな手にそっと触れる。
「これは、あなたたちの願いが届いたからよ。きっとこの花も、それに応えてくれたのね」
その姿を目にした施設の責任者や周囲の使用人たちは、息を呑む。
「これが……王太子妃殿下となる方の、“豊穣の加護”……」
「いや、それだけじゃない。ただの魔力じゃない……まるで、人の心を包み込むような……」
その噂は王宮関係者の耳にも届き始めていた。
その日の午後、王宮に戻ったユリウスは、会議室で待機していた重鎮たちの前にアリアを伴う。
「皆に紹介したい。アリア・フェルネスト嬢だ。――私の婚約者であり、次代の王妃候補だ」
席を並べていたのは、枢密顧問官、王宮内政局の長官、そして王妃付きの侍女長たち。
緊張に息を詰めるアリアだったが、丁寧な挨拶と穏やかな口調、そして先ほどまでの行動をすでに聞き及んでいた関係者たちは、静かに頷いた。
先ほどまで訪ねていた土地を領地として持つザイーラ伯爵が発言を許された。
「フェルネスト嬢。我が伯爵家の領地でのあなたの行動に、深い誠実と慈愛を感じました。
昨年の干ばつでは領民は生きる気力も、実際の食糧も失い、また我が家も税収の見込みを絶たれ、大変につらい年となりました。
本日、領地の者より早馬での伝来が届き、領民たちの表情が明るくなったと聞いています。本当に感謝致します」
「未来の王妃たる器を見極めるのは、礼儀作法や出自だけではありません。……今日、私はそれを再認識しました」
「王太子殿下がお選びになった理由が、わかる気がいたします」
席の端では、王妃付きの侍女長がそっと囁いた。
「“癒しと豊穣”……まるで、王国の未来を示すような加護ですね」
* * *
その日の夜、アリアはユリウスと共に王宮の中庭を歩いていた。
「ありがとう。今日の君の姿は……本当に誇らしかった」
「わたしこそ、ありがとうございます。……これからも、人々の力になれるよう、努力します」
地道ではあるけれど、今日のような活動をいろいろな場所で行なっていくことを話し合った。
月明かりの下、ふたりの影が静かに寄り添う。
――王太子とその婚約者。その歩みはまだ始まったばかりだが、その一歩一歩が確かな信頼と共感の上に築かれていた。
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